Tango Artist - レオポルド・フェデリコ

Orquesta(81)  Canta(104)  member(37)  Orquesta2(31)  Electronica(21)  Compositor(13)  Cafe De Los Maestros(15)  

Leopoldo Federico

(レオポルド・フェデリコ)

1958/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、バンドネオン、現役

1958年に{ラディオ・ベルグラーノ}からの依頼で、自身の楽団を結成。
1940年代の伝統的なスタイルと、1950年代の前衛的でダイナミックなサウンドをオリジナルスタイルとして組みあわせており、オルケスタの音楽スタイルに昇華した。
<カルロス・ディ・サルリ>から<アストル・ピアソラ>まで、<レオポルド・フェデリコ>の才能を認めてきた。
<オスマル・マデルナ>、<オラシオ・サルガン>、<アルフレド・ゴビ>、<カルロス・ディ・サルリ>から呼び声がかかる。
<アストル・ピアソラ>とは、長年にわたる親交があり、ピアソラの楽団でも演奏。
タンゴ界の革命的な存在としての{オクテート・ブエノスアイレス}にも参加した。
歌手<フリオ・ソーサ>がソロ活動をしていた期間の伴奏を担当し、器楽演奏レパートリーの幅も広げる。
2003年から<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトに参加。
2005年には{セレクシオン・ナシオナル・デル・タンゴ}のメンバーとなった。

Leopoldo Federico

(レオポルド・フェデリコ)

1958/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、バンドネオン、現役

1958年に{ラディオ・ベルグラーノ}からの依頼で、自身の楽団を結成。
1940年代の伝統的なスタイルと、1950年代の前衛的でダイナミックなサウンドをオリジナルスタイルとして組みあわせており、オルケスタの音楽スタイルに昇華した。
<カルロス・ディ・サルリ>から<アストル・ピアソラ>まで、<レオポルド・フェデリコ>の才能を認めてきた。
<オスマル・マデルナ>、<オラシオ・サルガン>、<アルフレド・ゴビ>、<カルロス・ディ・サルリ>から呼び声がかかる。
<アストル・ピアソラ>とは、長年にわたる親交があり、ピアソラの楽団でも演奏。
タンゴ界の革命的な存在としての{オクテート・ブエノスアイレス}にも参加した。
歌手<フリオ・ソーサ>がソロ活動をしていた期間の伴奏を担当し、器楽演奏レパートリーの幅も広げる。
2003年から<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトに参加。
2005年には{セレクシオン・ナシオナル・デル・タンゴ}のメンバーとなった。

Montes Osvaldo

(オスバルド・モンテス)

1983/member/作曲、バンドネオン

ブエノスアイレスで {エミリオ・オルランド} Emilio Orlando、{ミゲル・ニヘンソン} Miguel Nijenshon、<ミゲル・カロー>、<エンリケ・フランチーニ>で演奏する。
1962年<レオポルド・フェデリコ>率いる、人気絶頂期の歌手<フリオ・ソーサ>の伴奏楽団に参加する。
その他<アティリオ・スタンポーネ>、<オラシオ・サルガン>、<マリアーノ・モーレス>楽団に参加、特に<マリアーノ・モーレス>とは10年近く共演、さまざまな海外公演にも同行した。
1983年から<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>のメンバー。
1980年代末には、<アントニオ・アグリ>の日本ツアーに参加、フランスではギター奏者{シロ・ペレス} Ciro Perezと演奏した。
ピアノの<カルロス・ガルシーア>とのドゥオ、ギターの<アニバル・アリアス>とのドゥオで録音を行っている。

Pablo Agri

(パブロ・アグリ)

1990/member/ヴァイオリン

1990年代後半には、タンゴのキャリアをスタートさせ、<オスバルド・ベリンジェリ>、<オラシオ・サルガン>、<フリアン・プラサ>らと共演。
<レオポルド・フェデリコ>楽団へも参加するようになる。
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>に参加。
のちに、{コロン劇場専属オーケストラ}(Orquesta Estable del Teatro Colon)と{アベジャネーダ交響楽団}(Orquesta Sinfonica de Avellaneda)のメンバーとなる。

