Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(ペドロ・マフィア)
1925/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
<ペドロ・マフィア>は、バンドネオン奏者の手本となった。
<ロベルト・フィルポ>、<ルイス・ペトルチェリ>、<リカルド・ルイス>、<フアン・カルロス・コビアン>らと演奏した。
1924年から26年まで有名な<フリオ・デ・カロ>の六重奏団に参加。
その後、自己の楽団を率いた。


(ロベルト・マイダ)
1926/Canta/男性歌手
1925年に彼はでプロ歌手としてデビューした
<ミゲル・カロー>楽団。
<フランシスコ・カナロ>楽団で1935年頃から専属歌手をつとめたほか、<カトゥロ・カスティージョ>や<ペドロ・マフィア>などの楽団で活躍。


(オスバルド・プグリエーセ)
1939/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ
ピアノを<アンヘル・ダゴスティーノ>、{テネンソフ、エスカラムーサ}、{ルビオーネ}に学んだ。
<ロベルト・フィルポ>、<ペドロ・マフィア>の楽団でも演奏した。
<エルビーノ・バルダーロ>と楽団を結成した時にはすでに最良のピアニストの一人と考えられていた。
その後の<ペドロ・ラウレンス>、<アルフレド・ゴビ>、ダニエル・アルバレス、<ミゲル・カロー>楽団でも演奏した。
1939年から自己の楽団を率い、デ・カロ楽派の素晴らしい結実した。
それは乾いた、短く、反抗的な打音にあらわれる思いの集約であり、しかし決してタンゴからやさしさを奪ってはいない。
特徴的なリズムはジュンバと呼ばれる。
<オスバルド・プグリエーセ>楽団に属した音楽家
●バンドネオン奏者
<オスバルド・ルジェーロ>
<ホルヘ・カルダーラ>
<フリアン・プラサ>
<ビクトル・ラバジェン>
<フアン・ホセ・モサリーニ>
<エミリオ・バルカルセ>
●ヴァイオリン奏者
{エンリケ・カメラーノ}
{オスカル・エレーロ}
{シモン・バジュール}
{マウリシオ・マルチェリ}
●コントラバス奏者
{アニセト・ロッシ}
{アルシーデス・ロッシ}
{フェルナンド・ロマーノ}
●ピアノ奏者
{オスバルド・マンシ}
<アルマンド・クーポ>
{エルネスト・ロメロ}


(ペドロ・ラウレンス)
1934/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
1924年に<フリオ・デ・カロ>楽団に参加。
<ペドロ・マフィア>が<フリオ・デ・カロ>楽団から離れた時、<ペドロ・ラウレンス>はトップバンドネオンとなる。
1934年自己の楽団を結成。
楽団解散後は、<オラシオ・サルガン>、<エンリケ・フランチーニ>、<ウバルド・デ・リオ>、{ラファエル・フェロ}と共に<キンテート・レアル>を結成した。
<キンテート・レアル>は、3回来日を果たしている。


(エクトル・パチェコ)
1956/Canta/男性歌手
<フアン・ダリエンソ>や<ペドロ・マフィア>らの楽団を経て<オスバルド・フレセド>の楽団で専属歌手として大成功した。
ソフトムードな歌い方が特長。
1956年にソロとして独立。


(オスバルド・タランティーノ)
1940/member/作曲、ピアニスト、監督
1940年代、<ペドロ・マフィア>や<エドガルド・ドナート>、<アルヘンティーノ・ガルバン>のオーケストラと共に共演。
<エクトル・バレラ>のグループに加わり、<アルフレド・ゴビ>のオーケストラに加わる。
1960年代、<アストル・ピアソラ>の五重奏団、1972年には{グループコンフント9}( Conjunto 9)を結成。
ラウル・ガレロ(Raul Garello)と演奏し、<オラシオ・フェレール>と共演。
1980年代、<ネストル・マルコーニ>やアンヘル・リドルフィ(Angel Ridolfi)、また<ルベン・フアレス>や伝説の<ロベルト・ゴジェネチェ>と舞台【カフェ・オメロ】(Cafe Homero) にて共演。
歌手として有名な<アルベルト・マリノ>や<エドムンド・リベロ>伴奏を務める。


