Tango Artist - ミゲル・カロー

Orquesta(81)  Canta(104)  member(37)  Orquesta2(31)  Electronica(21)  Compositor(13)  Cafe De Los Maestros(15)  

Miguel Caló

(ミゲル・カロー)

1928/Orquesta/楽団

1927年に<フランシスコ・プラカニコ>のオルケスタに入り、1928年に自身の楽団を結成した。
オルケスタの特徴は、<オスマル・マデルナ>のピアノ演奏から生まれる軽快なリズムや、インストゥルメンタルを多用するなど踊りやすさがあげられる。
彼のオルケスタには、1940年代のタンゴの時代を作った<アニバル・トロイロ>、<ドミンゴ・フェデリコ>、ヴァイオリン奏者の<エンリケ・フランチーニ>、<アルマンド・ポンティエル>、<オスマル・マデルナ>など在籍した。

Alberto Podestá

(アルベルト・ポデスタ)

1940/Cafe De Los Maestros/作曲、男性歌手、ソロ、現役

<ミゲル・カロー>楽団の歌手としてデビュー。
2年後には<カルロス・ディ・サルリ>楽団に移り、ヒットさせ当時のもっとも人気ある歌手の一人となる。
<ペドロ・ラウレンス>楽団、<フランチーニ-ポンティエル>楽団の専属だった。
<エンリケ・フランチーニ>、<アルマンド・ポンティエル>、<エドガルド・ドナート>が1950年代後半までに彼に参加を要請した。
1940年代のスター歌手で、2004年にはアルバム録音のプロジェクト<カフェ・デ・ロス・マエストロス>に参加。

Montes Osvaldo

(オスバルド・モンテス)

1983/member/作曲、バンドネオン

ブエノスアイレスで {エミリオ・オルランド} Emilio Orlando、{ミゲル・ニヘンソン} Miguel Nijenshon、<ミゲル・カロー>、<エンリケ・フランチーニ>で演奏する。
1962年<レオポルド・フェデリコ>率いる、人気絶頂期の歌手<フリオ・ソーサ>の伴奏楽団に参加する。
その他<アティリオ・スタンポーネ>、<オラシオ・サルガン>、<マリアーノ・モーレス>楽団に参加、特に<マリアーノ・モーレス>とは10年近く共演、さまざまな海外公演にも同行した。
1983年から<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>のメンバー。
1980年代末には、<アントニオ・アグリ>の日本ツアーに参加、フランスではギター奏者{シロ・ペレス} Ciro Perezと演奏した。
ピアノの<カルロス・ガルシーア>とのドゥオ、ギターの<アニバル・アリアス>とのドゥオで録音を行っている。

Astor Piazzolla

(アストル・ピアソラ)

1955/Orquesta2/作曲、楽団、バンドネオン

タンゴ界の革命的な存在。
タンゴでありながら、伝統的なタンゴのリズムを使わない。
もしくは、タンゴにとらわれないバンドネオンの新ジャンルを構築。
伝統的なタンゴ時代 最初の時期は<ミゲル・カロー>、{フランシスコ・ラウロ}、<ガブリエル・クラウシ>の楽団に一時的に参加した。
1941年に<アニバル・トロイロ>楽団でデビュー。
1938年から1944年まで<アニバル・トロイロ>楽団に参加、そこでは初めて編曲も担当した。
その後歌手<フランシスコ・フィオレンティーノ>の伴奏楽団を指揮。
1944年にトロイロ楽団を脱退後、1946~49年には自己の楽団を率いた。
新しいタンゴ時代 1954年、タンゴに限界を感じたピアソラはクラシックの作曲家を目指してフランスへ留学。
1955年7月に帰国後、エレキギターを取り入れた{ブエノスアイレス八重奏団}を結成。
1958~60年、ピアソラは再びアメリカに。
1963年 新八重奏団。
1971年 - 1972年 九重奏団。
1978年 - 1988年 後期五重奏団。
1989年 六重奏団。

