Tango Artist - Cafe De Los Maestros

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Alberto Podestá

(アルベルト・ポデスタ)

1940/Cafe De Los Maestros/作曲、男性歌手、ソロ、現役

<ミゲル・カロー>楽団の歌手としてデビュー。
2年後には<カルロス・ディ・サルリ>楽団に移り、ヒットさせ当時のもっとも人気ある歌手の一人となる。
<ペドロ・ラウレンス>楽団、<フランチーニ-ポンティエル>楽団の専属だった。
<エンリケ・フランチーニ>、<アルマンド・ポンティエル>、<エドガルド・ドナート>が1950年代後半までに彼に参加を要請した。
1940年代のスター歌手で、2004年にはアルバム録音のプロジェクト<カフェ・デ・ロス・マエストロス>に参加。

Leopoldo Federico

(レオポルド・フェデリコ)

1958/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、バンドネオン、現役

1958年に{ラディオ・ベルグラーノ}からの依頼で、自身の楽団を結成。
1940年代の伝統的なスタイルと、1950年代の前衛的でダイナミックなサウンドをオリジナルスタイルとして組みあわせており、オルケスタの音楽スタイルに昇華した。
<カルロス・ディ・サルリ>から<アストル・ピアソラ>まで、<レオポルド・フェデリコ>の才能を認めてきた。
<オスマル・マデルナ>、<オラシオ・サルガン>、<アルフレド・ゴビ>、<カルロス・ディ・サルリ>から呼び声がかかる。
<アストル・ピアソラ>とは、長年にわたる親交があり、ピアソラの楽団でも演奏。
タンゴ界の革命的な存在としての{オクテート・ブエノスアイレス}にも参加した。
歌手<フリオ・ソーサ>がソロ活動をしていた期間の伴奏を担当し、器楽演奏レパートリーの幅も広げる。
2003年から<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトに参加。
2005年には{セレクシオン・ナシオナル・デル・タンゴ}のメンバーとなった。

Emilio Balcarce

(エミリオ・バルカルセ)

1968/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、ヴァイオリン、バンドネオン、現役

1940年代半ば、歌手の<アルベルト・カスティージョ>が<リカルド・タントゥーリ>楽団からソロとして独立した際、<エミリオ・バルカルセ>は彼の伴奏楽団を率い、その時代の第一線で活躍する。
<アニバル・トロイロ>と<アルフレド・ゴビ>などのために、編曲も行っている。
1948年、<オスバルド・プグリエーセ>楽団に入団。
編曲家としては、20年間に渡って<オスバルド・プグリエーセ>楽団に必要とされ、作曲でもインスピレーションに溢れ、ラ・ボルドーナ(La bordona)シ・ソス・ブルッホ(Si sos brujo)などが有名。
<オスバルド・プグリエーセ>とは日本、ソ連、中国へのツアーを行い、1968年、他のメンバーたちと<オスバルド・プグリエーセ>楽団を辞し、<セステート・タンゴ>を結成した。
1999年{ブエノスアイレス市立タンゴ学校オーケストラ}(Orquesta Escuela de Tango de la Ciudad de Buenos Aires)の指揮者となり、若い音楽家たちにタンゴの歴史的なスタイルを伝え、この楽団とともに、コロン劇場を含むブエノスアイレスの主要劇場やパリでの公演を行っている。
2004年、<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトに参加。
2006年にはブエノスアイレス市の名誉市民に選ばれた。
2007年には{ブエノスアイレス市立タンゴ学校オーケストラ}の指揮を<ネストル・マルコーニ>に託して引退したが、オーケストラは今も<エミリオ・バルカルセ>の名を冠している。

Ernesto Baffa

(エルネスト・バッファ)

1959/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、バンドネオン

初めは、<オラシオ・サルガン>楽団で<レオポルド・フェデリコ>の後継として、後には<アニバル・トロイロ>楽団で、第1バンドネオンを任される存在として、1950年代からバンドネオンの代表的演奏家の一人であった。
また多作の作曲家としても知られている。
1953年、<オラシオ・サルガン>楽団に入る前、すでに<エクトル・スタンポーニ>、アルベルト・マンシオーネ Alberto Mancione、<アルフレド・ゴビ>、<ペドロ・ラウレンス>などの楽団、歌手のアルベルト・マリノ Alberto Marinoの伴奏楽団のメンバーだった。
1959年から1968年までは、<オスバルド・ベリンジェリ>と共に活動し始め、また<ウバルド・デ・リオ>と共にクアルテート・ドス・ポル・クアトロ Cuarteto 2x4を率いた。
<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトでは、<ウバルド・デ・リオ>のギター、<クリスティアン・サラテ>のピアノ、ガブリエル・デ・リオ Gabriel De Lio のギターなどによるキンテートによるもの。

