Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(フアン・カルロス・コビアン)
1924/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ
1922年<オスバルド・フレセド>楽団のメンバーとなる。
その後まもなく自己の楽団を結成
ヴァイオリン奏者の<フリオ・デ・カロ>が1924年に自己の六重奏団を結成、タンゴの最初の重要な革新を成し遂げたが、そこにはコビアンの貢献が少なくなかった。
アメリカに向かい、タンゴとジャズを演奏して数年間を過ごし、いくつかのレコードを録音。
1928年ブエノスアイレスに戻り、楽団を結成、その中には歌手<フランシスコ・フィオレンティーノ>が居た。


(エンリケ・カディカモ)
1925/Compositor/作曲、作詞、映画監督
タンゴにおいて多くの作品の作者であり、約1300曲を残す。
<エンリケ・カディカモ>は演出家、脚本家、映画監督でもあった。
彼の膨大な作品には、教養あるスタイルからやくざなスタイル、ノスタルジックなスタイルから力強いスタイルまで多様。
<エンリケ・カディカモ>は<フアン・カルロス・コビアン>、<アニバル・トロイロ>、<マリアーノ・モーレス>、<エンリケ・デルフィーノ>といったほぼすべてのタンゴを代表するアーティストと共作している。

(ロベルト・パンセーラ)
1949/member/バンドネオン
彼は独学でバンドネオンの演奏を学び始め、1940年代の前半になり、{ドミンゴ・S・フェデリコ}(Domingo S. Federico)に師事するようになる。
1945年にフェデリコの勧めで<フアン・カルロス・コビアン>の楽団に<ロベルト・パンセーラ>は所属する。
それからしばらくしてヴァイオリン奏者<エンリケ・フランチーニ>、バンドネオン奏者{アルマンド・ポンティエル}(Armando Pontier)の楽団に加入する。
彼のバンドネオンの才能と技巧が認められ、さらに編曲家としての独創性から、明らかに時代を先取りジャズと現代音楽の調和という実験音楽を求めていた<オスバルド・フレセド>に招かれた。
<オスバルド・フレセド>の楽団に編曲家として<ロベルト・パンセーラ>の加入後、楽団は戦中戦後に聴かれていたアメリカのビッグ・バンド的な雰囲気を帯び始めた。
1955年に<アストル・ピアソラ>はより野心的でタンゴ史における最上のものを求め{ブエノスアイレス八重奏団}(Octeto Buenos Aires)を結成するために<ロベルト・パンセーラ>を招聘した。
その1年後、<オスバルド・フレセド>の楽団に戻り、かつて経営したナイトクラブで演奏するようになった。
彼のスタイルは本質的に<アニバル・トロイロ>的であり、歌手たちから伴奏をもっとも求められる人物の一人となった。
彼は{ウゴ・マルセル}(Hugo Marcel)、<ロベルト・ゴジェネチェ>、{ウーゴ・デル・カリル}(Hugo del Carril)など数多くの歌手たちの伴奏を務めた。
彼はアルゼンチン音楽著作権協会(SADAIC)の会長を1982年から務め、同年ユネスコの国際音楽会議のアルゼンチン代表となった。

(アニバル・トロイロ)
1937/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
彼は、若くからバンドネオニスタとしての才能を発揮した。
1932年には、<フリオ・デ・カロ>、その1年後には<アルフレド・ゴビ>と共演。
続いて、<エルビーノ・バルダーロ>、<アンヘル・ダゴスティーノ>、<エンリケ・サントス・ディセポロ>、<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>楽団(Orquesta Tipica Victor)、<フアン・カルロス・コビアン>とも共演している。
1937年、<アニバル・トロイロ>は自身のオルケスタを結成。
<アニバル・トロイロ>のオルケスタも、<カルロス・ガルデル>の残したスピリットを守り、<アストル・ピアソラ>よりも前に前衛的な音楽に挑戦し、楽団メンバーの構成や指揮、編曲に、細部にわたってこだわりを見せた。


(フランシスコ・フィオレンティーノ)
1937/Canta/作曲、男性歌手、バンドネオン、ソロ
<フランシスコ・カナロ>楽団にバンドネオン奏者として参加、<フランシスコ・フィオレンティーノ>は最終的に歌手としてのみ知られるようになるまで、バンドネオンと歌の間で揺れ動く時期を長く過ごした。
1928年からさまざまな有名楽団で活動したにもかかわらず、広く知られた彼の最良の時期は<アニバル・トロイロ>と一緒だった1937年から1944年まで。
トロイロとのコンビはリフレイン歌手の最高の芸。
<フアン・カルロス・コビアン>(1928年)、<フランシスコ・カナロ>(1929年)、<ロベルト・フィルポ>(1929年)、<フアン・ダリエンソ>(1929年)、<アンヘル・ダゴスティーノ>(1930年)、<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>(1931年)、<ペドロ・マフィア>(1931年)、<リカルド・マレルバ>(1936年)、<フランシスコ・フィオレンティーノ>は<オルランド・ゴニ>楽団の歌手<アストル・ピアソラ>指揮のソロ歌手となった。
<イスマエル・スピタルニク>になった(1946年)。
<ホセ・バッソ>楽団(1948-1949年)、その後{アルベルト・マンシオーネ} Alberto Macione 楽団(1950-1951年)、最後は{プグリア=ペドローサ} Puglia-Pedroza楽団(1951-1952年)に参加した。


