Tango Artist - ロベルト・フィルポ

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Roberto Firpo

(ロベルト・フィルポ)

1924/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

ピアノ奏者で作曲家の<アルフレド・ベビラクア>の指導で音楽の知識を体系化した。
<ロベルト・フィルポ>は、楽団編成にピアノを組み込むことに決定的役割を果たした。
1913年、キャバレー【アルメノンビル】 (Armenonville)で自己の楽団でデビューした。
楽団メンバーとして在籍したのは、<エドゥアルド・アローラス>、 ヴァイオリンの{ティト・ロカタグリアータ} (Tito Roccatagliata)、後年には、<ペドロ・マフィア>、<エルビーノ・バルダーロ>、<オスバルド・プグリエーセ>、<カルロス・ガルシーア>などがいた。
オデオンの5大楽団」のひとつ。

Osvaldo Pugliese

(オスバルド・プグリエーセ)

1939/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

ピアノを<アンヘル・ダゴスティーノ>、{テネンソフ、エスカラムーサ}、{ルビオーネ}に学んだ。
<ロベルト・フィルポ>、<ペドロ・マフィア>の楽団でも演奏した。
<エルビーノ・バルダーロ>と楽団を結成した時にはすでに最良のピアニストの一人と考えられていた。
その後の<ペドロ・ラウレンス>、<アルフレド・ゴビ>、ダニエル・アルバレス、<ミゲル・カロー>楽団でも演奏した。
1939年から自己の楽団を率い、デ・カロ楽派の素晴らしい結実した。
それは乾いた、短く、反抗的な打音にあらわれる思いの集約であり、しかし決してタンゴからやさしさを奪ってはいない。
特徴的なリズムはジュンバと呼ばれる。
<オスバルド・プグリエーセ>楽団に属した音楽家 ●バンドネオン奏者 <オスバルド・ルジェーロ> <ホルヘ・カルダーラ> <フリアン・プラサ> <ビクトル・ラバジェン> <フアン・ホセ・モサリーニ> <エミリオ・バルカルセ> ●ヴァイオリン奏者 {エンリケ・カメラーノ} {オスカル・エレーロ} {シモン・バジュール} {マウリシオ・マルチェリ} ●コントラバス奏者 {アニセト・ロッシ} {アルシーデス・ロッシ} {フェルナンド・ロマーノ} ●ピアノ奏者 {オスバルド・マンシ} <アルマンド・クーポ> {エルネスト・ロメロ}

Ariel Pedernera

(アリエル・ペデルネーラ)

1961/member/コントラバス

自身の楽団を持ったほか、{ホセ・ルイス・パドゥーラ}や<ロベルト・フィルポ>、<ミゲル・カロー>、<フランシスコ・カナロ>の楽団で活躍した。

Francisco Lomuto

(フランシスコ・ロムート)

1923/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

1922年には自身のオーケストラを持ち、1922年から1950年の間に950曲以上を録音しました タンゴの特徴は、減七度で終わる独特のエンディングで、力強いビートを持つ。
<フランシスコ・カナロ>や<ロベルト・フィルポ>と同時期のアーティストでタンゴの黄金時代を作った。
オデオンの5大楽団」のひとつ。

Roberto Firpo

(ロベルト・フィルポ)

1924/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

ピアノ奏者で作曲家の<アルフレド・ベビラクア>の指導で音楽の知識を体系化した。
<ロベルト・フィルポ>は、楽団編成にピアノを組み込むことに決定的役割を果たした。
1913年、キャバレー【アルメノンビル】 (Armenonville)で自己の楽団でデビューした。
楽団メンバーとして在籍したのは、<エドゥアルド・アローラス>、 ヴァイオリンの{ティト・ロカタグリアータ} (Tito Roccatagliata)、後年には、<ペドロ・マフィア>、<エルビーノ・バルダーロ>、<オスバルド・プグリエーセ>、<カルロス・ガルシーア>などがいた。
オデオンの5大楽団」のひとつ。

