Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ)
1980/Orquesta2/楽団、現役
1980年、ブエノスアイレス市当局直属の組織として設立された。
ピアノ奏者<カルロス・ガルシーア>とバンドネオン奏者<ラウル・ガレーロ>指揮の下、当時現役だったタンゴ最良の演奏家たちを最初のメンバーとして集めた。
ガルシーアとガレーロの互いを補完する個性と、メンバーの万能性を支えていた。
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>は常にメンバーを刷新することを通じた、演奏者のレベルの高さで際立っている。
2006年、<カルロス・ガルシーア>の死去に伴い、{アルベルト・ガルシーア・ビジャファニェ} Alberto Garcia Villafane が<ラウル・ガレーロ>を補佐している。


(オスバルド・モンテス)
1983/member/作曲、バンドネオン
ブエノスアイレスで {エミリオ・オルランド} Emilio Orlando、{ミゲル・ニヘンソン} Miguel Nijenshon、<ミゲル・カロー>、<エンリケ・フランチーニ>で演奏する。
1962年<レオポルド・フェデリコ>率いる、人気絶頂期の歌手<フリオ・ソーサ>の伴奏楽団に参加する。
その他<アティリオ・スタンポーネ>、<オラシオ・サルガン>、<マリアーノ・モーレス>楽団に参加、特に<マリアーノ・モーレス>とは10年近く共演、さまざまな海外公演にも同行した。
1983年から<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>のメンバー。
1980年代末には、<アントニオ・アグリ>の日本ツアーに参加、フランスではギター奏者{シロ・ペレス} Ciro Perezと演奏した。
ピアノの<カルロス・ガルシーア>とのドゥオ、ギターの<アニバル・アリアス>とのドゥオで録音を行っている。


(パブロ・アグリ)
1990/member/ヴァイオリン
1990年代後半には、タンゴのキャリアをスタートさせ、<オスバルド・ベリンジェリ>、<オラシオ・サルガン>、<フリアン・プラサ>らと共演。
<レオポルド・フェデリコ>楽団へも参加するようになる。
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>に参加。
のちに、{コロン劇場専属オーケストラ}(Orquesta Estable del Teatro Colon)と{アベジャネーダ交響楽団}(Orquesta Sinfonica de Avellaneda)のメンバーとなる。


(ニコラス・レデスマ)
1992/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、ピアノ、現役
ブエノスアイレスに移った後、若手楽団{セステート・スール} Sexteto Surに参加、その後1992年<レオポルド・フェデリコ>楽団に参加し、現在に至っている。
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>に在籍し、<フリオ・パネ>からトリオのメンバーになるよう要請され、<アストル・ピアソラ>の音楽を演奏する。
<フェルナンド・スアレス・パス>五重奏団に参加した。
バイブラフォン奏者{ゲーリー・バートン} Gary Burton、日本のバンドネオン奏者<小松亮太>と共演、 栄誉ある<カフェ・デ・ロス・マエストロ>Cafe de los Maestrosプロジェクトにも参加した。
【ブエノスアイレス市立マヌエル・デ・ファリャ高等音楽院】Conservatorio Superior de Musica Manuel de Falla de Buenos Airesのタンゴ・コースの教育を担当している。


(フリオ・パネ)
1989/member/作曲、楽団、バンドネオン、教師
<フリオ・パネ>が在籍した楽団は、<オラシオ・サルガン>、<エンリケ・フランチーニ>、オスバルド・マンシ(Osvaldo Manzi)、<アルマンド・ポンティエル>、<アティリオ・スタンポーネ>、<エクトル・スタンポーニ>、<ミゲル・カロー>、<ホセ・バッソ>、<レオポルド・フェデリコ>、<オスバルド・タランティーノ>、<アストル・ピアソラ>六重奏団 (Sexteto de Astor Piazzolla)
<ラウル・ガレーロ>と<カルロス・ガルシーア>を指揮者にむかえ、1982年に設立された<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>には、83年にソリスタとして参加し、現在もこのオルケスタでも活動している。
1992年、ドラムの{ダニエル・ピアソラ}(Daniel Piazzolla)と、<アストル・ピアソラ>のコンフント・エレクトロニコ(Conjunto Electrónico) を再結成したグループに参加。
このグループはアルバム1枚と数シーズンの公演の後解散した。
2002年、ブエノスアイレスのコロン劇場(Teatro Colón)に自身のトリオで出演。
{イルド・パトリアルカ}(Ildo Patriarca)、<フアンホ・ドミンゲス>と共演。


