Tango Artist - フリアン・プラサ

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Julián Plaza

(フリアン・プラサ)

1968/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、ピアノ

1945年からは{アントニオ・ロディオ} Antonio Rodio楽団、1949年からは<ミゲル・カロー>楽団に参加、カロー楽団にはほぼ10年間在籍した。
1956年 <カルロス・ディ・サルリ>楽団に移り、一方で<アティリオ・スタンポーネ>と<フロリンド・サッソーネ>のためにアレンジを書いた。
1959年<オスバルド・プグリエーセ>楽団に落ち着く。
1968年、<フリアン・プラサ>は、<エミリオ・バルカルセ>、<オスバルド・ルジェーロ>、<ビクトル・ラバジェン>、{オスカル・エレーロ} Oscar Herrero、{アルシーデス・ロッシ} Alcides Rossi と共に<セステート・タンゴ>を結成。

Pablo Agri

(パブロ・アグリ)

1990/member/ヴァイオリン

1990年代後半には、タンゴのキャリアをスタートさせ、<オスバルド・ベリンジェリ>、<オラシオ・サルガン>、<フリアン・プラサ>らと共演。
<レオポルド・フェデリコ>楽団へも参加するようになる。
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>に参加。
のちに、{コロン劇場専属オーケストラ}(Orquesta Estable del Teatro Colon)と{アベジャネーダ交響楽団}(Orquesta Sinfonica de Avellaneda)のメンバーとなる。

Osvaldo Pugliese

(オスバルド・プグリエーセ)

1939/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

ピアノを<アンヘル・ダゴスティーノ>、{テネンソフ、エスカラムーサ}、{ルビオーネ}に学んだ。
<ロベルト・フィルポ>、<ペドロ・マフィア>の楽団でも演奏した。
<エルビーノ・バルダーロ>と楽団を結成した時にはすでに最良のピアニストの一人と考えられていた。
その後の<ペドロ・ラウレンス>、<アルフレド・ゴビ>、ダニエル・アルバレス、<ミゲル・カロー>楽団でも演奏した。
1939年から自己の楽団を率い、デ・カロ楽派の素晴らしい結実した。
それは乾いた、短く、反抗的な打音にあらわれる思いの集約であり、しかし決してタンゴからやさしさを奪ってはいない。
特徴的なリズムはジュンバと呼ばれる。
<オスバルド・プグリエーセ>楽団に属した音楽家 ●バンドネオン奏者 <オスバルド・ルジェーロ> <ホルヘ・カルダーラ> <フリアン・プラサ> <ビクトル・ラバジェン> <フアン・ホセ・モサリーニ> <エミリオ・バルカルセ> ●ヴァイオリン奏者 {エンリケ・カメラーノ} {オスカル・エレーロ} {シモン・バジュール} {マウリシオ・マルチェリ} ●コントラバス奏者 {アニセト・ロッシ} {アルシーデス・ロッシ} {フェルナンド・ロマーノ} ●ピアノ奏者 {オスバルド・マンシ} <アルマンド・クーポ> {エルネスト・ロメロ}

Pablo Mainetti

(パブロ・マイネッティ)

1990/member/バンドネオン、現役

彼が共演したミュージシャンは、<アティリオ・スタンポーネ>、{ラウル・ガレーロ}(Raul Garello)、<フリオ・パネ>、<レオポルド・フェデリコ>、<フリアン・プラサ>、<セステート・マジョール>、<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>、<アストル・ピアソラ>の楽団を再現した{エレクトロニコ八重奏団}(Octeto Electronico)など。
彼の五重奏団はアルバム【トレス・リンコネス】(Tres rincones)で2004年ラテン・グラミー賞最優秀タンゴ・アルバム部門にノミネートされている。

Sexteto Tango

(セステート・タンゴ)