Juan Guido

(フアン・ギド)

1930/member/バンドネオン

<ロベルト・フィルポ>でバンドネオンを弾いていたのち独立

Florindo Sassone

(フロリンド・サッソーネ)

1947/Orquesta/楽団、ヴァイオリン

1931年に<ロベルト・フィルポ>の楽団に加わり、1933年には<オスバルド・フレセド>の楽団に移り、その楽団のスタイルは彼に強い影響を与えた。
1936年に<フランシスコ・アモール>を歌手にはじめて自身の楽団を結成する。
1947年に、歌手<ホルヘ・カサル>と共演したその後人気を得た。
<ホルヘ・カサル>が去った後、<オスバルド・プグリエーセ>の楽団を離れたばかりだった<ロベルト・チャネル>が加わる。
その他、共演した歌手には、<アンヘル・ディアス>などがいた。
また<オスバルド・レケーナ>、{ルシアーノ・レオカタ}(Luciano Leocata)、{アルマンド・クーポ}(Armando Cupo)なども彼の楽団に所属した。
1972年にはコロン劇場の舞台に立った。
自身の楽団とは別に、人気の{セステート・ドン・フロリンド}(Sexteto Don Florindo)の指揮も行った。

Francisco Fiorentino

(フランシスコ・フィオレンティーノ)

1937/Canta/作曲、男性歌手、バンドネオン、ソロ

<フランシスコ・カナロ>楽団にバンドネオン奏者として参加、<フランシスコ・フィオレンティーノ>は最終的に歌手としてのみ知られるようになるまで、バンドネオンと歌の間で揺れ動く時期を長く過ごした。
1928年からさまざまな有名楽団で活動したにもかかわらず、広く知られた彼の最良の時期は<アニバル・トロイロ>と一緒だった1937年から1944年まで。
トロイロとのコンビはリフレイン歌手の最高の芸。
<フアン・カルロス・コビアン>(1928年)、<フランシスコ・カナロ>(1929年)、<ロベルト・フィルポ>(1929年)、<フアン・ダリエンソ>(1929年)、<アンヘル・ダゴスティーノ>(1930年)、<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>(1931年)、<ペドロ・マフィア>(1931年)、<リカルド・マレルバ>(1936年)、<フランシスコ・フィオレンティーノ>は<オルランド・ゴニ>楽団の歌手<アストル・ピアソラ>指揮のソロ歌手となった。
<イスマエル・スピタルニク>になった(1946年)。
<ホセ・バッソ>楽団(1948-1949年)、その後{アルベルト・マンシオーネ} Alberto Macione 楽団(1950-1951年)、最後は{プグリア=ペドローサ} Puglia-Pedroza楽団(1951-1952年)に参加した。

Carlos García

(カルロス・ガルシーア)

1960/Orquesta/楽団、ピアノ

1932年には、<ロベルト・フィルポ>のオルケスタ・ティピカにピアノ奏者として加入した。
1936年から1938年まで<セバスティアン・ピアナ>の代理として、歌手<メルセデス・シモーネ>のレコーディングやライブに伴奏のトリオの一員として参加している。
1946年には教鞭をとり始め、ソリストとしての演奏や、フォルクローレ楽団の指揮も行った。
1960年からはラジオ局【LS1ラジオ・ムニシパル】(Radio Municipal)にて、1983年まで所属したオデオン・レーベルと同様に音楽顧問を務めた。
1980年代から先の<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>で、<カルロス・ガルシーア>はもっとも伝統的な曲々の編曲を担当した。

Elvino Vardaro

(エルビーノ・バルダーロ)