Julio Pane

(フリオ・パネ)

1989/member/作曲、楽団、バンドネオン、教師

<フリオ・パネ>が在籍した楽団は、<オラシオ・サルガン>、<エンリケ・フランチーニ>、オスバルド・マンシ(Osvaldo Manzi)、<アルマンド・ポンティエル>、<アティリオ・スタンポーネ>、<エクトル・スタンポーニ>、<ミゲル・カロー>、<ホセ・バッソ>、<レオポルド・フェデリコ>、<オスバルド・タランティーノ>、<アストル・ピアソラ>六重奏団 (Sexteto de Astor Piazzolla) <ラウル・ガレーロ>と<カルロス・ガルシーア>を指揮者にむかえ、1982年に設立された<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>には、83年にソリスタとして参加し、現在もこのオルケスタでも活動している。
1992年、ドラムの{ダニエル・ピアソラ}(Daniel Piazzolla)と、<アストル・ピアソラ>のコンフント・エレクトロニコ(Conjunto Electrónico) を再結成したグループに参加。
このグループはアルバム1枚と数シーズンの公演の後解散した。
2002年、ブエノスアイレスのコロン劇場(Teatro Colón)に自身のトリオで出演。
{イルド・パトリアルカ}(Ildo Patriarca)、<フアンホ・ドミンゲス>と共演。

Roberto Rufino

(ロベルト・ルフィーノ)

1938/Canta/作曲、男性歌手、ソロ

1938年、<カルロス・ディ・サルリ>との活動をスタート。
40年代のタンゴ黄金時代の象徴になる。
60年代の<アニバル・トロイロ>の音にも深く関係している。
90年代までソロとして活動した。
{エミリオ・オルランド}( Emilio Orlando)や<フランチーニ-ポンティエル>、<ミゲル・カロー>や{ロベルト・カロ}(Roberto Calo)、<エンリケ・フランチーニ>と演奏。
1961年、{アルマンド・ポルティエル}(Armando Portier)と、1962年から1965年の間は、<アニバル・トロイロ>と歌を共にする

Roberto Maida

(ロベルト・マイダ)

1926/Canta/男性歌手

1925年に彼はでプロ歌手としてデビューした <ミゲル・カロー>楽団。
<フランシスコ・カナロ>楽団で1935年頃から専属歌手をつとめたほか、<カトゥロ・カスティージョ>や<ペドロ・マフィア>などの楽団で活躍。

Orquesta Tipica Sans Souci

(オルケスタ・ティピカ・サン・ソーシー)

1998/Orquesta2/楽団

1998 年にブエノスアイレスで創設。
<ミゲル・カロー>と<オスマル・マデルナ>の典型的なオーケストラの音楽スタイル継承。

Osvaldo Pugliese

(オスバルド・プグリエーセ)

1939/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

ピアノを<アンヘル・ダゴスティーノ>、{テネンソフ、エスカラムーサ}、{ルビオーネ}に学んだ。
<ロベルト・フィルポ>、<ペドロ・マフィア>の楽団でも演奏した。
<エルビーノ・バルダーロ>と楽団を結成した時にはすでに最良のピアニストの一人と考えられていた。
その後の<ペドロ・ラウレンス>、<アルフレド・ゴビ>、ダニエル・アルバレス、<ミゲル・カロー>楽団でも演奏した。
1939年から自己の楽団を率い、デ・カロ楽派の素晴らしい結実した。
それは乾いた、短く、反抗的な打音にあらわれる思いの集約であり、しかし決してタンゴからやさしさを奪ってはいない。
特徴的なリズムはジュンバと呼ばれる。
<オスバルド・プグリエーセ>楽団に属した音楽家 ●バンドネオン奏者 <オスバルド・ルジェーロ> <ホルヘ・カルダーラ> <フリアン・プラサ> <ビクトル・ラバジェン> <フアン・ホセ・モサリーニ> <エミリオ・バルカルセ> ●ヴァイオリン奏者 {エンリケ・カメラーノ} {オスカル・エレーロ} {シモン・バジュール} {マウリシオ・マルチェリ} ●コントラバス奏者 {アニセト・ロッシ} {アルシーデス・ロッシ} {フェルナンド・ロマーノ} ●ピアノ奏者 {オスバルド・マンシ} <アルマンド・クーポ> {エルネスト・ロメロ}

