Tango Artist - リカルド・タントゥーリ

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Ricardo Tanturi

(リカルド・タントゥーリ)

1937/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

1937年にはラジオ局【LR1ラジオ・エル・ムンド】(El Mundo)と契約し、レコーディング開始。
リズミカルで踊りやすい伝統的なタンゴを演奏した。
<リカルド・タントゥーリ>楽団。
<アルベルト・カスティージョ>がボーカルとして所属するなど、40年代初頭にヒットしたタンゴ・オルケスタとなった。

Emilio Balcarce

(エミリオ・バルカルセ)

1968/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、ヴァイオリン、バンドネオン、現役

1940年代半ば、歌手の<アルベルト・カスティージョ>が<リカルド・タントゥーリ>楽団からソロとして独立した際、<エミリオ・バルカルセ>は彼の伴奏楽団を率い、その時代の第一線で活躍する。
<アニバル・トロイロ>と<アルフレド・ゴビ>などのために、編曲も行っている。
1948年、<オスバルド・プグリエーセ>楽団に入団。
編曲家としては、20年間に渡って<オスバルド・プグリエーセ>楽団に必要とされ、作曲でもインスピレーションに溢れ、ラ・ボルドーナ(La bordona)シ・ソス・ブルッホ(Si sos brujo)などが有名。
<オスバルド・プグリエーセ>とは日本、ソ連、中国へのツアーを行い、1968年、他のメンバーたちと<オスバルド・プグリエーセ>楽団を辞し、<セステート・タンゴ>を結成した。
1999年{ブエノスアイレス市立タンゴ学校オーケストラ}(Orquesta Escuela de Tango de la Ciudad de Buenos Aires)の指揮者となり、若い音楽家たちにタンゴの歴史的なスタイルを伝え、この楽団とともに、コロン劇場を含むブエノスアイレスの主要劇場やパリでの公演を行っている。
2004年、<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトに参加。
2006年にはブエノスアイレス市の名誉市民に選ばれた。
2007年には{ブエノスアイレス市立タンゴ学校オーケストラ}の指揮を<ネストル・マルコーニ>に託して引退したが、オーケストラは今も<エミリオ・バルカルセ>の名を冠している。

Alberto Castillo

(アルベルト・カスティージョ)

1943/Canta/男性歌手、ソロ、作詞

1940年に<リカルド・タントゥーリ>率いるオルケスタ、ロス・インディオス(Los Indios)の歌手となり、その人気はオルケスタを凌駕するものとなる。
1943年には本格的にソリストとして活動するために<リカルド・タントゥーリ>から離れる。
最晩年まで活動を続け、90代の時には国内のポップ・ロックバンド {ロス・アウテンティコス・デカデンテス}(Los Autenticos Decadentes)に招かれたりした。

Ricardo Tanturi

(リカルド・タントゥーリ)

1937/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

1937年にはラジオ局【LR1ラジオ・エル・ムンド】(El Mundo)と契約し、レコーディング開始。
リズミカルで踊りやすい伝統的なタンゴを演奏した。
<リカルド・タントゥーリ>楽団。
<アルベルト・カスティージョ>がボーカルとして所属するなど、40年代初頭にヒットしたタンゴ・オルケスタとなった。

Roberto Chanel

(ロベルト・チャネル)

1943/Canta/男性歌手、ギター

当初<ロベルト・チャネル>は<オスバルド・プグリエーセ>の第一歌手ではなく、前には{マリオ・ドレエ}(Mario Doree)、{ロベルト・ベルトラン}(Roberto Beltran)、<アルベルト・アモール>、{アマデオ・マンダリーノ}(Amadeo Mandarino)、{アウグスト・ガウティエル}(Augusto Gauthier)などが居た。
1943年頃には第一歌手となり、聴衆はすぐにこのオルケスタと歌手のコンビを受け入れた。
また、<リカルド・タントゥーリ>、<エンリケ・カンポス>と<オスバルド・プグリエーセ>、<ロベルト・チャネル>はレパートリー曲を共有していた。
プグリエーセの人気曲を<リカルド・タントゥーリ>の楽団が弾き、<リカルド・タントゥーリ>の人気曲を<オスバルド・プグリエーセ>の楽団が弾いていた。

Enrique Campos

(エンリケ・カンポス)

1940/Canta/男性歌手

<リカルド・タントゥーリ>が率いるオーケストラにて<アルベルト・カスティージョ>の座を引き継いだ。
1940年代を代表する歌手の一人とされている。
<リカルド・タントゥーリ>との成功はオルケスタを継続すると同時に、1946年の4月、ギター伴奏でソリストシンガーとなる事を可能にした。
しかしながら1947年の3月には、<フランシスコ・ロトゥンド>のバックボーカルに逆戻りしてしまう。
1952年には{ロベルト・カロ}のオルケスタ歌手となり、その2年後、<フランシスコ・ロトゥンド>との三度目の時期を迎える。
その後、ソロに専念。

Roberto Videla

(ロベルト・ビデラ)

1934/Canta/男性歌手

<リカルド・タントゥーリ>で活躍。