Tango Artist - ロベルト・ゴジェネチェ

Orquesta(81)  Canta(104)  member(37)  Orquesta2(31)  Electronica(21)  Compositor(13)  Cafe De Los Maestros(15)  

Roberto Goyeneche

(ロベルト・ゴジェネチェ)

1952/Canta/男性歌手、ソロ

1950年代の<オラシオ・サルガン>、<アニバル・トロイロ>といった楽団の専属歌手。
年齢からくる声の衰えを、あふれる表現力、感情、感傷を描ききることでカヴァーした。
トロイロ楽団には1963年まで在団し、その頃には歌唱力を磨きあげ、彼は個性的で表現豊かなスタイルを強調するようになっていた。
その後、<アルマンド・ポンティエル>、<アストル・ピアソラ>、<アティリオ・スタンポーネ>、<ラウル・ガレーロ>などの伴奏で歌っている。
1960~70年代にソロ歌手となり、人々の敬意を受ける身となった。
1983年にパリでスタートした 【タンゴ・アルヘンティーノ】の最初のメンバーに選ばれ、 ピノ・ソラナス監督の映画によって国際的な注目を得た。
1988年には日本公演

Atilio Stampone

(アティリオ・スタンポーネ)

1950/Orquesta2/ピアノ

20歳の時、<アストル・ピアソラ>に自身の最初のオルケスタのメンバーとして招聘され、解散まで在籍した。
1950年代に{フェデリコ-スタンポーネ}楽団を結成し、自身の楽団を指揮する。
その後、再びピアソラに革命的な{ブエノスアイレス八重奏団}(Octeto Buenos Aires)に招かれる。
自らの楽団でおびただしい数の演奏と録音を行い、<ロベルト・ゴジェネチェ>とコンピレーションアルバムの録音もおこなった。
<アティリオ・スタンポーネ>が1964年に伝説のタンゴバー【カーニョ・カトルセ(Cano 14)】を創業 舞台には当時の名演奏家たちが出演している。

Roberto Pansera

(ロベルト・パンセーラ)

1949/member/バンドネオン

彼は独学でバンドネオンの演奏を学び始め、1940年代の前半になり、{ドミンゴ・S・フェデリコ}(Domingo S. Federico)に師事するようになる。
1945年にフェデリコの勧めで<フアン・カルロス・コビアン>の楽団に<ロベルト・パンセーラ>は所属する。
それからしばらくしてヴァイオリン奏者<エンリケ・フランチーニ>、バンドネオン奏者{アルマンド・ポンティエル}(Armando Pontier)の楽団に加入する。
彼のバンドネオンの才能と技巧が認められ、さらに編曲家としての独創性から、明らかに時代を先取りジャズと現代音楽の調和という実験音楽を求めていた<オスバルド・フレセド>に招かれた。
<オスバルド・フレセド>の楽団に編曲家として<ロベルト・パンセーラ>の加入後、楽団は戦中戦後に聴かれていたアメリカのビッグ・バンド的な雰囲気を帯び始めた。
1955年に<アストル・ピアソラ>はより野心的でタンゴ史における最上のものを求め{ブエノスアイレス八重奏団}(Octeto Buenos Aires)を結成するために<ロベルト・パンセーラ>を招聘した。
その1年後、<オスバルド・フレセド>の楽団に戻り、かつて経営したナイトクラブで演奏するようになった。
彼のスタイルは本質的に<アニバル・トロイロ>的であり、歌手たちから伴奏をもっとも求められる人物の一人となった。
彼は{ウゴ・マルセル}(Hugo Marcel)、<ロベルト・ゴジェネチェ>、{ウーゴ・デル・カリル}(Hugo del Carril)など数多くの歌手たちの伴奏を務めた。
彼はアルゼンチン音楽著作権協会(SADAIC)の会長を1982年から務め、同年ユネスコの国際音楽会議のアルゼンチン代表となった。

Esteban Morgado

(エステバン・モルガード)