Ernesto Baffa

(エルネスト・バッファ)

1959/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、バンドネオン

初めは、<オラシオ・サルガン>楽団で<レオポルド・フェデリコ>の後継として、後には<アニバル・トロイロ>楽団で、第1バンドネオンを任される存在として、1950年代からバンドネオンの代表的演奏家の一人であった。
また多作の作曲家としても知られている。
1953年、<オラシオ・サルガン>楽団に入る前、すでに<エクトル・スタンポーニ>、アルベルト・マンシオーネ Alberto Mancione、<アルフレド・ゴビ>、<ペドロ・ラウレンス>などの楽団、歌手のアルベルト・マリノ Alberto Marinoの伴奏楽団のメンバーだった。
1959年から1968年までは、<オスバルド・ベリンジェリ>と共に活動し始め、また<ウバルド・デ・リオ>と共にクアルテート・ドス・ポル・クアトロ Cuarteto 2x4を率いた。
<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトでは、<ウバルド・デ・リオ>のギター、<クリスティアン・サラテ>のピアノ、ガブリエル・デ・リオ Gabriel De Lio のギターなどによるキンテートによるもの。

Julio Sosa

(フリオ・ソーサ)

1949/Canta/作詞、男性歌手

1949年に<エンリケ・フランチーニ>、<アルマンド・ポンティエル>のオーディションを受け、こちらは即決で歌手契約をとる。
1953年に<フランシスコ・ロトゥンド>の楽団に移り、この時期の1955年6月から1960年8月まで、その頃すでに<エンリケ・フランチーニ>と袂を分かっていた<アルマンド・ポンティエル>指揮する楽団に参加、このふたりは素晴らしいパートナーシップを発揮した。
その後ソーサ自身の大きな飛躍となるソリストとしての独立につながる。
1961年5月、<レオポルド・フェデリコ>の楽団の伴奏で、レコーディングを始める。
<レオポルド・フェデリコ>の精巧な伴奏とともに、<フリオ・ソーサ>は人気絶頂の1964年に事故に遭い息を引き取った。
彼は歌手で他に文筆家としての才能もみせ、新聞にコラムを書いていた。

Julio Pane

(フリオ・パネ)

1989/member/作曲、楽団、バンドネオン、教師

<フリオ・パネ>が在籍した楽団は、<オラシオ・サルガン>、<エンリケ・フランチーニ>、オスバルド・マンシ(Osvaldo Manzi)、<アルマンド・ポンティエル>、<アティリオ・スタンポーネ>、<エクトル・スタンポーニ>、<ミゲル・カロー>、<ホセ・バッソ>、<レオポルド・フェデリコ>、<オスバルド・タランティーノ>、<アストル・ピアソラ>六重奏団 (Sexteto de Astor Piazzolla) <ラウル・ガレーロ>と<カルロス・ガルシーア>を指揮者にむかえ、1982年に設立された<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>には、83年にソリスタとして参加し、現在もこのオルケスタでも活動している。
1992年、ドラムの{ダニエル・ピアソラ}(Daniel Piazzolla)と、<アストル・ピアソラ>のコンフント・エレクトロニコ(Conjunto Electrónico) を再結成したグループに参加。
このグループはアルバム1枚と数シーズンの公演の後解散した。
2002年、ブエノスアイレスのコロン劇場(Teatro Colón)に自身のトリオで出演。
{イルド・パトリアルカ}(Ildo Patriarca)、<フアンホ・ドミンゲス>と共演。

Nicolás Ledesma

(ニコラス・レデスマ)

1992/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、ピアノ、現役

ブエノスアイレスに移った後、若手楽団{セステート・スール} Sexteto Surに参加、その後1992年<レオポルド・フェデリコ>楽団に参加し、現在に至っている。
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>に在籍し、<フリオ・パネ>からトリオのメンバーになるよう要請され、<アストル・ピアソラ>の音楽を演奏する。
<フェルナンド・スアレス・パス>五重奏団に参加した。
バイブラフォン奏者{ゲーリー・バートン} Gary Burton、日本のバンドネオン奏者<小松亮太>と共演、 栄誉ある<カフェ・デ・ロス・マエストロ>Cafe de los Maestrosプロジェクトにも参加した。
【ブエノスアイレス市立マヌエル・デ・ファリャ高等音楽院】Conservatorio Superior de Musica Manuel de Falla de Buenos Airesのタンゴ・コースの教育を担当している。