Nicolás Ledesma

(ニコラス・レデスマ)

1992/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、ピアノ、現役

ブエノスアイレスに移った後、若手楽団{セステート・スール} Sexteto Surに参加、その後1992年<レオポルド・フェデリコ>楽団に参加し、現在に至っている。
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>に在籍し、<フリオ・パネ>からトリオのメンバーになるよう要請され、<アストル・ピアソラ>の音楽を演奏する。
<フェルナンド・スアレス・パス>五重奏団に参加した。
バイブラフォン奏者{ゲーリー・バートン} Gary Burton、日本のバンドネオン奏者<小松亮太>と共演、 栄誉ある<カフェ・デ・ロス・マエストロ>Cafe de los Maestrosプロジェクトにも参加した。
【ブエノスアイレス市立マヌエル・デ・ファリャ高等音楽院】Conservatorio Superior de Musica Manuel de Falla de Buenos Airesのタンゴ・コースの教育を担当している。

José Libertella

(ホセ・リベルテーラ)

1973/Cafe De Los Maestros/演奏家

若年にもかかわらず、彼は<オスマル・マデルナ>や<カルロス・ディ・サルリ>の楽団で最前列に並ぶようになった。
1973年には、<ルイス・スタソ>と<セステート・マジョール>を自身の楽団を結成する。
1981年、パリにタンゴバー【ブエノスアイレスの小道】(Trottoirs de Buenos Aires)をオープンした。
彼が音楽監督を務めた{クラウディオ・セゴビア}(Claudio Segovia)、{エクトル・オレソリ}(Hector Orezzoli)の【タンゴ・アルヘンティーノ】(Tango Argentino)は、ヨーロッパ、ブロードウェイで大成功をおさめた。
その後、【タンゴ・パシオン】・カンパニーを率いた。
国際的な成功のキーパーソン。
また<ホセ・リベルテーラ>はソリストとして<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトに参加し、ドキュメンタリー映画【アブラソス、ブエノスアイレスのタンゴ】(Abrazos, Tango en Buenos Aires)で主演の一人を務めた。

Cristóbal Repetto

(クリストバル・レペット)

2005/Cafe De Los Maestros/演奏家、現役

プロデューサーの<グスタボ・サンタオラージャ>は、<クリストバル・レペット>のソロとしての初アルバムをプロデュースし、この間、<バホフォンド・タンゴ・クラブ>にゲストとして招き、前代未聞のスタイルの異種交配を生んだ。
2005年には1940年代から1950年代に活躍したタンゴの巨匠たちを一堂に会するプロジェクト<カフェ・デ・ロス・マエストロス>にゲストとして参加し、歌手{フアン・カルロス・ゴドイ}(Juan Carlos Godoy)と{アルマ・エン・ペーナ}(Alma en pena)を録音した。

Osvaldo Requena

(オスバルド・レケーナ)

2004/Cafe De Los Maestros/楽団、ピアノ、現役

1982年には{市立フォルクローレ楽団}(Orquesta Folklorica Municipal)の責任者となり、その1年後の1983年から1991年まで{国立フアン・デ・デォス・フィリベルト・アルゼンチン音楽オルケスタ}(Orquesta Nacional de Musica Argentina Juan de Dios Filiberto)の指揮を務めた。
2004年には、<グスタボ・サンタオラージャ>と{グスタボ・モッシ}(Gustavo Mozzi)がプロデュースしたプロジェクト<カフェ・デ・ロス・マエストロス>の管弦楽用の編曲を担当し、ピアノ奏者としても参加した。
<レオポルド・フェデリコ>とバンドネオンとピアノのデュオを結成。
2004年にはヴァイオリン奏者の<フェルナンド・スアレス・パス>とデュオを結成し、彼と{エン・ブランコ・イ・ネグロ}(En blanco y negro)を作曲した。

Lágrima Ríos

(ラグリマ・リオス)

2000/Cafe De Los Maestros/女性歌手、現役

2000年にはパリのソルボンヌで公演を行った。
往年の巨匠たちを集めるプロジェクト<カフェ・デ・ロス・マエストロス>に参加し、ギター奏者<アニバル・アリアス>の伴奏でグスターボ・サンタオララ(Gustavo Santaolalla)とデュオで活躍。
また<バホフォンド・タンゴ・クラブ>のゲストとしてブエノスアイレスで公演を行った。

