Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(コロール・タンゴ)
1989/Orquesta2/楽団、現役
60年代の終わりから、<オスバルド・プグリエーセ>楽団から分離して<セステート・タンゴ>が生まれた頃、<オスバルド・プグリエーセ>のスタイルは果てしない広がりを見せていた。
彼らは最初のプグリエーセ派の楽団であり、またもっとも代表的なものでもあった。
1989年に、<ロベルト・アルバレス>によって結成された<オスバルド・プグリエーセ>のスタイルを踏襲する多くの楽団の中でも傑出した存在。
2001年に分裂。
バンドネオン奏者<ロベルト・アルバレス>の楽団と、コントラバス奏者{アミルカル・トロサ}(Amilcar Tolosa)の指揮する楽団になった。
指揮されているこの楽団の現在のメンバーは第二バンドネオンに{エルナン・バルトロッチ}(Hernan Bartolozzi)、ヴァイオリン{フェルナンド・ロドリゲス}(Fernando Rodriguez)、ヴィオラ{ディエゴ・レレンデギ}(Diego Lerendegui)、キーボード{グスターボ・ウント}(Gustavo Hunt)、ピアノ{アナリア・ゴールドバーグ}(Analia Goldberg)、コントラバス{マヌエル・ゴメス}で構成されている。


(アストル・ピアソラ)
1955/Orquesta2/作曲、楽団、バンドネオン
タンゴ界の革命的な存在。
タンゴでありながら、伝統的なタンゴのリズムを使わない。
もしくは、タンゴにとらわれないバンドネオンの新ジャンルを構築。
伝統的なタンゴ時代
最初の時期は<ミゲル・カロー>、{フランシスコ・ラウロ}、<ガブリエル・クラウシ>の楽団に一時的に参加した。
1941年に<アニバル・トロイロ>楽団でデビュー。
1938年から1944年まで<アニバル・トロイロ>楽団に参加、そこでは初めて編曲も担当した。
その後歌手<フランシスコ・フィオレンティーノ>の伴奏楽団を指揮。
1944年にトロイロ楽団を脱退後、1946~49年には自己の楽団を率いた。
新しいタンゴ時代
1954年、タンゴに限界を感じたピアソラはクラシックの作曲家を目指してフランスへ留学。
1955年7月に帰国後、エレキギターを取り入れた{ブエノスアイレス八重奏団}を結成。
1958~60年、ピアソラは再びアメリカに。
1963年 新八重奏団。
1971年 - 1972年 九重奏団。
1978年 - 1988年 後期五重奏団。
1989年 六重奏団。


(アティリオ・スタンポーネ)
1950/Orquesta2/ピアノ
20歳の時、<アストル・ピアソラ>に自身の最初のオルケスタのメンバーとして招聘され、解散まで在籍した。
1950年代に{フェデリコ-スタンポーネ}楽団を結成し、自身の楽団を指揮する。
その後、再びピアソラに革命的な{ブエノスアイレス八重奏団}(Octeto Buenos Aires)に招かれる。
自らの楽団でおびただしい数の演奏と録音を行い、<ロベルト・ゴジェネチェ>とコンピレーションアルバムの録音もおこなった。
<アティリオ・スタンポーネ>が1964年に伝説のタンゴバー【カーニョ・カトルセ(Cano 14)】を創業
舞台には当時の名演奏家たちが出演している。


(セステート・ミロンゲーロ)
2006/Orquesta2/楽団、現役
2006年に<セステート・ミロンゲーロ>結成
今やアルゼンチン国内外のミロンガやフェスティバルで活躍するもっとも注目される若手グループ。
1940年代のレパートリーを再現し、古きよきタンゴを演奏。


(エル・アランケ)
1993/Orquesta2/楽団、現役
1990年代半ばに結成され、現在人気実力共に若手No.1のタンゴグループとして大活躍中
若手の中でトップクラスといわれている期待のグループ。
タンゴの一般的編成にギターを加えた7重奏で、さらに女性ボーカルが加わるナンバーも何曲か収録。
タンゴの伝統を守りつつも現代的なアレンジでヌエボ・タンゴを創造する
メロディーやリズムも明確で非常に聴き易くまた踊りやすい。