(ロベルト・フィルポ)
1924/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ
ピアノ奏者で作曲家の<アルフレド・ベビラクア>の指導で音楽の知識を体系化した。
<ロベルト・フィルポ>は、楽団編成にピアノを組み込むことに決定的役割を果たした。
1913年、キャバレー【アルメノンビル】 (Armenonville)で自己の楽団でデビューした。
楽団メンバーとして在籍したのは、<エドゥアルド・アローラス>、 ヴァイオリンの{ティト・ロカタグリアータ} (Tito Roccatagliata)、後年には、<ペドロ・マフィア>、<エルビーノ・バルダーロ>、<オスバルド・プグリエーセ>、<カルロス・ガルシーア>などがいた。
「オデオンの5大楽団」のひとつ。


(フランシスコ・フィオレンティーノ)
1937/Canta/作曲、男性歌手、バンドネオン、ソロ
<フランシスコ・カナロ>楽団にバンドネオン奏者として参加、<フランシスコ・フィオレンティーノ>は最終的に歌手としてのみ知られるようになるまで、バンドネオンと歌の間で揺れ動く時期を長く過ごした。
1928年からさまざまな有名楽団で活動したにもかかわらず、広く知られた彼の最良の時期は<アニバル・トロイロ>と一緒だった1937年から1944年まで。
トロイロとのコンビはリフレイン歌手の最高の芸。
<フアン・カルロス・コビアン>(1928年)、<フランシスコ・カナロ>(1929年)、<ロベルト・フィルポ>(1929年)、<フアン・ダリエンソ>(1929年)、<アンヘル・ダゴスティーノ>(1930年)、<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>(1931年)、<ペドロ・マフィア>(1931年)、<リカルド・マレルバ>(1936年)、<フランシスコ・フィオレンティーノ>は<オルランド・ゴニ>楽団の歌手<アストル・ピアソラ>指揮のソロ歌手となった。
<イスマエル・スピタルニク>になった(1946年)。
<ホセ・バッソ>楽団(1948-1949年)、その後{アルベルト・マンシオーネ} Alberto Macione 楽団(1950-1951年)、最後は{プグリア=ペドローサ} Puglia-Pedroza楽団(1951-1952年)に参加した。


(エルビーノ・バルダーロ)
1930/Orquesta2/楽団、ヴァイオリン
1920年代の初めには<フアン・マグリオ>や<ロベルト・フィルポ>などの楽団で演奏を始める。
1925年から1932年まで<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>の第一ヴァイオリン奏者になる。
1930年代は自身の六重奏団を指揮した。
<フリオ・デ・カロ>派の流れの頂点を極めた。
1940年代1950年代は{シラルコ・オルティス}(Ciriaco Ortiz)、<オスバルド・フレセド>、<カルロス・ディ・サルリ>、<フルビオ・サラマンカ>、<ペドロ・マフィア>など多くの楽団指揮者に招かれ演奏し、それに加えて自身の楽団も指揮した。
1957年には七重奏団<ロス・アストロス・デル・タンゴ>のメンバーとなり、タンゴの名曲版を出した。
<アストル・ピアソラ>の{弦楽オーケストラ}(Orquesta de Cuerdas)と{ヌエボ・タンゴ}五重奏団(Quinteto Nuevo Tango)で1961年まで演奏する。
<アストル・ピアソラ>が彼に捧げたタンゴ曲バルダリート(Vardarito)がある。
(フリオ・アウマーダ)
1980/member/作曲、バンドネオン
<ペドロ・マフィア>のスタイルは、センシティブな表現が特徴。
20歳でブエノスアイレスに移り、{ロベルト・セリージョ}(Roberto Zerrillo)のオルケスタに参加。
その後、<ミゲル・カロー>の楽団へ移っている。
さまざまな楽団で演奏し、<アルヘンティーノ・ガルバン>、<ルシオ・デマーレ>、<アルベルト・カスティージョ>、{エクトル・マリア・アルトーラ}(Hector Artola)、<ホセ・バッソ>、{ホアキン・ド・レジェス}(Joaquin Do Reyes)、<エンリケ・フランチーニ>などのオルケスタがあげられる。
1980年から
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>でも演奏している。