1968/Orquesta2/楽団

1968年結成。
オリジナルメンバーは、<オスバルド・プグリエーセ>の楽団出身の演奏家で構成されていた。
初期の19年間は、バンドネオンに<オスバルド・ルジェーロ>と<ビクトル・ラバジェン>、ヴァイオリンに{オスカル・エレーロ}(Oscar Herrero)と<エミリオ・バルカルセ>、ピアノに<フリアン・プラサ>、コントラバスに{アルシーデス・ロッシ}(Alcides Rossi)劇団結成から不動のメンバーが続いた。
楽団最初の歌手は、{ホルヘ・マシエル}(Jorge Maciel)が参加 1974年にコロン劇場での出演者に名を連ねた時がこの楽団の絶頂期であった。
19年後の1987年、<ビクトル・ラバジェン>は楽団を離れる決意をする。

Juan José Mosalini

(フアン・ホセ・モサリーニ)

1992/Orquesta2/楽団、バンドネオン

<ホセ・バッソ>、<レオポルド・フェデリコ>、<オラシオ・サルガン>などの注目の楽団と共演し、1968年、<オスバルド・ルジェーロ>、<ビクトル・ラバジェン>、<フリアン・プラサ>等が<セステート・タンゴ>を結成する為に<オスバルド・プグリエーセ>の楽団を脱退した際に、<フアン・ホセ・モサリーニ>はオスバルド・プグリエーセに招かれた。
もう一人の<オスバルド・プグリエーセ>楽団の新メンバーだったバンドネオン奏者の{ダニエル・ビネリ}(Daniel Binelli)と1970年に{グアルディア・ヌエバ}五重奏団(Quinteto Guardia Nueva)を結成し、彼のキャリアにおける前衛主義が始まった。
1977年にフランスに移り住み、ピアノ奏者の{グスターボ・ベイテルマン}(Gustavo Beytelmann)、ギター奏者の{トーマス・グビッチ}(Tomas Gubitsch)、フルート奏者の{エンゾ・ヒエコ}(Enzo Gieco)等と{ティエンポ・アルヘンティーノ}(Tiempo Argentino)を結成する。
その後、楽団カンシェンゲ(Canyengue、パーカッションパートを持つ)、ベイテルマン、コントラバス奏者の{パトリセ・カラティーニ}(Patrice Caratini)との伝説のトリオの結成。
1992年には{グラン・オルケスタ・デ・タンゴ}(Gran Orquesta de Tango)を結成、その後10年間は主にバンドネオンのソリストとしてフランスの様々なオーケストラと演奏を続けている。
1980年代の半ばには文化省の依頼でバンドネオンの教則本制作の任を受け、1980年代の末にはジュヌヴィリエ音楽院にヨーロッパ初のバンドネオン学科を設立し、そこで教師を務めて、新たな世代の演奏家の育成に貢献している。

Damián Bolotin

(ダミアン・ボロティン)

2005/member/ヴァイオリン、現役

<レオポルド・フェデリコ>、<フリアン・プラサ>、<オラシオ・サルガン>、<アティリオ・スタンポーネ>、<ロドルフォ・メデーロス>、<ネストル・マルコーニ>などに参加

Julián Plaza

(フリアン・プラサ)

1968/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、ピアノ

1945年からは{アントニオ・ロディオ} Antonio Rodio楽団、1949年からは<ミゲル・カロー>楽団に参加、カロー楽団にはほぼ10年間在籍した。
1956年 <カルロス・ディ・サルリ>楽団に移り、一方で<アティリオ・スタンポーネ>と<フロリンド・サッソーネ>のためにアレンジを書いた。
1959年<オスバルド・プグリエーセ>楽団に落ち着く。
1968年、<フリアン・プラサ>は、<エミリオ・バルカルセ>、<オスバルド・ルジェーロ>、<ビクトル・ラバジェン>、{オスカル・エレーロ} Oscar Herrero、{アルシーデス・ロッシ} Alcides Rossi と共に<セステート・タンゴ>を結成。