Aníbal Arias

(アニバル・アリアス)

1980/Cafe De Los Maestros/ギター、現役

1969年、<アニバル・トロイロ>に請われて彼の四重奏団に参加、1975年に<アニバル・トロイロ>が死去するまで楽団のメンバーとして活躍した。
1980年以降、<カルロス・ガルシーア>と<ラウル・ガレーロ>のふたりが指揮する<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>にソリストとして参加する。
また同じ時期に、バンドネオニストの<オスバルド・モンテス>とデュオを組み、ヨーロッパツアーや、日本公演を重ねている。
<アニバル・アリアス>は、アベジャネダ・ポピュラー音楽学校の創設メンバーのひとりで、若い世代に歴史的なスタイルを伝えるキーパーソンでもある。
ウルグアイの歌手<ラグリマ・リオス>や<グスタボ・サンタオラージャ>とともに<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プ ロジェクトに参加。

Gustavo Santaolalla

(グスタボ・サンタオラージャ)

2001/Cafe De Los Maestros/作曲、プロデューサー、現役

<グスタボ・モッシ>と、1940年代や1950年代の未だ現役で活躍する偉大なタンゴアーティストと接触し、レコード製作プロジェクト<カフェ・デ・ロス・マエストロス>を制作する。
また、ヌエボタンゴである<バホフォンド・タンゴ・クラブ>に携わっている。

Gustavo Mozzi

(グスタボ・モッシ)

2005/Cafe De Los Maestros/作曲、演奏家

タンゴ・ダンス世界選手権本戦、ブエノスアイレス市タンゴ・ダンス選手権などの総合指揮をとるなど、ブエノスアイレスのタンゴプロデュースに欠かせない人材。
現在でも活躍中の40年代50年代のタンゴの巨匠たちを一同に会するプロジェクト<カフェ・デ・ロス・マエストロス>のプロデュースを<グスタボ・サンタオラージャ>と行い、その一環として撮影された同名のドキュメンタリー映画世界主要都市で公開されつつある。
また、同名のダブル・アルバムでは2005年ガルデル賞を受賞している。

Fernando Suarez Paz

(フェルナンド・スアレス・パス)

1973/Cafe De Los Maestros/楽団、ヴァイオリン

若い頃からタンゴを始め、<オラシオ・サルガン>、<ミゲル・カロー>、<ペドロ・ラウレンス>、<アニバル・トロイロ>、{マリアーノ・モーレス}、{アティリオ・スタンポーネ}、<レオポルド・フェデリコ>やその他の楽団にソロ奏者として加わった。
1973年にデビューした<セステート・マジョール>では結成時の初期メンバーだった。
1978年に<アストル・ピアソラ>の後期五重奏団(Quinteti Nuevo Tango)に編入する。
その後10年間、この楽団で幅広く世界ツアーを行う。
この頃ピアソラは彼のためにエスクアロ(Escualo)という曲を作曲している。
1996年にはバンドネオンの楽曲を演奏するために、ピアソラの楽団を真似て五重奏団を結成している。
<フェルナンド・スアレス・パス>は国立交響楽団(la Orquesta Sinfonica Nacional)に在籍したほか、17年間の{ブエノスアイレス交響楽団}(la Filarmonica de Buenos Aires)など、クラシック音楽での長期にわたるキャリアがある。
<カフェ・デ・ロス・マエストロス>では{オルケスタティピカ・ロス・マエストロス}の弦楽団のフロントマンに<フェルナンド・スアレス・パス>が迎え入れられた。

Ubaldo De Lio

(ウバルド・デ・リオ)

1960/Cafe De Los Maestros/作曲、ギター、現役

1957年レティーロ地区の店でキューバ音楽を演奏している時、<オラシオ・サルガン>と一緒に演奏してみないかという提案を受ける。
以来サルガンとのドゥオはほぼ50年にわたって続いており、世界中を廻り、絶賛を浴びた。
1960年からこのドゥオを格として、<キンテート・レアル>が結成され、メンバーを変えつつ、2004年からはセサル・サルガン(Cesar Salgan)が父オラシオに代わってデ・リオの傍らで演奏している。
<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトで<エルネスト・バッファ>五重奏団のメンバーでもある。

Virginia Luque

(ビルヒニア・ルーケ)

1980/Cafe De Los Maestros/女性歌手

1930年代のドラマチックな女性歌手たちの流れを引き継いだ女性歌手。
タンゴ歌手としては今日まで半世紀以上活躍を続け、アルゼンチンと中米では30本以上の映画に出演。
<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトにも参加。