(ペドロ・マフィア)
1925/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
<ペドロ・マフィア>は、バンドネオン奏者の手本となった。
<ロベルト・フィルポ>、<ルイス・ペトルチェリ>、<リカルド・ルイス>、<フアン・カルロス・コビアン>らと演奏した。
1924年から26年まで有名な<フリオ・デ・カロ>の六重奏団に参加。
その後、自己の楽団を率いた。


(ミゲル・モンテーロ)
1925/Canta/男性歌手
<フランシスコ・ロムート>、<ペドロ・マフィア>、<フアン・カルロス・コビアン>、<オスバルド・プグリエーセ>で歌っていたのち独立を果たした。
共演したのは、<オラシオ・サルガン>や<マリアーノ・モーレス>、<ホセ・リベルテーラ>、<アルマンド・クーポ>など。


(ガブリエル・クラウシ)
1930/Orquesta/作曲、バンドネオン
演奏家として、彼はソロ演奏を好み、<ペドロ・マフィア>の感性と技術を受け継ぐ。
<フアン・マグリオ>、<フランシスコ・プラカニコ>、<ロベルト・フィルポ>、<フリオ・デ・カロ>、<オスバルド・フレセド>などで共演している。
1940年代には、<ガブリエル・クラウシ>楽団を結成し、その後10年以上滞在することになるチリに渡り活躍する。
若き日の<アストル・ピアソラ>も短期間滞在した。
21世紀に、ファンからの要望を受けてロックバン{ドロス・ピオホス}とゲストとして共演するなど、他ジャンルにも活躍の場を広げていた。


(アルベルト・ゴメス)
1932/Canta/作曲、男性歌手
彼のテノールの個性的なスタイルは、<カルロス・ガルデル>、<アグスティン・マガルディ>、<イグナシオ・コルシーニ>、<チャルロ>が全盛の時代にあっては最良の歌手の一人。
1932年半ば、<アルベルト・ゴメス>のソロがより大きな存在感を示すようになる。
楽団のリフレイン・ボーカリストとして、ニコの名で<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>などで歌っている。
後年には <エドガルド・ドナート>や<ペドロ・マフィア>とも録音を残している。


(シリアコ・オルティス)
1925/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
あまりに個性的なフレージングで際立っている。
<ロベルト・フィルポ>楽団で、<ペドロ・マフィア>の代役をつとめたことで注目を集めた。
1925年設立時から、<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>のメンバーであり、その他にも{バルダロ=プグリエーセ}楽団 (Vardaro-Pugliese)、<カルロス・ガルデル>を伴奏した。
自己の楽団としては <オルケスタ・ティピカ・ロス・プロビンシアーノス>の設立


(セバスティアン・ピアナ)
1931/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ
1931年、<オメロ・マンシ>の詞によるミロンガ・センティメンタルを発表、ミロンガというジャンルに改革をもたらした。
ピアノ奏者として、<メルセデス・シモーネ>がトリオ・ティピコの伴奏で歌い始めた際、伴奏した。
<アルベルト・ゴメス>など他の歌手の伴奏も行った。
<ペドロ・マフィア>楽団にも、楽団に2名のピアニストがいた際に一緒に演奏している。
1934年には、<ペドロ・マフィア>、<シリアコ・オルティス>、<ペドロ・ラウレンス>、<カルロス・マルクッチ>とともに{ロス・シンコ・アセス・ペベーコ}を結成。
その後自己の楽団を率い、{オルケスタ・ティピカ・カンドンベ}と命名する。
1940年代にビクトルに10曲の録音を残した。