Ariel Pedernera

(アリエル・ペデルネーラ)

1961/member/コントラバス

自身の楽団を持ったほか、{ホセ・ルイス・パドゥーラ}や<ロベルト・フィルポ>、<ミゲル・カロー>、<フランシスコ・カナロ>の楽団で活躍した。

Carlos Dante

(カルロス・ダンテ)

1936/Canta/男性歌手、映画、サラリーマン、ソロ

1934年<ミゲル・カロー>楽団の歌手となる。
1936年、<ミゲル・カロー>楽団から独立し、<アグスティン・マガルディ>とのコンビを解散したばかりの{ペドロ・ノダ}Pedro Nodaとドゥオを組み、ダンテ=ノダのコンビはすぐに評判となる。
<アルフレド・デ・アンジェリス>楽団=<カルロス・ダンテ>、<フリオ・マルテル>歌のレコードは売れる。
1951年<フリオ・マルテル>に代わって、{オスカル・ラロカ} Oscar Larrocaが入団、<カルロス・ダンテ>の新しいパートナーとなった。
1958年、<アルフレド・デ・アンジェリス>楽団と140曲近くを残した<カルロス・ダンテ>は退団した。
<カルロス・ダンテ>は<フランシスコ・カナロ>によってヨーロッパへの音楽大使団の一員に加わるチャンスを与えられることになる。
こうした仕事が継続してあるにも関わらず、石油輸入公団で17年間も働き続けた。

Fernando Suarez Paz

(フェルナンド・スアレス・パス)

1973/Cafe De Los Maestros/楽団、ヴァイオリン

若い頃からタンゴを始め、<オラシオ・サルガン>、<ミゲル・カロー>、<ペドロ・ラウレンス>、<アニバル・トロイロ>、{マリアーノ・モーレス}、{アティリオ・スタンポーネ}、<レオポルド・フェデリコ>やその他の楽団にソロ奏者として加わった。
1973年にデビューした<セステート・マジョール>では結成時の初期メンバーだった。
1978年に<アストル・ピアソラ>の後期五重奏団(Quinteti Nuevo Tango)に編入する。
その後10年間、この楽団で幅広く世界ツアーを行う。
この頃ピアソラは彼のためにエスクアロ(Escualo)という曲を作曲している。
1996年にはバンドネオンの楽曲を演奏するために、ピアソラの楽団を真似て五重奏団を結成している。
<フェルナンド・スアレス・パス>は国立交響楽団(la Orquesta Sinfonica Nacional)に在籍したほか、17年間の{ブエノスアイレス交響楽団}(la Filarmonica de Buenos Aires)など、クラシック音楽での長期にわたるキャリアがある。
<カフェ・デ・ロス・マエストロス>では{オルケスタティピカ・ロス・マエストロス}の弦楽団のフロントマンに<フェルナンド・スアレス・パス>が迎え入れられた。

Armando Pontier

(アルマンド・ポンティエル)

1945/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン

1939年、<ミゲル・カロー>楽団に参加、<エンリケ・フランチーニ>、<オスマル・マデルナ>、<エクトル・スタンポーニ>、<ドミンゴ・フェデリコ>などの優れたメンバーと一緒に演奏した。
1945年<エンリケ・フランチーニ>と共に<フランチーニ-ポンティエル>楽団を率い、1955年まで活動した。