1990/Orquesta2/作曲、ギター

<エステバン・モルガード>は<ロベルト・ゴジェネチェ>、<スサーナ・リナルディ>、アドリアーナ・バレラ(Adriana Varela)等とステージやレコーディング・スタジオを共にした。
著名な歌手の伴奏、インストゥルメンタル四重奏団の指揮、教師として20年間に亘り精力的に活動している。
{ガブリエル・セナネス}(Gabriel Senanes)、{エクトル・スタフォリーニ}(Héctor Stafforini)、{マノロ・フアレス}(Manolo Juárez)に音楽を学び、歌手<ロベルト・ゴジェネチェ>のキャリアの最晩年にレコーディングを共にした。
また歌手<アドリアナ・バレーラ>のギターと音楽監督を務めた。
1990年代の半ばからは自身の四重奏団を持った。
メンバーはヴァイオリンに{キケ・コンドミ}(Quique Condomí)、バンドネオンに{ワルテル・カストロ}(Walter Castro)、コントラバスに{オラシオモノウルタード}(Horacio Mono Hurtado)によって構成された。
{ポルト・アレグレ・カンタ・タンゴス}(Porto Alegre canta Tangos)プロジェクトに参加し、歌手の<リディア・ボルダ>と共演した。

Dominguez Juanjo

(フアンホ・ドミンゲス)

1940/member/ギター

14歳で最初の録音を経験。
弟と共に<ロドルフォ・レシーカ>、<アルベルト・エチャグエ>、<アルベルト・ポデスタ>、<アルベルト・モラン>など伝説的な歌手を伴奏した。
長く幅広い共演歴の中では{ウゴ・マルセル}、<ネストル・ファビアン>、<ルベン・フアレス>、<ビルヒニア・ルーケ>、<カルロス・アクーニャ>、<マリア・グラーニャ>と共演、<ロベルト・ゴジェネチェ>とのアンソロジカルな録音で共演した。

Osvaldo Tarantino

(オスバルド・タランティーノ)

1940/member/作曲、ピアニスト、監督

1940年代、<ペドロ・マフィア>や<エドガルド・ドナート>、<アルヘンティーノ・ガルバン>のオーケストラと共に共演。
<エクトル・バレラ>のグループに加わり、<アルフレド・ゴビ>のオーケストラに加わる。
1960年代、<アストル・ピアソラ>の五重奏団、1972年には{グループコンフント9}( Conjunto 9)を結成。
ラウル・ガレロ(Raul Garello)と演奏し、<オラシオ・フェレール>と共演。
1980年代、<ネストル・マルコーニ>やアンヘル・リドルフィ(Angel Ridolfi)、また<ルベン・フアレス>や伝説の<ロベルト・ゴジェネチェ>と舞台【カフェ・オメロ】(Cafe Homero) にて共演。
歌手として有名な<アルベルト・マリノ>や<エドムンド・リベロ>伴奏を務める。

Horacio Salgán

(オラシオ・サルガン)

1944/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ、監督

14歳の頃、<ロベルト・フィルポ>のオーケストラのメンバーギタリストの<ウバルド・デ・リオ>と活動を始始める。
1944年から自身のオーケストラの指揮を取り、その中には<レオポルド・フェデリコ>や<エルネスト・バッファ>で、歌手は、<エドムンド・リベロ>や<アンヘル・ディアス>、<ロベルト・ゴジェネチェ>。
1959年に<オラシオ・サルガン>をリーダーとして結成された五重奏。
当初のメンバーはピアノのサルガンの他、ヴァイオリン<エンリケ・フランチーニ>、バンドネオン<ペドロ・ラウレンス>、エレキギター<ウバルド・デ・リオ>、コントラバス{ラファエル・フェロ}。
その後メンバーの死去等もあり<アントニオ・アグリ>、<レオポルド・フェデリコ>、<ネストル・マルコーニ>らと交代。
彼は、アカデミックな音楽、ブラジル音楽、ジャズ、民俗音楽など、さまざまな要素を取り入れたて、数々の名作を生み出した。
1983年、【タンゴ・アルヘンティーノ】(Tango Argentino) のオリジナルキャストとして参加。

