Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(ビセンテ・グレコ)
1910/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
<ビセンテ・グレコ>楽団は、1910年コルンビア・レコードにおいて、レコード・レーベル上、初めて楽団と記された楽団。
最初のレコードは、【ドン・フアン】(Don Juan)が収録されていた。
<ビセンテ・グレコ>の五重奏団は、{ロレンソ・ラバシエル}(Lorenzo Labissier)(バンドネオン)、<フランシスコ・カナロ>(ヴァイオリン)、 {フアン・アバテ}( Juan Abate) ヴァイオリン)、{ビセンテ・ペッチ}(Vicente Pecci) (フルート)というメンバーだった。
【アポロ劇場】でのダンスパーティーなどの活動が人々に記憶されている。

(フランシスコ・カナロ)
1916/Orquesta/作曲、楽団、ヴァイオリン
<ビセンテ・グレコ>楽団の活動の後、1916年に自身のグループを結成。
1910年代にリズムを強調した「タンゴ・ミロンガ」で評判を得る。
1925年にパリとアメリカへ。
1940年に<フランシスコ・カナロ>によって{ピリンチョ五重奏団}(Quinteto Pirincho)を結成
1961年には来日。
指揮者として4000曲という録音数がある。
「オデオンの5大楽団」のひとつ。


(アグスティン・バルディ)
1921/member/作曲、ヴァイオリン、ピアノ
<アグスティン・バルディ>は、<エドゥアルド・アローラス>、<エンリケ・デルフィーノ>、<フアン・カルロス・コビアン>と共に、タンゴ史におけるもっとも美しい作品を残したクリエーターの一人。
<ビセンテ・グレコ>に招かれ、その後モンテス・デ・オカ通りとイリアルテ通りの交差点にあったカフェ【TVO】で<エドゥアルド・アローラス>と演奏した。
優れた演奏家となっても商社の仕事は辞めなかった。
現在のアルゼンチン音楽著作家協会 SADIACの前身にあたる音楽家の作品の権利を守る組織の創立メンバー。
1921年以降は、音楽活動は作曲のみとなり、現在も作曲家として知られている。

(ヘナロ・エスポシト)
1910/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
トリオや四重奏から1910年頃楽団に移行していった先駆者の一人。
ブエノスイレスにおける1912年のビクトルへの録音から始まる。
<フアン・マグリオ>、<エドゥアルド・アローラス>、<ビセンテ・グレコ>や古典時代のバンドネオン奏者と同世代。
この頃ヴァイオリンの<アグスティン・バルディ>、ギターの{フェリクス・カマラーノ} Felix Camarano 、フルートの{ホセ・フステール} (Jose Fuster)と四重奏団を結成している。
1919年、モンテビデオのアルティーガス劇場で催されたダンスパーティーのために<エドゥアルド・アローラス>が編成した大編成楽団のメンバーとなった。


(ビセンテ・グレコ)
1910/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
<ビセンテ・グレコ>楽団は、1910年コルンビア・レコードにおいて、レコード・レーベル上、初めて楽団と記された楽団。
最初のレコードは、【ドン・フアン】(Don Juan)が収録されていた。
<ビセンテ・グレコ>の五重奏団は、{ロレンソ・ラバシエル}(Lorenzo Labissier)(バンドネオン)、<フランシスコ・カナロ>(ヴァイオリン)、 {フアン・アバテ}( Juan Abate) ヴァイオリン)、{ビセンテ・ペッチ}(Vicente Pecci) (フルート)というメンバーだった。
【アポロ劇場】でのダンスパーティーなどの活動が人々に記憶されている。