Domingo Federico

(ドミンゴ・フェデリコ)

1945/Orquesta/楽団、バンドネオン

<ドミンゴ・フェデリコ>は<フアン・カナロ>の楽団へ移り、1941年には<ミゲル・カロー>の楽団にてその座を確固たるものとした。
1940年代の半ばに自身の楽団を持つに至る。
若者によって構成された楽団、{ロサリオ国立大学タンゴ青年オルケスタ}(Orquesta Juvenil de Tango de la Universidad Nacional de Rosario)では教師として賞賛を受け、芸術活動としても素晴らしい結果を残した。
  1961年に<フランシスコ・カナロ>の日本ツアーでバンドネオン奏者を務め、その後、自身の楽団でも度々日本ツアーを行った。

Osmar Maderna

(オスマル・マデルナ)

1945/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

<ミゲル・カロー>楽団から<エクトル・スタンポーニ>が抜けた後、<オスマル・マデルナ>が代わりに入団、ここからマデルナの成功の歴史が始まることになる。
<ミゲル・カロー>楽団には1945年まで留まり、同年1945年、自己の楽団を持ち、歌手<ラウル・イリアルテ>を一緒に連れていった。
<ドミンゴ・フェデリコ>、<エンリケ・フランチーニ>、<アルマンド・ポンティエル>と人気を分かち合った。

Héctor Stamponi

(エクトル・スタンポーニ)

1933/Orquesta/作曲、ピアノ

<エクトル・スタンポーニ>はブエノスアイレスのラジオ・オーディションでデビューした後、トリオを結成するためエレルトの楽団を離れた<アルマンド・ポンティエル>、<エンリケ・フランチーニ>と3人で、ラジオ局【LR2ラジオ・アルヘンティーナ】(LR2 Radio Argentina)に出演する歌手たちの伴奏をおこなった。
1937年から1938年まで{フェデリコ・スコルティカティ}(Federico Scorticati)の楽団やレコード会社ビクターでピアニストを務めた。
その後、<ミゲル・カロー>の楽団へと移る。
1959年には{ロス・ビオリネス・デ・オロ・デル・タンゴ}(Los Violines de Oro del Tango)を<エンリケ・フランチーニ>と共同で指揮した。
最後のカフェ(El ultimo cafe)、ワルツ曲星空の下(Bajo un cielo de estrellas)亜麻の花(Flor de lino)空のかけら(Pedacito de cielo)などの不朽の名作を作曲した。

Raúl Berón

(ラウル・ベロン)

1940/Canta/男性歌手、ソロ

1940年代に登場した表現力豊かで個性的な歌手の一人。
<ラウル・ベロン>は、<ミゲル・カロー>楽団とキャバレー【シンガプール】とラジオ【ベルグラーノ】で活躍。
1940年代には、<オルランド・ゴニ>、<ルシオ・デマーレ>、<フランチーニ-ポンティエル>楽団に参加した。
1950年代には、<アニバル・トロイロ>楽団に参加した。
1963年<ミゲル・カロー>楽団とのもので、以後はソロ歌手として活動、1968年にギター伴奏によるアルバムを1枚残した。

Osvaldo Jose Montes

(オスバルド・ホセ・モンテス)

1980/member/バンドネオン

ギター奏者の<アニバル・アリアス>との共演でも知られる 以前は{ホセ・サラ}などのもとで修業したのち、<ミゲル・カロー>、<レオポルド・フェデリコ>、<アティリオ・スタンポーネ>で活躍していた。

Enrique Francini

(エンリケ・フランチーニ)

