Tango Artist - ドミンゴ・フェデリコ

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Domingo Federico

(ドミンゴ・フェデリコ)

1945/Orquesta/楽団、バンドネオン

<ドミンゴ・フェデリコ>は<フアン・カナロ>の楽団へ移り、1941年には<ミゲル・カロー>の楽団にてその座を確固たるものとした。
1940年代の半ばに自身の楽団を持つに至る。
若者によって構成された楽団、{ロサリオ国立大学タンゴ青年オルケスタ}(Orquesta Juvenil de Tango de la Universidad Nacional de Rosario)では教師として賞賛を受け、芸術活動としても素晴らしい結果を残した。
  1961年に<フランシスコ・カナロ>の日本ツアーでバンドネオン奏者を務め、その後、自身の楽団でも度々日本ツアーを行った。

Armando Moreno

(アルマンド・モレーノ)

1929/Canta/男性歌手

<ドミンゴ・フェデリコ>楽団や<エンリケ・ロドリゲス>で活躍。

Miguel Caló

(ミゲル・カロー)

1928/Orquesta/楽団

1927年に<フランシスコ・プラカニコ>のオルケスタに入り、1928年に自身の楽団を結成した。
オルケスタの特徴は、<オスマル・マデルナ>のピアノ演奏から生まれる軽快なリズムや、インストゥルメンタルを多用するなど踊りやすさがあげられる。
彼のオルケスタには、1940年代のタンゴの時代を作った<アニバル・トロイロ>、<ドミンゴ・フェデリコ>、ヴァイオリン奏者の<エンリケ・フランチーニ>、<アルマンド・ポンティエル>、<オスマル・マデルナ>など在籍した。

Armando Pontier

(アルマンド・ポンティエル)

1945/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン

1939年、<ミゲル・カロー>楽団に参加、<エンリケ・フランチーニ>、<オスマル・マデルナ>、<エクトル・スタンポーニ>、<ドミンゴ・フェデリコ>などの優れたメンバーと一緒に演奏した。
1945年<エンリケ・フランチーニ>と共に<フランチーニ-ポンティエル>楽団を率い、1955年まで活動した。

Domingo Federico

(ドミンゴ・フェデリコ)

1945/Orquesta/楽団、バンドネオン

<ドミンゴ・フェデリコ>は<フアン・カナロ>の楽団へ移り、1941年には<ミゲル・カロー>の楽団にてその座を確固たるものとした。
1940年代の半ばに自身の楽団を持つに至る。
若者によって構成された楽団、{ロサリオ国立大学タンゴ青年オルケスタ}(Orquesta Juvenil de Tango de la Universidad Nacional de Rosario)では教師として賞賛を受け、芸術活動としても素晴らしい結果を残した。
  1961年に<フランシスコ・カナロ>の日本ツアーでバンドネオン奏者を務め、その後、自身の楽団でも度々日本ツアーを行った。

Osmar Maderna

(オスマル・マデルナ)

1945/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

<ミゲル・カロー>楽団から<エクトル・スタンポーニ>が抜けた後、<オスマル・マデルナ>が代わりに入団、ここからマデルナの成功の歴史が始まることになる。
<ミゲル・カロー>楽団には1945年まで留まり、同年1945年、自己の楽団を持ち、歌手<ラウル・イリアルテ>を一緒に連れていった。
<ドミンゴ・フェデリコ>、<エンリケ・フランチーニ>、<アルマンド・ポンティエル>と人気を分かち合った。

Osvaldo Berlingieri

(オスバルド・ベリンジェリ)

1950/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

1944年歌手<エクトル・マウレ>の伴奏楽団に始まる。
その後<ドミンゴ・フェデリコ>、{ホアキン・ド・レジェス}(Joaquin Do Reyes)、<エドガルド・ドナート>、{ミゲル・カロー}(Miguel Calo)などの楽団に参加した。
1956年、<アニバル・トロイロ>の楽団に参加するまでは、歌手<ラウル・イリアルテ>の伴奏を務め、その後の<アニバル・トロイロ>楽団への参加。
<アニバル・トロイロ>楽団には約10年在籍し、その時期に決定的な自身のスタイルを確立。
力強いタンゴリズムを持ちながらも、ジャズの影響を受けた、タンゴにはあまりないコードや装飾を加えたことで、表現力豊かなスタイルを確立した。
<アニバル・トロイロ>楽団での仕事と並行して、{ロス・モデルノス}、{ロス・ノタブレス・デル・タンゴ}、<エルネスト・バッファ>との共同主宰による楽団とトリオにも参加した。
<アニバル・トロイロ>楽団を離れた後、<エルネスト・バッファ>との共演は1970年まで続いた。
その後のプロジェクトは、バンドネオン<レオポルド・フェデリコ>、コントラバス{オラシオ・カバルコス}とのトリオであった。
ヒットした歌手は、<ロベルト・ゴジェネチェ>との共演アルバムから、<オスバルド・タランティーノ>とのピアノ・ドゥオによる不思議なアルバムまで多数の録音を残している。
【タンゴ・アルゼンチーノ】の音楽監督を務めた。

Mario Bustos

(マリオ・ブストス)

1926/Canta/男性歌手

<フアン・ダリエンソ>や<ドミンゴ・フェデリコ>で活躍。