Osvaldo Requena

(オスバルド・レケーナ)

2004/Cafe De Los Maestros/楽団、ピアノ、現役

1982年には{市立フォルクローレ楽団}(Orquesta Folklorica Municipal)の責任者となり、その1年後の1983年から1991年まで{国立フアン・デ・デォス・フィリベルト・アルゼンチン音楽オルケスタ}(Orquesta Nacional de Musica Argentina Juan de Dios Filiberto)の指揮を務めた。
2004年には、<グスタボ・サンタオラージャ>と{グスタボ・モッシ}(Gustavo Mozzi)がプロデュースしたプロジェクト<カフェ・デ・ロス・マエストロス>の管弦楽用の編曲を担当し、ピアノ奏者としても参加した。
<レオポルド・フェデリコ>とバンドネオンとピアノのデュオを結成。
2004年にはヴァイオリン奏者の<フェルナンド・スアレス・パス>とデュオを結成し、彼と{エン・ブランコ・イ・ネグロ}(En blanco y negro)を作曲した。

Hector Maure

(エクトル・マウレ)

1940/Canta/男性歌手、ソロ

1937年には<アンセルモ・アイエタ>楽団で活躍。
<フアン・ダリエンソ>のリフレイン・ボーカルとして大成功をおさめ、1945年にソロ歌手として活動を始めたころから、<カルロス・ガルデル>類されている歌手で、タンゴ界のスターとして認知されるようになった。
ソロ歌手としての長いキャリアを通して、<エクトル・バレラ>、<リト・エスカルソ>、<ホルヘ・ドラゴーネ>、<レオポルド・フェデリコ>などの楽団や、ギター奏者の<ロベルト・グレラ>とも共演した。

Roberto Grela

(ロベルト・グレラ)

1943/member/ギター

<ロベルト・マイダ>の伴奏指揮などをしたのち、<アニバル・トロイロ>や<レオポルド・フェデリコ>と組んで成功した。

Fernando Suarez Paz

(フェルナンド・スアレス・パス)

1973/Cafe De Los Maestros/楽団、ヴァイオリン

若い頃からタンゴを始め、<オラシオ・サルガン>、<ミゲル・カロー>、<ペドロ・ラウレンス>、<アニバル・トロイロ>、{マリアーノ・モーレス}、{アティリオ・スタンポーネ}、<レオポルド・フェデリコ>やその他の楽団にソロ奏者として加わった。
1973年にデビューした<セステート・マジョール>では結成時の初期メンバーだった。
1978年に<アストル・ピアソラ>の後期五重奏団(Quinteti Nuevo Tango)に編入する。
その後10年間、この楽団で幅広く世界ツアーを行う。
この頃ピアソラは彼のためにエスクアロ(Escualo)という曲を作曲している。
1996年にはバンドネオンの楽曲を演奏するために、ピアソラの楽団を真似て五重奏団を結成している。
<フェルナンド・スアレス・パス>は国立交響楽団(la Orquesta Sinfonica Nacional)に在籍したほか、17年間の{ブエノスアイレス交響楽団}(la Filarmonica de Buenos Aires)など、クラシック音楽での長期にわたるキャリアがある。
<カフェ・デ・ロス・マエストロス>では{オルケスタティピカ・ロス・マエストロス}の弦楽団のフロントマンに<フェルナンド・スアレス・パス>が迎え入れられた。

Pablo Mainetti

(パブロ・マイネッティ)