(アニバル・アリアス)
1980/Cafe De Los Maestros/ギター、現役
1969年、<アニバル・トロイロ>に請われて彼の四重奏団に参加、1975年に<アニバル・トロイロ>が死去するまで楽団のメンバーとして活躍した。
1980年以降、<カルロス・ガルシーア>と<ラウル・ガレーロ>のふたりが指揮する<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>にソリストとして参加する。
また同じ時期に、バンドネオニストの<オスバルド・モンテス>とデュオを組み、ヨーロッパツアーや、日本公演を重ねている。
<アニバル・アリアス>は、アベジャネダ・ポピュラー音楽学校の創設メンバーのひとりで、若い世代に歴史的なスタイルを伝えるキーパーソンでもある。
ウルグアイの歌手<ラグリマ・リオス>や<グスタボ・サンタオラージャ>とともに<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プ ロジェクトに参加。


(アントニオ・アグリ)
1965/member/作曲、ヴァイオリン
<アストル・ピアソラ>の耳に届き、1962年ピアソラのキンテート(五重奏団)への呼び声がかかった。
ピアソラとは数年間にわたり共演し、海外ツアーにも参加。
それと並行して、<アニバル・トロイロ>、<オスバルド・フレセド>、<オラシオ・サルガン>、<マリアーノ・モーレス>など、タンゴの巨匠たちのショーに参加し、レコーディングもおこなっている。
<キンテート・レアル>やコロン劇場専属オーケストラ(Orquesta del Teatro Colón)にも所属していたが、1976年、自身のオーケストラ、弦楽コンフントを結成する。
タンゴを中心に、グルック(Gluck)、ブラームス(Brahms)、シュトラウス(Strauss)、さらにはビートルズの作品までレパートリーに取り入れた。
1983年、<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>での演奏をスタートとさせ、晩年までたびたびこのオーケストラに参加している。


(ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ)
1980/Orquesta2/楽団、現役
1980年、ブエノスアイレス市当局直属の組織として設立された。
ピアノ奏者<カルロス・ガルシーア>とバンドネオン奏者<ラウル・ガレーロ>指揮の下、当時現役だったタンゴ最良の演奏家たちを最初のメンバーとして集めた。
ガルシーアとガレーロの互いを補完する個性と、メンバーの万能性を支えていた。
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>は常にメンバーを刷新することを通じた、演奏者のレベルの高さで際立っている。
2006年、<カルロス・ガルシーア>の死去に伴い、{アルベルト・ガルシーア・ビジャファニェ} Alberto Garcia Villafane が<ラウル・ガレーロ>を補佐している。


(パブロ・マイネッティ)
1990/member/バンドネオン、現役
彼が共演したミュージシャンは、<アティリオ・スタンポーネ>、{ラウル・ガレーロ}(Raul Garello)、<フリオ・パネ>、<レオポルド・フェデリコ>、<フリアン・プラサ>、<セステート・マジョール>、<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>、<アストル・ピアソラ>の楽団を再現した{エレクトロニコ八重奏団}(Octeto Electronico)など。
彼の五重奏団はアルバム【トレス・リンコネス】(Tres rincones)で2004年ラテン・グラミー賞最優秀タンゴ・アルバム部門にノミネートされている。


(カルロス・ガルシーア)
1960/Orquesta/楽団、ピアノ
1932年には、<ロベルト・フィルポ>のオルケスタ・ティピカにピアノ奏者として加入した。
1936年から1938年まで<セバスティアン・ピアナ>の代理として、歌手<メルセデス・シモーネ>のレコーディングやライブに伴奏のトリオの一員として参加している。
1946年には教鞭をとり始め、ソリストとしての演奏や、フォルクローレ楽団の指揮も行った。
1960年からはラジオ局【LS1ラジオ・ムニシパル】(Radio Municipal)にて、1983年まで所属したオデオン・レーベルと同様に音楽顧問を務めた。
1980年代から先の<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>で、<カルロス・ガルシーア>はもっとも伝統的な曲々の編曲を担当した。