1930/Orquesta2/楽団、ヴァイオリン

1920年代の初めには<フアン・マグリオ>や<ロベルト・フィルポ>などの楽団で演奏を始める。
1925年から1932年まで<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>の第一ヴァイオリン奏者になる。
1930年代は自身の六重奏団を指揮した。
<フリオ・デ・カロ>派の流れの頂点を極めた。
1940年代1950年代は{シラルコ・オルティス}(Ciriaco Ortiz)、<オスバルド・フレセド>、<カルロス・ディ・サルリ>、<フルビオ・サラマンカ>、<ペドロ・マフィア>など多くの楽団指揮者に招かれ演奏し、それに加えて自身の楽団も指揮した。
1957年には七重奏団<ロス・アストロス・デル・タンゴ>のメンバーとなり、タンゴの名曲版を出した。
<アストル・ピアソラ>の{弦楽オーケストラ}(Orquesta de Cuerdas)と{ヌエボ・タンゴ}五重奏団(Quinteto Nuevo Tango)で1961年まで演奏する。
<アストル・ピアソラ>が彼に捧げたタンゴ曲バルダリート(Vardarito)がある。

Horacio Salgán

(オラシオ・サルガン)

1944/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ、監督

14歳の頃、<ロベルト・フィルポ>のオーケストラのメンバーギタリストの<ウバルド・デ・リオ>と活動を始始める。
1944年から自身のオーケストラの指揮を取り、その中には<レオポルド・フェデリコ>や<エルネスト・バッファ>で、歌手は、<エドムンド・リベロ>や<アンヘル・ディアス>、<ロベルト・ゴジェネチェ>。
1959年に<オラシオ・サルガン>をリーダーとして結成された五重奏。
当初のメンバーはピアノのサルガンの他、ヴァイオリン<エンリケ・フランチーニ>、バンドネオン<ペドロ・ラウレンス>、エレキギター<ウバルド・デ・リオ>、コントラバス{ラファエル・フェロ}。
その後メンバーの死去等もあり<アントニオ・アグリ>、<レオポルド・フェデリコ>、<ネストル・マルコーニ>らと交代。
彼は、アカデミックな音楽、ブラジル音楽、ジャズ、民俗音楽など、さまざまな要素を取り入れたて、数々の名作を生み出した。
1983年、【タンゴ・アルヘンティーノ】(Tango Argentino) のオリジナルキャストとして参加。

Pedro Maffia

(ペドロ・マフィア)

1925/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン

<ペドロ・マフィア>は、バンドネオン奏者の手本となった。
<ロベルト・フィルポ>、<ルイス・ペトルチェリ>、<リカルド・ルイス>、<フアン・カルロス・コビアン>らと演奏した。
1924年から26年まで有名な<フリオ・デ・カロ>の六重奏団に参加。
その後、自己の楽団を率いた。

Gabriel Clausi

(ガブリエル・クラウシ)

1930/Orquesta/作曲、バンドネオン

演奏家として、彼はソロ演奏を好み、<ペドロ・マフィア>の感性と技術を受け継ぐ。
<フアン・マグリオ>、<フランシスコ・プラカニコ>、<ロベルト・フィルポ>、<フリオ・デ・カロ>、<オスバルド・フレセド>などで共演している。
1940年代には、<ガブリエル・クラウシ>楽団を結成し、その後10年以上滞在することになるチリに渡り活躍する。
若き日の<アストル・ピアソラ>も短期間滞在した。
21世紀に、ファンからの要望を受けてロックバン{ドロス・ピオホス}とゲストとして共演するなど、他ジャンルにも活躍の場を広げていた。

Orlando Goñi

(オルランド・ゴニ)