1990/member/バンドネオン、現役

彼が共演したミュージシャンは、<アティリオ・スタンポーネ>、{ラウル・ガレーロ}(Raul Garello)、<フリオ・パネ>、<レオポルド・フェデリコ>、<フリアン・プラサ>、<セステート・マジョール>、<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>、<アストル・ピアソラ>の楽団を再現した{エレクトロニコ八重奏団}(Octeto Electronico)など。
彼の五重奏団はアルバム【トレス・リンコネス】(Tres rincones)で2004年ラテン・グラミー賞最優秀タンゴ・アルバム部門にノミネートされている。

Juan José Mosalini

(フアン・ホセ・モサリーニ)

1992/Orquesta2/楽団、バンドネオン

<ホセ・バッソ>、<レオポルド・フェデリコ>、<オラシオ・サルガン>などの注目の楽団と共演し、1968年、<オスバルド・ルジェーロ>、<ビクトル・ラバジェン>、<フリアン・プラサ>等が<セステート・タンゴ>を結成する為に<オスバルド・プグリエーセ>の楽団を脱退した際に、<フアン・ホセ・モサリーニ>はオスバルド・プグリエーセに招かれた。
もう一人の<オスバルド・プグリエーセ>楽団の新メンバーだったバンドネオン奏者の{ダニエル・ビネリ}(Daniel Binelli)と1970年に{グアルディア・ヌエバ}五重奏団(Quinteto Guardia Nueva)を結成し、彼のキャリアにおける前衛主義が始まった。
1977年にフランスに移り住み、ピアノ奏者の{グスターボ・ベイテルマン}(Gustavo Beytelmann)、ギター奏者の{トーマス・グビッチ}(Tomas Gubitsch)、フルート奏者の{エンゾ・ヒエコ}(Enzo Gieco)等と{ティエンポ・アルヘンティーノ}(Tiempo Argentino)を結成する。
その後、楽団カンシェンゲ(Canyengue、パーカッションパートを持つ)、ベイテルマン、コントラバス奏者の{パトリセ・カラティーニ}(Patrice Caratini)との伝説のトリオの結成。
1992年には{グラン・オルケスタ・デ・タンゴ}(Gran Orquesta de Tango)を結成、その後10年間は主にバンドネオンのソリストとしてフランスの様々なオーケストラと演奏を続けている。
1980年代の半ばには文化省の依頼でバンドネオンの教則本制作の任を受け、1980年代の末にはジュヌヴィリエ音楽院にヨーロッパ初のバンドネオン学科を設立し、そこで教師を務めて、新たな世代の演奏家の育成に貢献している。

Osvaldo Jose Montes

(オスバルド・ホセ・モンテス)

1980/member/バンドネオン

ギター奏者の<アニバル・アリアス>との共演でも知られる 以前は{ホセ・サラ}などのもとで修業したのち、<ミゲル・カロー>、<レオポルド・フェデリコ>、<アティリオ・スタンポーネ>で活躍していた。

Horacio Salgán

(オラシオ・サルガン)

1944/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ、監督

14歳の頃、<ロベルト・フィルポ>のオーケストラのメンバーギタリストの<ウバルド・デ・リオ>と活動を始始める。
1944年から自身のオーケストラの指揮を取り、その中には<レオポルド・フェデリコ>や<エルネスト・バッファ>で、歌手は、<エドムンド・リベロ>や<アンヘル・ディアス>、<ロベルト・ゴジェネチェ>。
1959年に<オラシオ・サルガン>をリーダーとして結成された五重奏。
当初のメンバーはピアノのサルガンの他、ヴァイオリン<エンリケ・フランチーニ>、バンドネオン<ペドロ・ラウレンス>、エレキギター<ウバルド・デ・リオ>、コントラバス{ラファエル・フェロ}。
その後メンバーの死去等もあり<アントニオ・アグリ>、<レオポルド・フェデリコ>、<ネストル・マルコーニ>らと交代。
彼は、アカデミックな音楽、ブラジル音楽、ジャズ、民俗音楽など、さまざまな要素を取り入れたて、数々の名作を生み出した。
1983年、【タンゴ・アルヘンティーノ】(Tango Argentino) のオリジナルキャストとして参加。

Damián Bolotin

(ダミアン・ボロティン)