(フリオ・アウマーダ)
1980/member/作曲、バンドネオン
<ペドロ・マフィア>のスタイルは、センシティブな表現が特徴。
20歳でブエノスアイレスに移り、{ロベルト・セリージョ}(Roberto Zerrillo)のオルケスタに参加。
その後、<ミゲル・カロー>の楽団へ移っている。
さまざまな楽団で演奏し、<アルヘンティーノ・ガルバン>、<ルシオ・デマーレ>、<アルベルト・カスティージョ>、{エクトル・マリア・アルトーラ}(Hector Artola)、<ホセ・バッソ>、{ホアキン・ド・レジェス}(Joaquin Do Reyes)、<エンリケ・フランチーニ>などのオルケスタがあげられる。
1980年から
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>でも演奏している。

(ウーゴ・バラリス)
1944/member/ヴァイオリン
また彼の名を聞くと、<アニバル・トロイロ>や<アストル・ピアソラ>を思い出すかもしれない。
しばらくして、<ラファエル・ロッシ>との共演、若きバンドネオン奏者<アニバル・トロイロ>と出会うことになる。
そして<アンヘル・ダゴスティーノ>との演奏と続く。
<アニバル・トロイロ>が1937年に自身のオルケスタを結成した時、<ウーゴ・バラリス>を誘い、その後彼は当時無名だった<アストル・ピアソラ>が<アニバル・トロイロ>のオルケスタに入る仲介者となった。
<アニバル・トロイロ>と別れてからは、<フアン・カルロス・コビアン>のオルケスタで演奏した。
その後、生涯の盟友<アストル・ピアソラ>が指揮する、歌手<フランシスコ・フィオレンティーノ>の伴奏楽団に加わる事になる。
1980年に<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>設立時に第一ヴァイオリン奏者として加わり、引退するまで務め上げた。

(ラウル・ガレーロ)
1974/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、現役
ブエノスアイレスでは【LR3ラディオ・ベルグラーノ】の専属オーケストラのメンバーとなり、
その後<レオポルド・フェデリコ>の代わりに<ロベルト・フィルポ>・イホの四重奏団のメンバーとなった。
<カルロス・ダンテ>、<アルベルト・モラン>など歌手の伴奏楽団でも活動し、{ロベルト・パンセーラ}、<オラシオ・サルガン>楽団のメンバーでもあった。
その後、<アニバル・トロイロ>楽団に入団し、
1967年、それ以降、<ラウル・ガレーロ>はトロイロ楽団のすべての編曲の責任者となり、
1975年まで輝かしいキャリアを積んだ。
1974年自己の六重奏団を結成、録音も始めた。
まもなく楽団編成は拡大し、1977年の時点ではメンバーが27名にものぼった。
1980年、ピアノ奏者の<カルロス・ガルシーア>と共に、
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>の指揮を引き受けた。
当初からガルシーアは古典的なテーマ、<ラウル・ガレーロ>は現代的なテーマを割り当てられた。
2003年にはブエノスアイレス名誉市民に任命された。


(エルナン・サリナス)
1980/Canta/男性歌手
歌とタンゴについての研究を行う人として、彼をタンゴ界の重要人物に押し上げる事となった。
1976年にブエノスアイレス市が主催したOTI歌手フェスティバルの際、エルナン・サリナスの芸名で歌い始めた。
黄金の1940年代の生き残りで二つの偉大な楽団の<オスバルド・プグリエーセ>と<アルフレド・デ・アンジェリス>とレコーディングを行った。
1980年から<カルロス・ガルシーア>とルベン・ガレージョ(Ruben Garello)が共同指揮をとる<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>にて歌手を務める。
歌手として在籍中は、アルゼンチンでの数え切れない公演に加え、世界中をツアーして回った。
1987年には<オラシオ・フェレール>と<アストル・ピアソラ>のオペラ【ブエノスアイレスのマリア】(Maria de Buenos Aires junto)に出演するためヨーロッパに行った。