(オルケスタ・ティピカ・サン・ソーシー)
1998/Orquesta2/楽団
1998 年にブエノスアイレスで創設。
<ミゲル・カロー>と<オスマル・マデルナ>の典型的なオーケストラの音楽スタイル継承。


(ホアン・カルロス・カセレス)
1998/Orquesta2/カンドンベ
タンゴ、ミロンガ、ムルガ、カンドンベなどのリオ・デ・ラプラタ周辺の音楽家。
ウルグアイ、首都はモンテビデオ、西にアルゼンチン。
ラ・プラタ川は、アルゼンチンとウルグアイの間を流れる川。
リオ・デ・ラプラタは、パラナ川とウルグアイ川の合流によって形成された河口。


(ティピカタンガルト)
1999/Orquesta2/現代楽団
グループは1999年にグループを設立したJuanjo Passo。
1940年代から50年代の多種多様なレパートリーを音楽的、芸術的に演奏。


(トゥバタンゴ)
1967/Orquesta2/楽団
編成の特徴的で、チューバを中心とした低音楽器アンサンブルで、通常はタンゴに使われない楽器編成が大きな特徴です。
チューバ、ユーフォニアム、トロンボーンなどの金管低音楽器が主体のアルゼンチン・ブエノスアイレスのタンゴ楽団。
アルゼンチンタンゴを中心に演奏し、低音楽器特有の重厚で温かみのあるサウンド。
ピアソラなどの名曲を独自のアレンジで演奏し、伝統的なタンゴとは異なる新鮮な魅力を持っています。


(パブロ・シーグレル)
1978/Orquesta2/楽団
1978年に<アストル・ピアソラ>五重奏団に招かれた。
ピアソラとは1989年まで共に演奏。
その後、新しいタンゴのための四重奏団を結成し、それから数多くの国際的なタンゴ、ジャズ、室内楽のフェスティバルで演奏するなどキャリアを進めていった。
1992年にはニューオリンズの名誉市民に選ばれた。
ギター奏者{キケ・シネシ}(Quique Sinesi)のコラボ、バンドネオン奏者{ワルテル・カストロ}(Walter Castro)の参加で制作したアルバム【バホ・セロ】(Bajo Cero)で最優秀タンゴ・アルバム部門にてラテン・グラミー賞を受賞した。


(ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ)
1980/Orquesta2/楽団、現役
1980年、ブエノスアイレス市当局直属の組織として設立された。
ピアノ奏者<カルロス・ガルシーア>とバンドネオン奏者<ラウル・ガレーロ>指揮の下、当時現役だったタンゴ最良の演奏家たちを最初のメンバーとして集めた。
ガルシーアとガレーロの互いを補完する個性と、メンバーの万能性を支えていた。
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>は常にメンバーを刷新することを通じた、演奏者のレベルの高さで際立っている。
2006年、<カルロス・ガルシーア>の死去に伴い、{アルベルト・ガルシーア・ビジャファニェ} Alberto Garcia Villafane が<ラウル・ガレーロ>を補佐している。


(ロベルト・アルバレス)
1984/Orquesta2/楽団、バンドネオン、現役
1978年<オスバルド・プグリエーセ>楽団に参加、11年間、メンバー兼編曲者としてとどまり、1984年からは第1バンドネオンを担当。
1989年、<コロール・タンゴ>を結成、<オスバルド・プグリエーセ>スタイルの支流をつくる。
オランダ・ロッテルダム王立音楽院と{オルケスタ・エスクエラ・デル・タンゴ}から客員教員として招かれたことがあり、2002年、コロン劇場でおこなわれた。

(オルケスタ・ティピカ・フェルヴォル・デ・ブエノスアイレス)
2003/Orquesta2/現代楽団
2003年、ピアニスト兼指揮者の{ハビエル・アリアス}は、多くの若者がブエノスアイレスに興味を持っていた状況で、{オルケスタ・ティピカ・フェルヴォル・デ・ブエノスアイレス}を創設。


