Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(フアン・ダリエンソ)
1937/Orquesta/作曲、楽団、ヴァイオリン
1928年に自己のグループを組み、その頃<フアン・ダリエンソ>はヴァイオリンから指揮棒になった。
彼の楽団のシンプルかつ力強いリズムを持ったスタイルは、1937年以降タンゴ・ダンス人気の復活における鍵となった。
リズムの王様という仇名をつけられていた。
追い立てるようなリズムの刻みと常にピアノが参加するとてもダンサブルな彼の楽団のスタイルの決定には<ロドルフォ・ビアジ>の貢献が決定的だった。
1970年代半ばまで活躍した1000曲近い録音を残した。


(フアン・ダリエンソ)
1937/Orquesta/作曲、楽団、ヴァイオリン
1928年に自己のグループを組み、その頃<フアン・ダリエンソ>はヴァイオリンから指揮棒になった。
彼の楽団のシンプルかつ力強いリズムを持ったスタイルは、1937年以降タンゴ・ダンス人気の復活における鍵となった。
リズムの王様という仇名をつけられていた。
追い立てるようなリズムの刻みと常にピアノが参加するとてもダンサブルな彼の楽団のスタイルの決定には<ロドルフォ・ビアジ>の貢献が決定的だった。
1970年代半ばまで活躍した1000曲近い録音を残した。


(エクトル・マウレ)
1940/Canta/男性歌手、ソロ
1937年には<アンセルモ・アイエタ>楽団で活躍。
<フアン・ダリエンソ>のリフレイン・ボーカルとして大成功をおさめ、1945年にソロ歌手として活動を始めたころから、<カルロス・ガルデル>類されている歌手で、タンゴ界のスターとして認知されるようになった。
ソロ歌手としての長いキャリアを通して、<エクトル・バレラ>、<リト・エスカルソ>、<ホルヘ・ドラゴーネ>、<レオポルド・フェデリコ>などの楽団や、ギター奏者の<ロベルト・グレラ>とも共演した。
(ロドルフォ・ビアジ)
1938/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ
<フアン・マグリオ>楽団で2年以上在籍し、その後{ミゲル・オルランド}の楽団にもいた。
1930年<カルロス・ガルデル>のレコ-ディングで数曲伴奏する。
<フアン・ギド>、<フアン・カナロ>とも演奏した。
1935年の<フアン・ダリエンソ>楽団において編曲家として、エネルギッシュなスタカートと神経質なリズムに貢献した。
<ロドルフォ・ビアジ>はミロンガで好む楽団リーダーになている。
1938年自己の楽団でもそれを引き継いだ。


(エクトル・パチェコ)
1956/Canta/男性歌手
<フアン・ダリエンソ>や<ペドロ・マフィア>らの楽団を経て<オスバルド・フレセド>の楽団で専属歌手として大成功した。
ソフトムードな歌い方が特長。
1956年にソロとして独立。


(アルベルト・エチャグエ)
1938/Canta/歌手
<フアン・ダリエンソ>楽団の象徴的な歌手であり、タンゴがもっとも人気あった時期に、大成功した楽団=歌手のコンビの1つ。
1938年<フアン・ダリエンソ>楽団に入団。
非常に個性的なスタイルを確立し、ドラマチックなタンゴをユーモラスなものに変えてしまった。
1940年、すべてのメンバーと共に<フアン・ダリエンソ>楽団を脱退したが、4年後に戻り、1957年までダリエンソと行動をともにした。
1957年にはもう一人の専属歌手だった<アルマンド・ラボルデ>と{エチャグエ=ラボルデ} Echague-Laborde 楽団を旗揚げした。
1960年<フアン・サンチェス・ゴリオ>楽団に入団、1961年からはソロ歌手として歌い続けた。


(ラ・フアン・ダリエンソ)
2015/Orquesta2/楽団
<フアン・ダリエンソ>の「電撃のリズム」の後継。
{カルロス・ラサリ}亡き後、{カルロス・ラサリ}の孫が現代に復活させた。


(エクトル・バレラ)
1950/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
歌手<ティタ・メレージョ>の伴奏楽団にも参加し、1934年にはわずかの間ではあるが初めて<フアン・ダリエンソ>楽団へ加わっている。
1939年彼自身による初の楽団を編成するが、数ヵ月後にはダリエンソに呼び戻され、<エクトル・バレラ>は自身の楽団を解散し、1940年から1950年の間メイン・バンドネオニスタとして活躍した。
そして1950年、再度自身の楽団結成を決意し、活動開始後すぐに大成功を収めた。
彼の楽団の最初の歌手は、<アルマンド・ラボルデ>と{ロドルフォ・レシーカ}(Rodolfo Lesica)で、この時期にその後彼の楽団に一貫してみられる演奏スタイルを確立している。


(フランシスコ・フィオレンティーノ)
1937/Canta/作曲、男性歌手、バンドネオン、ソロ
<フランシスコ・カナロ>楽団にバンドネオン奏者として参加、<フランシスコ・フィオレンティーノ>は最終的に歌手としてのみ知られるようになるまで、バンドネオンと歌の間で揺れ動く時期を長く過ごした。
1928年からさまざまな有名楽団で活動したにもかかわらず、広く知られた彼の最良の時期は<アニバル・トロイロ>と一緒だった1937年から1944年まで。
トロイロとのコンビはリフレイン歌手の最高の芸。
<フアン・カルロス・コビアン>(1928年)、<フランシスコ・カナロ>(1929年)、<ロベルト・フィルポ>(1929年)、<フアン・ダリエンソ>(1929年)、<アンヘル・ダゴスティーノ>(1930年)、<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>(1931年)、<ペドロ・マフィア>(1931年)、<リカルド・マレルバ>(1936年)、<フランシスコ・フィオレンティーノ>は<オルランド・ゴニ>楽団の歌手<アストル・ピアソラ>指揮のソロ歌手となった。
<イスマエル・スピタルニク>になった(1946年)。
<ホセ・バッソ>楽団(1948-1949年)、その後{アルベルト・マンシオーネ} Alberto Macione 楽団(1950-1951年)、最後は{プグリア=ペドローサ} Puglia-Pedroza楽団(1951-1952年)に参加した。


(エルネスト・フランコ)
1942/Orquesta/楽団、作曲、バンドネオン
18歳の時、<エルビーノ・バルダーロ>楽団でデビュー後、<フアン・ダリエンソ>の楽団で活躍した。
その後、自身の楽団を持った。