1943/Orquesta/楽団、ピアノ

1937年<アニバル・トロイロ>が自分の楽団を結成する時に、<オルランド・ゴニ>を呼んだ。
完璧にさまざまなリズムをコンビネーションしつつ楽団全体を前に進めていくピアノ。
<ミゲル・カロー>、{マヌエル・ブソン}、<アンセルモ・アイエタ>、<フアン・カルロス・コビアン>の楽団のピアニストをつとめた。
異なるスタイルを持った4人のリーダーのもとで、彼の経験は豊かなものになっていった。
  1943年、自己の楽団を結成。
バンドネオンに{アントニオ・リオス} Antonio Rios、<ロベルト・フィルポ>、{エドゥアルド・ロビラ} Eduardo Rovira 、{ルイス・ボナット} Luis Bonnat 、ヴァイオリンに{ロランド・クルセル} Rolando Curcel、{ホセ・アマトリアン} Jose Amatriain、{アントニオ・ブランコ} Antonio Blanco、{エミリオ・ゴンサレス} Emilio Gonzalez、コントラバスに{ドミンゴ・ドナルーマ} Domingo Donarumaといったメンバー。
歌手は、<フランシスコ・フィオレンティーノ>、{アントニオ・ロドリゲス・レセンデ} Antonio Rodriguez Lesende、{オスバルド・カブレーラ} Osvaldo Cabrera、{ラウル・アルダオ} Raul Aldaoが交替で参加していった。

Agesilao Ferrazzano

(アヘシラオ・フェラサーノ)

1926/Orquesta/作曲、楽団、ヴァイオリン

<ロベルト・フィルポ>や<フランシスコ・カナロ>の楽団で演奏した 1927年に{フリオ・ポジェーロ}(Julio Pollero)と楽団を持った。

Rafael Rossi

(ラファエル・ロッシ)

1927/Orquesta/作曲、バンドネオン

<フアン・マグリオ>楽団や{ホセ・マルティネス}楽団に所属したのち、1927年、一度自身の四重奏団を持ったがそのあと<ロベルト・フィルポ>の楽団に所属した。
彼の書いた曲は、<カルロス・ガルデル>にもたくさん歌われている。

Ciriaco Ortiz

(シリアコ・オルティス)

1925/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン

あまりに個性的なフレージングで際立っている。
<ロベルト・フィルポ>楽団で、<ペドロ・マフィア>の代役をつとめたことで注目を集めた。
1925年設立時から、<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>のメンバーであり、その他にも{バルダロ=プグリエーセ}楽団 (Vardaro-Pugliese)、<カルロス・ガルデル>を伴奏した。
自己の楽団としては <オルケスタ・ティピカ・ロス・プロビンシアーノス>の設立

Raúl Garello

(ラウル・ガレーロ)

1974/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、現役

ブエノスアイレスでは【LR3ラディオ・ベルグラーノ】の専属オーケストラのメンバーとなり、 その後<レオポルド・フェデリコ>の代わりに<ロベルト・フィルポ>・イホの四重奏団のメンバーとなった。
<カルロス・ダンテ>、<アルベルト・モラン>など歌手の伴奏楽団でも活動し、{ロベルト・パンセーラ}、<オラシオ・サルガン>楽団のメンバーでもあった。
その後、<アニバル・トロイロ>楽団に入団し、 1967年、それ以降、<ラウル・ガレーロ>はトロイロ楽団のすべての編曲の責任者となり、 1975年まで輝かしいキャリアを積んだ。
1974年自己の六重奏団を結成、録音も始めた。
まもなく楽団編成は拡大し、1977年の時点ではメンバーが27名にものぼった。
1980年、ピアノ奏者の<カルロス・ガルシーア>と共に、 <ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>の指揮を引き受けた。
当初からガルシーアは古典的なテーマ、<ラウル・ガレーロ>は現代的なテーマを割り当てられた。
2003年にはブエノスアイレス名誉市民に任命された。

Alfredo Bevilacqua

(アルフレド・ベビラクア)

1900/Orquesta/作曲、ピアノ

<アルフレド・ベビラクア>は、<ロベルト・フィルポ>に音楽の体系を指導した。

Eduardo Arolas

(エドゥアルド・アローラス)

1914/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン

バンドネオンの演奏技術が未発達だった時代、<エドゥアルド・アローラス>は、当時としてはズバ抜けた才能からバンドネオンの虎(El Tigre del Bandoneon)と呼ばれるようになった。
<ロベルト・フィルポ>とは、キャバレー【アルメノンビル】で共演している。