Osvaldo Berlingieri

(オスバルド・ベリンジェリ)

1950/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

1944年歌手<エクトル・マウレ>の伴奏楽団に始まる。
その後<ドミンゴ・フェデリコ>、{ホアキン・ド・レジェス}(Joaquin Do Reyes)、<エドガルド・ドナート>、{ミゲル・カロー}(Miguel Calo)などの楽団に参加した。
1956年、<アニバル・トロイロ>の楽団に参加するまでは、歌手<ラウル・イリアルテ>の伴奏を務め、その後の<アニバル・トロイロ>楽団への参加。
<アニバル・トロイロ>楽団には約10年在籍し、その時期に決定的な自身のスタイルを確立。
力強いタンゴリズムを持ちながらも、ジャズの影響を受けた、タンゴにはあまりないコードや装飾を加えたことで、表現力豊かなスタイルを確立した。
<アニバル・トロイロ>楽団での仕事と並行して、{ロス・モデルノス}、{ロス・ノタブレス・デル・タンゴ}、<エルネスト・バッファ>との共同主宰による楽団とトリオにも参加した。
<アニバル・トロイロ>楽団を離れた後、<エルネスト・バッファ>との共演は1970年まで続いた。
その後のプロジェクトは、バンドネオン<レオポルド・フェデリコ>、コントラバス{オラシオ・カバルコス}とのトリオであった。
ヒットした歌手は、<ロベルト・ゴジェネチェ>との共演アルバムから、<オスバルド・タランティーノ>とのピアノ・ドゥオによる不思議なアルバムまで多数の録音を残している。
【タンゴ・アルゼンチーノ】の音楽監督を務めた。

Luis Stazo

(ルイス・スタソ)

1959/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、現役

1949年に<アルヘンティーノ・ガルバン>楽団に参加。
1949年以降、当時第一線で活躍していた有名ソロ奏者が指揮を取る様々な楽団で活躍し、10年後には、歌手の<アンヘル・バルガス>の伴奏指揮を引き受ける。
1959年から1965年にかけて、{アルフレド・デ・アンヘリス}楽団に初めてのバンドネオン奏者として参加していた。
<ロベルト・ゴジェネチェ>のアルバム ラ・マキシマ・エスプレシオン・デ・タンゴ(La Maxima Expresion del Tango)にポラコとの共演が収録されている。
1973年には、<オスマル・マデルナ>のオーケストラで活躍した時代からの旧友<ホセ・リベルテーラ>と、第一線で活躍する選り抜きのソロ奏者4人ともに<セステート・マジョール>を結成する。
この<セステート・マジョール>は世界にその名を知り渡らせる楽団のひとつとまでとなり、【タンゴ・アルヘンティーノ】(Tango Argentino)後に、【タンゴ・パシオン】(Tango Pasion)が世界で立て続けに公演されていった。
<ホセ・リベルテーラ>の死後(2004年)<ルイス・スタソ>も<セステート・マジョール>から離れ、{スタソ・マジョール}三重奏楽団(el trio StazoMayor)を結成しバンドネオン奏者、編曲担当として指揮を取っている。
メンバーはギターリストの{ココ・ベレガッティ}(Coco Belegatti)とコントラバス奏者の{カスペル・ドンケ}(Kaspar Domke)。

Angel Díaz

(アンヘル・ディアス)

1956/Canta/男性歌手

<ロベルト・ゴジェネチェ>へ影響を強く与えた実力派の歌手であった。
1947年に<フロリンド・サッソーネ>の楽団ボーカルとしてデビューする。
1950年にピアノ奏者<オラシオ・サルガン>の楽団に参加し、その頃、新進の歌手<ロベルト・ゴジェネチェ>と知り合う。
1956年から<アンヘル・ディアス>はソリストとして活動。
<ロベルト・ゴジェネチェ>の名声により<アンヘル・ディアス>にも再び注目が集まり、パレルモ地区の【カフェ・オメーロ】での夜間興行で遅ればせながらの共演を果たした。