1945/Orquesta/作曲、楽団、ヴァイオリン

1938年<アルヘンティーノ・ガルバン>と演奏し、すぐ後に<ミゲル・カロー>楽団に入団、第1ヴァイオリン奏者として際立つ存在となった。
1945年<ミゲル・カロー>楽団から独立し、バンドネオン奏者の<アルマンド・ポンティエル>と10年に亘って<フランチーニ-ポンティエル>楽団を率いた。
1959年に<オラシオ・サルガン>、<ウバルド・デ・リオ>、<ペドロ・ラウレンス>、{ラファエル・フェロ}(Rafael Ferro)と共に<キンテート・レアル>を結成する。
並行して<エクトル・スタンポーニ>とドゥオを結成、{オクテート・ブエノスアイレス}(Octeto Buenos Aires)、<ロス・アストロス・デル・タンゴ>、<アティリオ・スタンポーネ>楽団にも参加した。
{ブエノスアイレス市立交響楽団}(Orquesta Filarmonica de Buenos Aires)のメンバーを務めたこともあった。

Francini-Pontier

(フランチーニ-ポンティエル)

1945/Orquesta/楽団

1945年にバンドネオン奏者<アルマンド・ポンティエル>とヴァイオリン奏者<エンリケ・フランチーニ>が、<ミゲル・カロー>の楽団を退団し、共同主宰の形で設立した楽団。
主な活動は1955年まで。

Julio Ahumada

(フリオ・アウマーダ)

1980/member/作曲、バンドネオン

<ペドロ・マフィア>のスタイルは、センシティブな表現が特徴。
20歳でブエノスアイレスに移り、{ロベルト・セリージョ}(Roberto Zerrillo)のオルケスタに参加。
その後、<ミゲル・カロー>の楽団へ移っている。
さまざまな楽団で演奏し、<アルヘンティーノ・ガルバン>、<ルシオ・デマーレ>、<アルベルト・カスティージョ>、{エクトル・マリア・アルトーラ}(Hector Artola)、<ホセ・バッソ>、{ホアキン・ド・レジェス}(Joaquin Do Reyes)、<エンリケ・フランチーニ>などのオルケスタがあげられる。
1980年から <ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>でも演奏している。

Raul Iriarte

(ラウル・イリアルテ)

1926/Canta/男性歌手

<ミゲル・カロー>で活躍。

Roberto Arrieta

(ロベルト・アリエタ)

1928/Canta/作曲、男性歌手

<ミゲル・カロー>で活躍。

Argentino Galván

(アルヘンティーノ・ガルバン)

1928/Orquesta/作曲、楽団、ヴァイオリン

1935年以降は、<ミゲル・カロー>、<オスバルド・フレセド>、<アニバル・トロイロ>、<フランチーニ-ポンティエル>、自己の楽団のために書いた革新的な編曲によってその才能を広く認められるようになる。
1958年、<エドゥアルド・アローラス>、<アグスティン・バルディ>、<フリオ・デ・カロ>、<エンリケ・デルフィーノ>、<アンセルモ・アイエタ>という有名な作曲家の作品を体系的に演奏するため七重奏団<ロス・アストロス・デル・タンゴ>を設立。

Victor Lavallen

(ビクトル・ラバジェン)

1968/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、現役

1951年、<ミゲル・カロー>の楽団に入団し、1954年まで在籍した。
<エンリケ・フランチーニ>楽団、<アルベルト・エチャグエ>=<アルマンド・ラボルデ>楽団にも在籍したのち、1958年には<オスバルド・プグリエーセ>楽団に入団し、編曲もおこなっていた。
1968年、ほかのメンバーらとともにプグリエーセ楽団から脱退。
プグリエーセ・スタイルをくんだグループ、<セステート・タンゴ>の創設メンバーとなる。
1989年、<セステート・タンゴ>とおなじく旧プグリエーセ楽団のメンバーによる<コロール・タンゴ>に参加。
1995年には、国際的に成功を収めたショー【フォーエバー・タンゴ】の楽団メンバーに、1996年からは同楽団の指揮者となった。

Osvaldo Berlingieri

(オスバルド・ベリンジェリ)