(エステバン・モルガード)
1990/Orquesta2/作曲、ギター
<エステバン・モルガード>は<ロベルト・ゴジェネチェ>、<スサーナ・リナルディ>、アドリアーナ・バレラ(Adriana Varela)等とステージやレコーディング・スタジオを共にした。
著名な歌手の伴奏、インストゥルメンタル四重奏団の指揮、教師として20年間に亘り精力的に活動している。
{ガブリエル・セナネス}(Gabriel Senanes)、{エクトル・スタフォリーニ}(Héctor Stafforini)、{マノロ・フアレス}(Manolo Juárez)に音楽を学び、歌手<ロベルト・ゴジェネチェ>のキャリアの最晩年にレコーディングを共にした。
また歌手<アドリアナ・バレーラ>のギターと音楽監督を務めた。
1990年代の半ばからは自身の四重奏団を持った。
メンバーはヴァイオリンに{キケ・コンドミ}(Quique Condomí)、バンドネオンに{ワルテル・カストロ}(Walter Castro)、コントラバスに{オラシオモノウルタード}(Horacio Mono Hurtado)によって構成された。
{ポルト・アレグレ・カンタ・タンゴス}(Porto Alegre canta Tangos)プロジェクトに参加し、歌手の<リディア・ボルダ>と共演した。


(ブエノスアイレス市のタンゴ管弦楽団)
1980/Orquesta2/現代楽団
ブエノスアイレス市政府音楽総局の常設アンサンブルで、ピアノ、コントラバス、バイオリン、バンドネオンからなる。
40年以上の経験を持つ40人の演奏家で構成されるブエノスアイレス・タンゴ・オーケストラは、今日最も重要なタンゴ・アンサンブルの一つです。
国内外の著名な会場で演奏するだけでなく、学校でのコンサートなどを通じて教育活動も行っています。


(タンゴ・バルド)
2015/Orquesta2/楽団
ミロンガで、「Loca」が掛かると、一気に盛り上がる。
ヴァイオリンLucas Furno
バンドネオンSantiago Polimeni
ピアノLorena Donvito
ベースJuan Miguens
歌手Roberto Minondi


(ロマンティカ・ミロンゲーラ)
2017/Orquesta2/楽団
2017年に「ロマンティカ・ミロンゲーラ」から、ミロンガで火が付き、人気は定着。
甘く切ない古典のアレンジで踊りやすい。


(ラ・フアン・ダリエンソ)
2015/Orquesta2/楽団
<フアン・ダリエンソ>の「電撃のリズム」の後継。
{カルロス・ラサリ}亡き後、{カルロス・ラサリ}の孫が現代に復活させた。


(オルケスタ・コントラティエンポ)
1980/Orquesta2/楽団
<アニバル・トロイロ>や<オスバルド・プグリエーセ>のスタイルを参考にして名曲を演奏する。
リーダーの<シルビーナ・パウレラ>の自作曲なども演奏する。
メンバーは、ピアノ・指揮・編曲・リーダー:<シルビーナ・パウレラ>
バンドネオン:{ホルヘ・ドナディオ}Jorge Donadio、{ミゲル・フラスカ}Miguel Frasca
ヴァイオリン:{フアン・B・ブリンガス}Juan B. Bringas、{アリシア・モラン}Alicia Moran
コントラバス:{ファビアン・ラペンタ}Fabian Lapenta。
また歌手として{ダニエル・リベラ}Daniel Rivera、{セリア・サイア}Celia Saiaが参加することがある。


(セステート・タンゴ)
1968/Orquesta2/楽団
1968年結成。
オリジナルメンバーは、<オスバルド・プグリエーセ>の楽団出身の演奏家で構成されていた。
初期の19年間は、バンドネオンに<オスバルド・ルジェーロ>と<ビクトル・ラバジェン>、ヴァイオリンに{オスカル・エレーロ}(Oscar Herrero)と<エミリオ・バルカルセ>、ピアノに<フリアン・プラサ>、コントラバスに{アルシーデス・ロッシ}(Alcides Rossi)劇団結成から不動のメンバーが続いた。
楽団最初の歌手は、{ホルヘ・マシエル}(Jorge Maciel)が参加
1974年にコロン劇場での出演者に名を連ねた時がこの楽団の絶頂期であった。
19年後の1987年、<ビクトル・ラバジェン>は楽団を離れる決意をする。

