Tango Artist - ラウル・ガレーロ

Orquesta(81)  Canta(104)  member(37)  Orquesta2(31)  Electronica(21)  Compositor(13)  Cafe De Los Maestros(15)  

Raúl Garello

(ラウル・ガレーロ)

1974/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、現役

ブエノスアイレスでは【LR3ラディオ・ベルグラーノ】の専属オーケストラのメンバーとなり、 その後<レオポルド・フェデリコ>の代わりに<ロベルト・フィルポ>・イホの四重奏団のメンバーとなった。
<カルロス・ダンテ>、<アルベルト・モラン>など歌手の伴奏楽団でも活動し、{ロベルト・パンセーラ}、<オラシオ・サルガン>楽団のメンバーでもあった。
その後、<アニバル・トロイロ>楽団に入団し、 1967年、それ以降、<ラウル・ガレーロ>はトロイロ楽団のすべての編曲の責任者となり、 1975年まで輝かしいキャリアを積んだ。
1974年自己の六重奏団を結成、録音も始めた。
まもなく楽団編成は拡大し、1977年の時点ではメンバーが27名にものぼった。
1980年、ピアノ奏者の<カルロス・ガルシーア>と共に、 <ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>の指揮を引き受けた。
当初からガルシーアは古典的なテーマ、<ラウル・ガレーロ>は現代的なテーマを割り当てられた。
2003年にはブエノスアイレス名誉市民に任命された。

Julio Pane

(フリオ・パネ)

1989/member/作曲、楽団、バンドネオン、教師

<フリオ・パネ>が在籍した楽団は、<オラシオ・サルガン>、<エンリケ・フランチーニ>、オスバルド・マンシ(Osvaldo Manzi)、<アルマンド・ポンティエル>、<アティリオ・スタンポーネ>、<エクトル・スタンポーニ>、<ミゲル・カロー>、<ホセ・バッソ>、<レオポルド・フェデリコ>、<オスバルド・タランティーノ>、<アストル・ピアソラ>六重奏団 (Sexteto de Astor Piazzolla) <ラウル・ガレーロ>と<カルロス・ガルシーア>を指揮者にむかえ、1982年に設立された<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>には、83年にソリスタとして参加し、現在もこのオルケスタでも活動している。
1992年、ドラムの{ダニエル・ピアソラ}(Daniel Piazzolla)と、<アストル・ピアソラ>のコンフント・エレクトロニコ(Conjunto Electrónico) を再結成したグループに参加。
このグループはアルバム1枚と数シーズンの公演の後解散した。
2002年、ブエノスアイレスのコロン劇場(Teatro Colón)に自身のトリオで出演。
{イルド・パトリアルカ}(Ildo Patriarca)、<フアンホ・ドミンゲス>と共演。

Roberto Goyeneche

(ロベルト・ゴジェネチェ)

1952/Canta/男性歌手、ソロ

1950年代の<オラシオ・サルガン>、<アニバル・トロイロ>といった楽団の専属歌手。
年齢からくる声の衰えを、あふれる表現力、感情、感傷を描ききることでカヴァーした。
トロイロ楽団には1963年まで在団し、その頃には歌唱力を磨きあげ、彼は個性的で表現豊かなスタイルを強調するようになっていた。
その後、<アルマンド・ポンティエル>、<アストル・ピアソラ>、<アティリオ・スタンポーネ>、<ラウル・ガレーロ>などの伴奏で歌っている。
1960~70年代にソロ歌手となり、人々の敬意を受ける身となった。
1983年にパリでスタートした 【タンゴ・アルヘンティーノ】の最初のメンバーに選ばれ、 ピノ・ソラナス監督の映画によって国際的な注目を得た。
1988年には日本公演

Aníbal Arias

(アニバル・アリアス)

1980/Cafe De Los Maestros/ギター、現役

1969年、<アニバル・トロイロ>に請われて彼の四重奏団に参加、1975年に<アニバル・トロイロ>が死去するまで楽団のメンバーとして活躍した。
1980年以降、<カルロス・ガルシーア>と<ラウル・ガレーロ>のふたりが指揮する<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>にソリストとして参加する。
また同じ時期に、バンドネオニストの<オスバルド・モンテス>とデュオを組み、ヨーロッパツアーや、日本公演を重ねている。
<アニバル・アリアス>は、アベジャネダ・ポピュラー音楽学校の創設メンバーのひとりで、若い世代に歴史的なスタイルを伝えるキーパーソンでもある。
ウルグアイの歌手<ラグリマ・リオス>や<グスタボ・サンタオラージャ>とともに<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プ ロジェクトに参加。

Orquesta del Tango de Buenos Aires

(ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ)

1980/Orquesta2/楽団、現役

1980年、ブエノスアイレス市当局直属の組織として設立された。
ピアノ奏者<カルロス・ガルシーア>とバンドネオン奏者<ラウル・ガレーロ>指揮の下、当時現役だったタンゴ最良の演奏家たちを最初のメンバーとして集めた。
ガルシーアとガレーロの互いを補完する個性と、メンバーの万能性を支えていた。
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>は常にメンバーを刷新することを通じた、演奏者のレベルの高さで際立っている。
2006年、<カルロス・ガルシーア>の死去に伴い、{アルベルト・ガルシーア・ビジャファニェ} Alberto Garcia Villafane が<ラウル・ガレーロ>を補佐している。

Pablo Mainetti

(パブロ・マイネッティ)

1990/member/バンドネオン、現役

彼が共演したミュージシャンは、<アティリオ・スタンポーネ>、{ラウル・ガレーロ}(Raul Garello)、<フリオ・パネ>、<レオポルド・フェデリコ>、<フリアン・プラサ>、<セステート・マジョール>、<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>、<アストル・ピアソラ>の楽団を再現した{エレクトロニコ八重奏団}(Octeto Electronico)など。
彼の五重奏団はアルバム【トレス・リンコネス】(Tres rincones)で2004年ラテン・グラミー賞最優秀タンゴ・アルバム部門にノミネートされている。

Raúl Garello

(ラウル・ガレーロ)

1974/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、現役

ブエノスアイレスでは【LR3ラディオ・ベルグラーノ】の専属オーケストラのメンバーとなり、 その後<レオポルド・フェデリコ>の代わりに<ロベルト・フィルポ>・イホの四重奏団のメンバーとなった。
<カルロス・ダンテ>、<アルベルト・モラン>など歌手の伴奏楽団でも活動し、{ロベルト・パンセーラ}、<オラシオ・サルガン>楽団のメンバーでもあった。
その後、<アニバル・トロイロ>楽団に入団し、 1967年、それ以降、<ラウル・ガレーロ>はトロイロ楽団のすべての編曲の責任者となり、 1975年まで輝かしいキャリアを積んだ。
1974年自己の六重奏団を結成、録音も始めた。
まもなく楽団編成は拡大し、1977年の時点ではメンバーが27名にものぼった。
1980年、ピアノ奏者の<カルロス・ガルシーア>と共に、 <ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>の指揮を引き受けた。
当初からガルシーアは古典的なテーマ、<ラウル・ガレーロ>は現代的なテーマを割り当てられた。
2003年にはブエノスアイレス名誉市民に任命された。