2005/member/ヴァイオリン、現役

<レオポルド・フェデリコ>、<フリアン・プラサ>、<オラシオ・サルガン>、<アティリオ・スタンポーネ>、<ロドルフォ・メデーロス>、<ネストル・マルコーニ>などに参加

Aldo Calderon

(アルド・カルデロン)

1928/Canta/男性歌手

<フランシスコ・ロトゥンド>や<アニバル・トロイロ>、<レオポルド・フェデリコ>などで活躍。

Osvaldo Berlingieri

(オスバルド・ベリンジェリ)

1950/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

1944年歌手<エクトル・マウレ>の伴奏楽団に始まる。
その後<ドミンゴ・フェデリコ>、{ホアキン・ド・レジェス}(Joaquin Do Reyes)、<エドガルド・ドナート>、{ミゲル・カロー}(Miguel Calo)などの楽団に参加した。
1956年、<アニバル・トロイロ>の楽団に参加するまでは、歌手<ラウル・イリアルテ>の伴奏を務め、その後の<アニバル・トロイロ>楽団への参加。
<アニバル・トロイロ>楽団には約10年在籍し、その時期に決定的な自身のスタイルを確立。
力強いタンゴリズムを持ちながらも、ジャズの影響を受けた、タンゴにはあまりないコードや装飾を加えたことで、表現力豊かなスタイルを確立した。
<アニバル・トロイロ>楽団での仕事と並行して、{ロス・モデルノス}、{ロス・ノタブレス・デル・タンゴ}、<エルネスト・バッファ>との共同主宰による楽団とトリオにも参加した。
<アニバル・トロイロ>楽団を離れた後、<エルネスト・バッファ>との共演は1970年まで続いた。
その後のプロジェクトは、バンドネオン<レオポルド・フェデリコ>、コントラバス{オラシオ・カバルコス}とのトリオであった。
ヒットした歌手は、<ロベルト・ゴジェネチェ>との共演アルバムから、<オスバルド・タランティーノ>とのピアノ・ドゥオによる不思議なアルバムまで多数の録音を残している。
【タンゴ・アルゼンチーノ】の音楽監督を務めた。

José Colángelo

(ホセ・コランジェロ)

1942/Orquesta/楽団、ピアノ

1940年代・50年代は<エドゥアルド・ロビラ>編曲での演奏をおこなった。
また歌手{エドゥアルド・ソラノ}(Eduardo Solano)の伴奏も務めた。
1959年には<オラシオ・サルガン>楽団のメンバーとラジオ局【LR3ラジオ・ベルグラーノ】の番組に出演。
1962年、<レオポルド・フェデリコ>に招かれ、歌手<フリオ・ソーサ>のピアノ伴奏をし、<フリオ・ソーサ>が1964年に亡くなるまでともにレコーディングをおこなった。
また<ホセ・コランジェロ>は、<ネストル・マルコーニ>、{オマル・ムルタフ}(Omar Murtagh)、<アニバル・アリアス>とともにカルテットを結成する。

Raúl Garello

(ラウル・ガレーロ)

1974/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、現役

ブエノスアイレスでは【LR3ラディオ・ベルグラーノ】の専属オーケストラのメンバーとなり、 その後<レオポルド・フェデリコ>の代わりに<ロベルト・フィルポ>・イホの四重奏団のメンバーとなった。
<カルロス・ダンテ>、<アルベルト・モラン>など歌手の伴奏楽団でも活動し、{ロベルト・パンセーラ}、<オラシオ・サルガン>楽団のメンバーでもあった。
その後、<アニバル・トロイロ>楽団に入団し、 1967年、それ以降、<ラウル・ガレーロ>はトロイロ楽団のすべての編曲の責任者となり、 1975年まで輝かしいキャリアを積んだ。
1974年自己の六重奏団を結成、録音も始めた。
まもなく楽団編成は拡大し、1977年の時点ではメンバーが27名にものぼった。
1980年、ピアノ奏者の<カルロス・ガルシーア>と共に、 <ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>の指揮を引き受けた。
当初からガルシーアは古典的なテーマ、<ラウル・ガレーロ>は現代的なテーマを割り当てられた。
2003年にはブエノスアイレス名誉市民に任命された。