(フアン・ホセ・モサリーニ)
1992/Orquesta2/楽団、バンドネオン
<ホセ・バッソ>、<レオポルド・フェデリコ>、<オラシオ・サルガン>などの注目の楽団と共演し、1968年、<オスバルド・ルジェーロ>、<ビクトル・ラバジェン>、<フリアン・プラサ>等が<セステート・タンゴ>を結成する為に<オスバルド・プグリエーセ>の楽団を脱退した際に、<フアン・ホセ・モサリーニ>はオスバルド・プグリエーセに招かれた。
もう一人の<オスバルド・プグリエーセ>楽団の新メンバーだったバンドネオン奏者の{ダニエル・ビネリ}(Daniel Binelli)と1970年に{グアルディア・ヌエバ}五重奏団(Quinteto Guardia Nueva)を結成し、彼のキャリアにおける前衛主義が始まった。
1977年にフランスに移り住み、ピアノ奏者の{グスターボ・ベイテルマン}(Gustavo Beytelmann)、ギター奏者の{トーマス・グビッチ}(Tomas Gubitsch)、フルート奏者の{エンゾ・ヒエコ}(Enzo Gieco)等と{ティエンポ・アルヘンティーノ}(Tiempo Argentino)を結成する。
その後、楽団カンシェンゲ(Canyengue、パーカッションパートを持つ)、ベイテルマン、コントラバス奏者の{パトリセ・カラティーニ}(Patrice Caratini)との伝説のトリオの結成。
1992年には{グラン・オルケスタ・デ・タンゴ}(Gran Orquesta de Tango)を結成、その後10年間は主にバンドネオンのソリストとしてフランスの様々なオーケストラと演奏を続けている。
1980年代の半ばには文化省の依頼でバンドネオンの教則本制作の任を受け、1980年代の末にはジュヌヴィリエ音楽院にヨーロッパ初のバンドネオン学科を設立し、そこで教師を務めて、新たな世代の演奏家の育成に貢献している。

(エルビーノ・バルダーロ)
1930/Orquesta2/楽団、ヴァイオリン
1920年代の初めには<フアン・マグリオ>や<ロベルト・フィルポ>などの楽団で演奏を始める。
1925年から1932年まで<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>の第一ヴァイオリン奏者になる。
1930年代は自身の六重奏団を指揮した。
<フリオ・デ・カロ>派の流れの頂点を極めた。
1940年代1950年代は{シラルコ・オルティス}(Ciriaco Ortiz)、<オスバルド・フレセド>、<カルロス・ディ・サルリ>、<フルビオ・サラマンカ>、<ペドロ・マフィア>など多くの楽団指揮者に招かれ演奏し、それに加えて自身の楽団も指揮した。
1957年には七重奏団<ロス・アストロス・デル・タンゴ>のメンバーとなり、タンゴの名曲版を出した。
<アストル・ピアソラ>の{弦楽オーケストラ}(Orquesta de Cuerdas)と{ヌエボ・タンゴ}五重奏団(Quinteto Nuevo Tango)で1961年まで演奏する。
<アストル・ピアソラ>が彼に捧げたタンゴ曲バルダリート(Vardarito)がある。
(オルケスタ・ティピカ・ラ・フルカ)
1998/Orquesta2/若手楽団
1998年結成の若手楽団。
9人編成で、歌手も参加している。
40年代や50年代のオルケスタを復活させようと<オスバルド・プグリエーセ>の力強いスタイルを再現。
(オクテート・ブエノスアイレス)
1955/Orquesta2/ピアソラ
オクテート・ブエノスアイレスは、<アストル・ピアソラ>が1956年に結成したアンサンブルで
タンゴ界の革命的な存在。
タンゴでありながら、伝統的なタンゴのリズムを使わない。
もしくは、タンゴにとらわれないバンドネオンの新ジャンルを構築。