Tango Artist - セステート・マジョール

Orquesta(81)  Canta(104)  member(37)  Orquesta2(31)  Electronica(21)  Compositor(13)  Cafe De Los Maestros(15)  

Sexteto Mayor

(セステート・マジョール)

1973/Orquesta/楽団

<セステート・マジョール>は、世界におけるにタンゴブームに貢献した楽団のひとつ。
<セステート・マジョール>は、実業家{ビルヒリオ・マチャド・ラモス}(Virgilio Machado Ramos)の依頼を受け、ソロ名奏者の集団として<ホセ・リベルテーラ>と<ルイス・スタソ>によって結成された。
1973年の結成以降、第一線で活躍するソロ奏者が集結しタンゴのクラシックに新しい息吹を吹き込んだ。
その代表的作品として、ヨーロッパでのタンゴ復興に火をつけ、パリでは伝説となっている【トロトワ-・デ・ブエノスアイレス】(Les Trottoirs de Buenos Aires)によってパリで不動の地位を築き、ブロードウェイでは会場を埋め尽くし世界中に【タンゴ・フィーバー】を巻き起こしたシアター・レビューの【タンゴ・アルヘンティーノ】(Tango Argentino)、音楽とダンスのショー【タンゴ・パシオン】(Tango Pasion)などがある。
楽団構成員の相次ぐ再編成により、タンゴ界の多くの一流奏者がその才能をこの六重奏楽団に寄与することになる。
1974年にはヴァイオリン奏者の{マリオ・アブラモビッチ}(Mario Abramovich)、1980年にはピアノ奏者の{オスカル・パレルモ}(Oscar Palermo)とヴァイオリン奏者の{エドゥアルド・ワルサク}(Eduardo Walczak)、1992年にはコントラバス奏者の{オスバルド・アウリシーノ}(Osvaldo Aulicino)がそれぞれ入団し、歴史にその名を残す<ルイス・スタソ>と<ホセ・リベルテーラ>両名の楽団に加わった。

José Libertella

(ホセ・リベルテーラ)

1973/Cafe De Los Maestros/演奏家

若年にもかかわらず、彼は<オスマル・マデルナ>や<カルロス・ディ・サルリ>の楽団で最前列に並ぶようになった。
1973年には、<ルイス・スタソ>と<セステート・マジョール>を自身の楽団を結成する。
1981年、パリにタンゴバー【ブエノスアイレスの小道】(Trottoirs de Buenos Aires)をオープンした。
彼が音楽監督を務めた{クラウディオ・セゴビア}(Claudio Segovia)、{エクトル・オレソリ}(Hector Orezzoli)の【タンゴ・アルヘンティーノ】(Tango Argentino)は、ヨーロッパ、ブロードウェイで大成功をおさめた。
その後、【タンゴ・パシオン】・カンパニーを率いた。
国際的な成功のキーパーソン。
また<ホセ・リベルテーラ>はソリストとして<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトに参加し、ドキュメンタリー映画【アブラソス、ブエノスアイレスのタンゴ】(Abrazos, Tango en Buenos Aires)で主演の一人を務めた。

Fernando Suarez Paz

(フェルナンド・スアレス・パス)

1973/Cafe De Los Maestros/楽団、ヴァイオリン

若い頃からタンゴを始め、<オラシオ・サルガン>、<ミゲル・カロー>、<ペドロ・ラウレンス>、<アニバル・トロイロ>、{マリアーノ・モーレス}、{アティリオ・スタンポーネ}、<レオポルド・フェデリコ>やその他の楽団にソロ奏者として加わった。
1973年にデビューした<セステート・マジョール>では結成時の初期メンバーだった。
1978年に<アストル・ピアソラ>の後期五重奏団(Quinteti Nuevo Tango)に編入する。
その後10年間、この楽団で幅広く世界ツアーを行う。
この頃ピアソラは彼のためにエスクアロ(Escualo)という曲を作曲している。
1996年にはバンドネオンの楽曲を演奏するために、ピアソラの楽団を真似て五重奏団を結成している。
<フェルナンド・スアレス・パス>は国立交響楽団(la Orquesta Sinfonica Nacional)に在籍したほか、17年間の{ブエノスアイレス交響楽団}(la Filarmonica de Buenos Aires)など、クラシック音楽での長期にわたるキャリアがある。
<カフェ・デ・ロス・マエストロス>では{オルケスタティピカ・ロス・マエストロス}の弦楽団のフロントマンに<フェルナンド・スアレス・パス>が迎え入れられた。

