Tango Artist - フリオ・ソーサ

Orquesta(81)  Canta(104)  member(37)  Orquesta2(31)  Electronica(21)  Compositor(13)  Cafe De Los Maestros(15)  

Julio Sosa

(フリオ・ソーサ)

1949/Canta/作詞、男性歌手

1949年に<エンリケ・フランチーニ>、<アルマンド・ポンティエル>のオーディションを受け、こちらは即決で歌手契約をとる。
1953年に<フランシスコ・ロトゥンド>の楽団に移り、この時期の1955年6月から1960年8月まで、その頃すでに<エンリケ・フランチーニ>と袂を分かっていた<アルマンド・ポンティエル>指揮する楽団に参加、このふたりは素晴らしいパートナーシップを発揮した。
その後ソーサ自身の大きな飛躍となるソリストとしての独立につながる。
1961年5月、<レオポルド・フェデリコ>の楽団の伴奏で、レコーディングを始める。
<レオポルド・フェデリコ>の精巧な伴奏とともに、<フリオ・ソーサ>は人気絶頂の1964年に事故に遭い息を引き取った。
彼は歌手で他に文筆家としての才能もみせ、新聞にコラムを書いていた。

Leopoldo Federico

(レオポルド・フェデリコ)

1958/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、バンドネオン、現役

1958年に{ラディオ・ベルグラーノ}からの依頼で、自身の楽団を結成。
1940年代の伝統的なスタイルと、1950年代の前衛的でダイナミックなサウンドをオリジナルスタイルとして組みあわせており、オルケスタの音楽スタイルに昇華した。
<カルロス・ディ・サルリ>から<アストル・ピアソラ>まで、<レオポルド・フェデリコ>の才能を認めてきた。
<オスマル・マデルナ>、<オラシオ・サルガン>、<アルフレド・ゴビ>、<カルロス・ディ・サルリ>から呼び声がかかる。
<アストル・ピアソラ>とは、長年にわたる親交があり、ピアソラの楽団でも演奏。
タンゴ界の革命的な存在としての{オクテート・ブエノスアイレス}にも参加した。
歌手<フリオ・ソーサ>がソロ活動をしていた期間の伴奏を担当し、器楽演奏レパートリーの幅も広げる。
2003年から<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトに参加。
2005年には{セレクシオン・ナシオナル・デル・タンゴ}のメンバーとなった。

Montes Osvaldo

(オスバルド・モンテス)

1983/member/作曲、バンドネオン

ブエノスアイレスで {エミリオ・オルランド} Emilio Orlando、{ミゲル・ニヘンソン} Miguel Nijenshon、<ミゲル・カロー>、<エンリケ・フランチーニ>で演奏する。
1962年<レオポルド・フェデリコ>率いる、人気絶頂期の歌手<フリオ・ソーサ>の伴奏楽団に参加する。
その他<アティリオ・スタンポーネ>、<オラシオ・サルガン>、<マリアーノ・モーレス>楽団に参加、特に<マリアーノ・モーレス>とは10年近く共演、さまざまな海外公演にも同行した。
1983年から<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>のメンバー。
1980年代末には、<アントニオ・アグリ>の日本ツアーに参加、フランスではギター奏者{シロ・ペレス} Ciro Perezと演奏した。
ピアノの<カルロス・ガルシーア>とのドゥオ、ギターの<アニバル・アリアス>とのドゥオで録音を行っている。

Julio Sosa

(フリオ・ソーサ)

1949/Canta/作詞、男性歌手

1949年に<エンリケ・フランチーニ>、<アルマンド・ポンティエル>のオーディションを受け、こちらは即決で歌手契約をとる。
1953年に<フランシスコ・ロトゥンド>の楽団に移り、この時期の1955年6月から1960年8月まで、その頃すでに<エンリケ・フランチーニ>と袂を分かっていた<アルマンド・ポンティエル>指揮する楽団に参加、このふたりは素晴らしいパートナーシップを発揮した。
その後ソーサ自身の大きな飛躍となるソリストとしての独立につながる。
1961年5月、<レオポルド・フェデリコ>の楽団の伴奏で、レコーディングを始める。
<レオポルド・フェデリコ>の精巧な伴奏とともに、<フリオ・ソーサ>は人気絶頂の1964年に事故に遭い息を引き取った。
彼は歌手で他に文筆家としての才能もみせ、新聞にコラムを書いていた。

Celedonio Flores

(セレドニオ・フローレス)

1920/Compositor/作詞

1919年、<カルロス・ガルデル>の要請でギター奏者{ホセ・リカルド}の曲がつけられ、マルゴーというタイトルで<カルロス・ガルデル>によって録音された。
女性歌手<ロシータ・キロガ>、<エドムンド・リベロ>、<フリオ・ソーサ>がいる。

Francisco Rotundo

(フランシスコ・ロトゥンド)

1953/Orquesta/楽団、ピアノ

<アニバル・トロイロ>に心酔しダイナミックな楽風を目指した 1953年に<フリオ・ソーサ>が<フランシスコ・ロトゥンド>の楽団に移る この時期の<フリオ・ソーサ>は声帯に深刻な問題を抱えていたが、手術し無事回復。
それにより、さらに深く低く、歌の精神に調和した声が生まれ出た。

José Colángelo

(ホセ・コランジェロ)

1942/Orquesta/楽団、ピアノ

1940年代・50年代は<エドゥアルド・ロビラ>編曲での演奏をおこなった。
また歌手{エドゥアルド・ソラノ}(Eduardo Solano)の伴奏も務めた。
1959年には<オラシオ・サルガン>楽団のメンバーとラジオ局【LR3ラジオ・ベルグラーノ】の番組に出演。
1962年、<レオポルド・フェデリコ>に招かれ、歌手<フリオ・ソーサ>のピアノ伴奏をし、<フリオ・ソーサ>が1964年に亡くなるまでともにレコーディングをおこなった。
また<ホセ・コランジェロ>は、<ネストル・マルコーニ>、{オマル・ムルタフ}(Omar Murtagh)、<アニバル・アリアス>とともにカルテットを結成する。

Rubén Juárez

(ルベン・フアレス)

1956/Canta/作曲、歌手、バンドネオン

<フリオ・ソーサ>のギターリストだった{エクトル・アルベーロ}と共に、国内ツアーをおこない、{オラシオ・キンターナ}と知り合う。
この出会いは、それからの歌手としての彼のキャリアに大きな影響をおよぼす。
1960年代末、この世を去った人気歌手<フリオ・ソーサ>に取って代わるだけでなく、その後数十年にわたって、タンゴ界のキーパーソンとして活躍した。
1987年にはマルコス・スリナガ監督の映画【タンゴ・バー】にも出演した。
<メルセデス・ソーサ>やバレエダンサーのフリオ・ボッカとも共演。
ヨーロッパとラテンアメリカ全土をめぐるツアーもおこなった。