Tango Artist - セバスティアン・ピアナ

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Sebastian Piana

(セバスティアン・ピアナ)

1931/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

1931年、<オメロ・マンシ>の詞によるミロンガ・センティメンタルを発表、ミロンガというジャンルに改革をもたらした。
ピアノ奏者として、<メルセデス・シモーネ>がトリオ・ティピコの伴奏で歌い始めた際、伴奏した。
<アルベルト・ゴメス>など他の歌手の伴奏も行った。
<ペドロ・マフィア>楽団にも、楽団に2名のピアニストがいた際に一緒に演奏している。
1934年には、<ペドロ・マフィア>、<シリアコ・オルティス>、<ペドロ・ラウレンス>、<カルロス・マルクッチ>とともに{ロス・シンコ・アセス・ペベーコ}を結成。
その後自己の楽団を率い、{オルケスタ・ティピカ・カンドンベ}と命名する。
1940年代にビクトルに10曲の録音を残した。

Homero Manzi

(オメロ・マンシ)

1922/Compositor/作詞

<セバスティアン・ピアナ>と1931年にもこの分野の革新的作品となった「ミロンガ・センティメンタル」を作っている。
この作品によって新しいミロンガ・ポルテーニャの形式が始まった。
このコンビはさらに、まずまず人気を獲得した900のミロンガを続けて発表、詩人と作曲家による、タンゴ、ミロンガ、ワルツの多数のヒット作を生み出すコンビネーションを確立していった。
  <カトゥロ・カスティージョ>と<アニバル・トロイロ>は彼のオマージュとして【オメロに捧ぐ】を作った。
<オメロ・マンシ>は、1929年に歴史学の教員となった。
1930年のクーデターの後、反体制に転じ、1931年には民主主義擁護の活動で投獄された。

Carlos García

(カルロス・ガルシーア)

1960/Orquesta/楽団、ピアノ

1932年には、<ロベルト・フィルポ>のオルケスタ・ティピカにピアノ奏者として加入した。
1936年から1938年まで<セバスティアン・ピアナ>の代理として、歌手<メルセデス・シモーネ>のレコーディングやライブに伴奏のトリオの一員として参加している。
1946年には教鞭をとり始め、ソリストとしての演奏や、フォルクローレ楽団の指揮も行った。
1960年からはラジオ局【LS1ラジオ・ムニシパル】(Radio Municipal)にて、1983年まで所属したオデオン・レーベルと同様に音楽顧問を務めた。
1980年代から先の<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>で、<カルロス・ガルシーア>はもっとも伝統的な曲々の編曲を担当した。