Pablo Mainetti

(パブロ・マイネッティ)

1990/member/バンドネオン、現役

彼が共演したミュージシャンは、<アティリオ・スタンポーネ>、{ラウル・ガレーロ}(Raul Garello)、<フリオ・パネ>、<レオポルド・フェデリコ>、<フリアン・プラサ>、<セステート・マジョール>、<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>、<アストル・ピアソラ>の楽団を再現した{エレクトロニコ八重奏団}(Octeto Electronico)など。
彼の五重奏団はアルバム【トレス・リンコネス】(Tres rincones)で2004年ラテン・グラミー賞最優秀タンゴ・アルバム部門にノミネートされている。

Sexteto Mayor

(セステート・マジョール)

1973/Orquesta/楽団

<セステート・マジョール>は、世界におけるにタンゴブームに貢献した楽団のひとつ。
<セステート・マジョール>は、実業家{ビルヒリオ・マチャド・ラモス}(Virgilio Machado Ramos)の依頼を受け、ソロ名奏者の集団として<ホセ・リベルテーラ>と<ルイス・スタソ>によって結成された。
1973年の結成以降、第一線で活躍するソロ奏者が集結しタンゴのクラシックに新しい息吹を吹き込んだ。
その代表的作品として、ヨーロッパでのタンゴ復興に火をつけ、パリでは伝説となっている【トロトワ-・デ・ブエノスアイレス】(Les Trottoirs de Buenos Aires)によってパリで不動の地位を築き、ブロードウェイでは会場を埋め尽くし世界中に【タンゴ・フィーバー】を巻き起こしたシアター・レビューの【タンゴ・アルヘンティーノ】(Tango Argentino)、音楽とダンスのショー【タンゴ・パシオン】(Tango Pasion)などがある。
楽団構成員の相次ぐ再編成により、タンゴ界の多くの一流奏者がその才能をこの六重奏楽団に寄与することになる。
1974年にはヴァイオリン奏者の{マリオ・アブラモビッチ}(Mario Abramovich)、1980年にはピアノ奏者の{オスカル・パレルモ}(Oscar Palermo)とヴァイオリン奏者の{エドゥアルド・ワルサク}(Eduardo Walczak)、1992年にはコントラバス奏者の{オスバルド・アウリシーノ}(Osvaldo Aulicino)がそれぞれ入団し、歴史にその名を残す<ルイス・スタソ>と<ホセ・リベルテーラ>両名の楽団に加わった。

Luis Stazo

(ルイス・スタソ)

1959/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、現役

1949年に<アルヘンティーノ・ガルバン>楽団に参加。
1949年以降、当時第一線で活躍していた有名ソロ奏者が指揮を取る様々な楽団で活躍し、10年後には、歌手の<アンヘル・バルガス>の伴奏指揮を引き受ける。
1959年から1965年にかけて、{アルフレド・デ・アンヘリス}楽団に初めてのバンドネオン奏者として参加していた。
<ロベルト・ゴジェネチェ>のアルバム ラ・マキシマ・エスプレシオン・デ・タンゴ(La Maxima Expresion del Tango)にポラコとの共演が収録されている。
1973年には、<オスマル・マデルナ>のオーケストラで活躍した時代からの旧友<ホセ・リベルテーラ>と、第一線で活躍する選り抜きのソロ奏者4人ともに<セステート・マジョール>を結成する。
この<セステート・マジョール>は世界にその名を知り渡らせる楽団のひとつとまでとなり、【タンゴ・アルヘンティーノ】(Tango Argentino)後に、【タンゴ・パシオン】(Tango Pasion)が世界で立て続けに公演されていった。
<ホセ・リベルテーラ>の死後(2004年)<ルイス・スタソ>も<セステート・マジョール>から離れ、{スタソ・マジョール}三重奏楽団(el trio StazoMayor)を結成しバンドネオン奏者、編曲担当として指揮を取っている。
メンバーはギターリストの{ココ・ベレガッティ}(Coco Belegatti)とコントラバス奏者の{カスペル・ドンケ}(Kaspar Domke)。