1950/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

1944年歌手<エクトル・マウレ>の伴奏楽団に始まる。
その後<ドミンゴ・フェデリコ>、{ホアキン・ド・レジェス}(Joaquin Do Reyes)、<エドガルド・ドナート>、{ミゲル・カロー}(Miguel Calo)などの楽団に参加した。
1956年、<アニバル・トロイロ>の楽団に参加するまでは、歌手<ラウル・イリアルテ>の伴奏を務め、その後の<アニバル・トロイロ>楽団への参加。
<アニバル・トロイロ>楽団には約10年在籍し、その時期に決定的な自身のスタイルを確立。
力強いタンゴリズムを持ちながらも、ジャズの影響を受けた、タンゴにはあまりないコードや装飾を加えたことで、表現力豊かなスタイルを確立した。
<アニバル・トロイロ>楽団での仕事と並行して、{ロス・モデルノス}、{ロス・ノタブレス・デル・タンゴ}、<エルネスト・バッファ>との共同主宰による楽団とトリオにも参加した。
<アニバル・トロイロ>楽団を離れた後、<エルネスト・バッファ>との共演は1970年まで続いた。
その後のプロジェクトは、バンドネオン<レオポルド・フェデリコ>、コントラバス{オラシオ・カバルコス}とのトリオであった。
ヒットした歌手は、<ロベルト・ゴジェネチェ>との共演アルバムから、<オスバルド・タランティーノ>とのピアノ・ドゥオによる不思議なアルバムまで多数の録音を残している。
【タンゴ・アルゼンチーノ】の音楽監督を務めた。

Julián Plaza

(フリアン・プラサ)

1968/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、ピアノ

1945年からは{アントニオ・ロディオ} Antonio Rodio楽団、1949年からは<ミゲル・カロー>楽団に参加、カロー楽団にはほぼ10年間在籍した。
1956年 <カルロス・ディ・サルリ>楽団に移り、一方で<アティリオ・スタンポーネ>と<フロリンド・サッソーネ>のためにアレンジを書いた。
1959年<オスバルド・プグリエーセ>楽団に落ち着く。
1968年、<フリアン・プラサ>は、<エミリオ・バルカルセ>、<オスバルド・ルジェーロ>、<ビクトル・ラバジェン>、{オスカル・エレーロ} Oscar Herrero、{アルシーデス・ロッシ} Alcides Rossi と共に<セステート・タンゴ>を結成。

Orlando Goñi

(オルランド・ゴニ)

1943/Orquesta/楽団、ピアノ

1937年<アニバル・トロイロ>が自分の楽団を結成する時に、<オルランド・ゴニ>を呼んだ。
完璧にさまざまなリズムをコンビネーションしつつ楽団全体を前に進めていくピアノ。
<ミゲル・カロー>、{マヌエル・ブソン}、<アンセルモ・アイエタ>、<フアン・カルロス・コビアン>の楽団のピアニストをつとめた。
異なるスタイルを持った4人のリーダーのもとで、彼の経験は豊かなものになっていった。
  1943年、自己の楽団を結成。
バンドネオンに{アントニオ・リオス} Antonio Rios、<ロベルト・フィルポ>、{エドゥアルド・ロビラ} Eduardo Rovira 、{ルイス・ボナット} Luis Bonnat 、ヴァイオリンに{ロランド・クルセル} Rolando Curcel、{ホセ・アマトリアン} Jose Amatriain、{アントニオ・ブランコ} Antonio Blanco、{エミリオ・ゴンサレス} Emilio Gonzalez、コントラバスに{ドミンゴ・ドナルーマ} Domingo Donarumaといったメンバー。
歌手は、<フランシスコ・フィオレンティーノ>、{アントニオ・ロドリゲス・レセンデ} Antonio Rodriguez Lesende、{オスバルド・カブレーラ} Osvaldo Cabrera、{ラウル・アルダオ} Raul Aldaoが交替で参加していった。