(フリオ・デ・カロ)
1924/Orquesta/作曲、楽団、ヴァイオリン
革新的なタンゴの流れをつくってきたデ・カロ楽派。
<フリオ・デ・カロ>は、ピアニストで弟の<フランシスコ・デ・カロ>とともに、<オスバルド・フレセド>と<フアン・カルロス・コビアン>の進歩的なアイデアを体系化し、編曲をほどこし、表現の鍵となるソリストを参加させ、タンゴの表現力を昇華させた(当時、ほとんどソロ演奏が取り入れられていなかった)。
音楽性の高い編曲の概念を持ちこみ、楽団員には後のタンゴ界を引っ張って行くような優秀なメンバーを揃える。
<リカルド・ルイス>・ブリニョーロ、<エドゥアルド・アローラス>、<オスバルド・フレセド>らと共演し、1921年にはサン・マルティン劇場のカーニバルのダンスパーティーで指揮者としてもデビューを果たした。
1923年に<フアン・カルロス・コビアン>楽団のヴァイオリニストに戻る。
1924年バンドネオン2名、ヴァイオリン2名、ピアノ、コントラバスによる自身の六重奏団を結成。
1934年、六重奏団を解散して、オルケスタを結成。
<フリオ・デ・カロ>自身は1940年まで自身の楽団でヴァイオリンを弾いていた。
グアルディア・ヌエバと呼ばれるようになる新しい表現方法を実践する。
ヴァイオリンの演奏は艶っぽい。
「オデオンの5大楽団」のひとつ。


(アグスティン・バルディ)
1921/member/作曲、ヴァイオリン、ピアノ
<アグスティン・バルディ>は、<エドゥアルド・アローラス>、<エンリケ・デルフィーノ>、<フアン・カルロス・コビアン>と共に、タンゴ史におけるもっとも美しい作品を残したクリエーターの一人。
<ビセンテ・グレコ>に招かれ、その後モンテス・デ・オカ通りとイリアルテ通りの交差点にあったカフェ【TVO】で<エドゥアルド・アローラス>と演奏した。
優れた演奏家となっても商社の仕事は辞めなかった。
現在のアルゼンチン音楽著作家協会 SADIACの前身にあたる音楽家の作品の権利を守る組織の創立メンバー。
1921年以降は、音楽活動は作曲のみとなり、現在も作曲家として知られている。

(ウーゴ・バラリス)
1944/member/ヴァイオリン
また彼の名を聞くと、<アニバル・トロイロ>や<アストル・ピアソラ>を思い出すかもしれない。
しばらくして、<ラファエル・ロッシ>との共演、若きバンドネオン奏者<アニバル・トロイロ>と出会うことになる。
そして<アンヘル・ダゴスティーノ>との演奏と続く。
<アニバル・トロイロ>が1937年に自身のオルケスタを結成した時、<ウーゴ・バラリス>を誘い、その後彼は当時無名だった<アストル・ピアソラ>が<アニバル・トロイロ>のオルケスタに入る仲介者となった。
<アニバル・トロイロ>と別れてからは、<フアン・カルロス・コビアン>のオルケスタで演奏した。
その後、生涯の盟友<アストル・ピアソラ>が指揮する、歌手<フランシスコ・フィオレンティーノ>の伴奏楽団に加わる事になる。
1980年に<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>設立時に第一ヴァイオリン奏者として加わり、引退するまで務め上げた。

(ペドロ・マフィア)
1925/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
<ペドロ・マフィア>は、バンドネオン奏者の手本となった。
<ロベルト・フィルポ>、<ルイス・ペトルチェリ>、<リカルド・ルイス>、<フアン・カルロス・コビアン>らと演奏した。
1924年から26年まで有名な<フリオ・デ・カロ>の六重奏団に参加。
その後、自己の楽団を率いた。


(ミゲル・モンテーロ)
1925/Canta/男性歌手
<フランシスコ・ロムート>、<ペドロ・マフィア>、<フアン・カルロス・コビアン>、<オスバルド・プグリエーセ>で歌っていたのち独立を果たした。
共演したのは、<オラシオ・サルガン>や<マリアーノ・モーレス>、<ホセ・リベルテーラ>、<アルマンド・クーポ>など。


(オルランド・ゴニ)
1943/Orquesta/楽団、ピアノ
1937年<アニバル・トロイロ>が自分の楽団を結成する時に、<オルランド・ゴニ>を呼んだ。
完璧にさまざまなリズムをコンビネーションしつつ楽団全体を前に進めていくピアノ。
<ミゲル・カロー>、{マヌエル・ブソン}、<アンセルモ・アイエタ>、<フアン・カルロス・コビアン>の楽団のピアニストをつとめた。
異なるスタイルを持った4人のリーダーのもとで、彼の経験は豊かなものになっていった。
1943年、自己の楽団を結成。
バンドネオンに{アントニオ・リオス} Antonio Rios、<ロベルト・フィルポ>、{エドゥアルド・ロビラ} Eduardo Rovira 、{ルイス・ボナット} Luis Bonnat 、ヴァイオリンに{ロランド・クルセル} Rolando Curcel、{ホセ・アマトリアン} Jose Amatriain、{アントニオ・ブランコ} Antonio Blanco、{エミリオ・ゴンサレス} Emilio Gonzalez、コントラバスに{ドミンゴ・ドナルーマ} Domingo Donarumaといったメンバー。
歌手は、<フランシスコ・フィオレンティーノ>、{アントニオ・ロドリゲス・レセンデ} Antonio Rodriguez Lesende、{オスバルド・カブレーラ} Osvaldo Cabrera、{ラウル・アルダオ} Raul Aldaoが交替で参加していった。

