Tango Artist - Compositor

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Homero Manzi

(オメロ・マンシ)

1922/Compositor/作詞

<セバスティアン・ピアナ>と1931年にもこの分野の革新的作品となった「ミロンガ・センティメンタル」を作っている。
この作品によって新しいミロンガ・ポルテーニャの形式が始まった。
このコンビはさらに、まずまず人気を獲得した900のミロンガを続けて発表、詩人と作曲家による、タンゴ、ミロンガ、ワルツの多数のヒット作を生み出すコンビネーションを確立していった。
  <カトゥロ・カスティージョ>と<アニバル・トロイロ>は彼のオマージュとして【オメロに捧ぐ】を作った。
<オメロ・マンシ>は、1929年に歴史学の教員となった。
1930年のクーデターの後、反体制に転じ、1931年には民主主義擁護の活動で投獄された。

Francisco García Jiménez

(フランシスコ・ガルシーア・ヒメネス)

1969/Compositor/作詞、劇作家、ジャーナリスト

<フランシスコ・ガルシーア・ヒメネス>は、タンゴの歴史を語ってきた。
それは、<カルロス・ガルデル>、<イグナシオ・コルシーニ>、<アグスティン・マガルディ>、<チャルロ>などの大歌手たちが活躍有名曲に詞を提供したことで、彼自身もそのタンゴの歴史の重要な一部分を担っていた。
最晩年まで著作活動を続けた。

José María Contursi

(ホセ・マリア・コントゥルシ)

1935/Compositor/作詞

詩作の中からタンゴの名曲グリセルが生まれる。
1935年から1940年に頭角を現し始め、その後数十年に及び活躍する、異なる視点を持った芸術家の一人。
ラジオ・ステントルの司会者や、農務省の気象課の役人としても働いていた。
それからしばらくしてさらに、SADAIC(アルゼンチン音楽著作権協会)の役員になる。

Enrique Santos Discépolo

(エンリケ・サントス・ディセポロ)

1928/Compositor/作曲、作詞、俳優、映画監督

<エンリケ・サントス・ディセポロ>は、古道具屋やジーラ・ジーラなど作品を残す。
1928年に初演された今宵我よいしれては爆発的に人気をはくし、彼の曲は人気のあるオルケスタや歌手のレパートリーに登場するようになった。
1929年以降、歌手の<タニア>が彼と人生をともにするようになる。
ペロン党のために、ラジオ番組の脚本を書いたり、録音を行ったりしていた時期もあり、ペロニズム運動や政治に深くかかわった。

Enrique Cadícamo

(エンリケ・カディカモ)

1925/Compositor/作曲、作詞、映画監督

タンゴにおいて多くの作品の作者であり、約1300曲を残す。
<エンリケ・カディカモ>は演出家、脚本家、映画監督でもあった。
彼の膨大な作品には、教養あるスタイルからやくざなスタイル、ノスタルジックなスタイルから力強いスタイルまで多様。
<エンリケ・カディカモ>は<フアン・カルロス・コビアン>、<アニバル・トロイロ>、<マリアーノ・モーレス>、<エンリケ・デルフィーノ>といったほぼすべてのタンゴを代表するアーティストと共作している。

Ismael Spitalnik

(イスマエル・スピタルニク)

1937/Compositor/作曲、作詞

1924年に彼は始めてのタンゴ、たそがれのオルガニート(Organito de la tarde)を作曲し父の詩を使った。
初期の彼は父の残した詩を歌詞に使い作曲のみに専念した。
1937年に作詞家として活動を始めた。

Alfredo Le Pera

(アルフレド・レ・ペラ)

1935/Compositor/作詞、ジャーナリスト、劇作家、映画脚本家

<アルフレド・レ・ペラ>は、ロマンティックで感受性に優れた歌詞を得意とする。
<カルロス・ガルデル>と協力し、全世界で上映された彼の映画の有名な挿入歌とその脚本を作った。
<アルフレド・レ・ペラ>は、<カルロス・ガルデル>と共に1935年、コロンビアの飛行機事故で亡くなっている。

Cátulo Castillo

(カトゥロ・カスティージョ)

1937/Compositor/作曲、作詞

1937年に作詞家として活動を始めた。
<カトゥロ・カスティージョ>はマヌエル・デ・ファジャ音楽院(Conservatorio de Musica Manuel de Falla)の教師で校長でもあり、ジャーナリスト、劇作家、SADAIC(アルゼンチン音楽著作権協会)の会長と多くの顔を持った。

Angel Villoldo

(アンヘル・ビジョルド)

1907/Compositor/作曲、作詞、ギター

1903年のエル・ポルテニート(El portenito)を発表。
その後エル・エスキナソ(El esquinazo)ラ・カプリチョサ(La caprichosa)エル・チョクロ(El choclo)クイダド・コン・ロス・シンクエンタ(Cuidado con los cincuenta)などを作詞作曲。
みずから運営する音楽学校で教鞭をとり、ギター教則本を出版している。

Pascual Contursi

(パスクアル・コントゥルシ)

1917/Compositor/作詞、劇作家

1917年わが悲しみの夜、このたった1曲だけでも偉大な作詞家の仲間入りに値することだ。
<カルロス・ガルデル>が歌い、タンゴの歌詞に新たなコンセプトをもたらした。
劇作家に転じてからも、<パスクアル・コントゥルシ>はいくつかの作品を単独で、また当時の有名な作者との共作で残している。

Celedonio Flores

(セレドニオ・フローレス)

1920/Compositor/作詞

1919年、<カルロス・ガルデル>の要請でギター奏者{ホセ・リカルド}の曲がつけられ、マルゴーというタイトルで<カルロス・ガルデル>によって録音された。
女性歌手<ロシータ・キロガ>、<エドムンド・リベロ>、<フリオ・ソーサ>がいる。

Horacio Ferrer

(オラシオ・フェレール)

1959/Compositor/作詞、ジャーナリズム

フェレールは1955年に<アストル・ピアソラ>と知り合い、その後固い友情を結ぶ。
数年にわたって雑誌タンゲアンドを主宰した。
1956年から59年までバンドネオンを学んだ。
1959年には最初の本タンゴ、その歴史と発展を出版。
ジャーナリズムに転じ、エル・ディア紙の付録の編集者となった。
現在は彼自身が創設したアルゼンチン国立タンゴ・アカデミーの会長職にあり、オペラ【ブエノスアイレスのマリア】の再演に参加、世界中のタンゴの研究や普及の場の中心人物となっている。

Héctor Negro

(エクトル・ネグロ)

1960/Compositor/作詞、ジャーナリスト、現役

タンゴの詩に再びスポットが当てられるようになったのは、1960年代に起こった音楽的かつ詩的前衛主義によるものであり、<エクトル・ネグロ>はそれを象徴する存在であった。
彼はタンゴ国立学会とルンファルド・ブエノスアイレス学会のメンバーであり、教師としてタンゴ教育センターやタンゴ高等文化団体、コネックス財団タンゴ高等学院などで務め、ヨーロッパで講演を行ってもいる。
またロサリオ市で2000年に開かれたタンゴ世界サミットにも招待された。
ジャーナリストとしては長きに亘りクラリン紙で勤めた。