Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(フアン・デ・ディオス・フィリベルト)
1932/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ
世界中にその名を知られたカミニートが彼の象徴的作品になる。
<カルロス・ガルデル>は彼の曲を15曲ほど録音している。
1932年には自分の楽団を結成、{オルケスタ・ポルテーニャ}と名づけ、オデオンとビクトルに45曲の録音を残した。
指揮者として、現在国立<フアン・デ・ディオス・フィリベルト>記念アルゼンチン音楽オーケストラの名で続いている国立のオーケストラを設立し、それを率いた。


(カルロス・コラレス)
2003/member/バンドネオン
<カルロス・コラレス>は9歳で習い始めたバンドネオンで驚異的な上達をみせ、ソリストとしてラジオ、テレビ、舞台などで演奏を始める。
11歳で、ピアニストで作曲家の<ホセ・バッソ>のオーケストラとの競演でデビューを飾る。
1986年にはソリスタとして、ピアニストで作曲家の<ホセ・コランジェロ>とのコラボで日本40カ所を巡るツアーを行う。
彼が第一バンドネオンとして活躍した楽団には、<オラシオ・サルガン>、<オスバルド・ピロ>、{オスバルド・レケマ}(Osvaldo Requena)、{オマール・バレンテ}(Omar Valente)、<ネストル・マルコーニ>などのオーケストラや、{オルケスタ・デ・タンゴ・ブエノスアイレス}(Orquesta de Tango de Buenos Aires)が挙げられる。
2003年には{オルケスタ・タンゴ・ビア・ブエノスアイレス}を一任された。
2004年にはタンゴバンドのネオタンゴ(Neotango)とCDを発表。
彼は新構成でスタートした<キンテート・レアル>のメンバーでもあり、<フアン・デ・ディオス・フィリベルト>国立アルゼンチン音楽オーケストラ(Orquesta Nacional de Musica Argentina Juan de Dios Filiberto)の第一バンドネオン奏者としても活躍している。


(ロドルフォ・メデーロス)
1970/member/作曲、バンドネオン、映像クリエーター、現役
<ロドルフォ・メデーロス>の才能に惚れこんだ。
<アストル・ピアソラ>の説得を受け、学業を離れブエノスアイレスに移住、アルゼンチンの首都で音楽活動を始める。
1969年には<オスバルド・プグリエーセ>楽団に参加した。
<ロドルフォ・メデーロス>は、2000年に永遠のブエノスアイレス(Eterno Buenos Aires)でラテン・グラミー賞。
2001年にタンゴス/メデーロス&ブリスエラ(Tangos/Mederos-Brizuela)でラテン・グラミーベスト・タンゴ・アルバム部門にノミネートされた。
ガルデル賞(Premio Gardel)は、2000年にタンゴ・ベスト・アーティスト部門で受賞。
2001年にはサトゥルノの小道によりベスト・タンゴ・アルバム部門で受賞 した。
<フアン・デ・ディオス・フィリベルト>国立アルゼンチン音楽オーケストラ(Orquesta de musica Nacional Juan de Dios Filiberto、1986年に指揮者となる。


(ネストル・マルコーニ)
2005/member/バンドネオン、現役
11歳でピアノと作曲の勉強を始め、その後バンドネオンに没頭。
ブエノスアイレスでは、<ホセ・バッソ>楽団のメンバーとしてスタートし、<エンリケ・フランチーニ>=<アルマンド・ポンティエル>楽団のメンバーともなった。
エクトル・コンソーレ、オラシオ・(オマール・)バレンテと共にバングアトリオを結成、タンゴの革新派バンドとなる。
オリジナル曲や、古典の名曲のアレンジでもその個性的な音使いを極めた。
<オラシオ・サルガン>の<キンテート・レアル>のメンバーとして演奏し、<アストル・ピアソラ>・キンテートの再現でピアソラ役としてピアソラのシンフォニックな作品を弾きこなし、<アドリアナ・バレーラ>、<エクトル・スタンポーニ>、<ホセ・コランジェロ>の編曲者として活躍したのは、その万能的なアレンジがあったからこそ。
2005年まで、<アティリオ・スタンポーネ>とともに国立<フアン・デ・ディオス・フィリベルト>・アルゼンチン音楽オーケストラの指揮者をつとめた。
現在は、自身のトリオで息子のレオナルド、コントラバスのオスカル・ジウンタと演奏している。
2007年からはオルケスタ・エスクエラ・デ・タンゴの指揮者もつとめている。


(オスバルド・ピロ)
1963/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、現役
16歳の時、彼は{リカルド・ペデビジャ}(Ricardo Pedevilla)の楽団に加入する。
その後、<アンヘル・ダゴスティーノ>、<ビクトル・ダマリオ>、{ロベルト・カロ}(Roberto Calo)、<フルビオ・サラマンカ>など当時の有名な指揮者たちの楽団に招かれる。
1958年から1963年まで彼が在籍したヴァイオリン奏者<アルフレド・ゴビ>の楽団奏者として、強く人々の記憶に残っている。
1954年から2000年までは<フアン・デ・ディオス・フィリベルト>アルゼンチン音楽国立楽団の指揮者を務めた。
彼はSADAIC(アルゼンチン著作権協会)の最優秀演奏者賞を1992年、1999年の2回受賞した。


(フアン・デ・ディオス・フィリベルト)
1932/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ
世界中にその名を知られたカミニートが彼の象徴的作品になる。
<カルロス・ガルデル>は彼の曲を15曲ほど録音している。
1932年には自分の楽団を結成、{オルケスタ・ポルテーニャ}と名づけ、オデオンとビクトルに45曲の録音を残した。
指揮者として、現在国立<フアン・デ・ディオス・フィリベルト>記念アルゼンチン音楽オーケストラの名で続いている国立のオーケストラを設立し、それを率いた。

