Tango Artist - セステート・タンゴ

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Sexteto Tango

(セステート・タンゴ)

1968/Orquesta2/楽団

1968年結成。
オリジナルメンバーは、<オスバルド・プグリエーセ>の楽団出身の演奏家で構成されていた。
初期の19年間は、バンドネオンに<オスバルド・ルジェーロ>と<ビクトル・ラバジェン>、ヴァイオリンに{オスカル・エレーロ}(Oscar Herrero)と<エミリオ・バルカルセ>、ピアノに<フリアン・プラサ>、コントラバスに{アルシーデス・ロッシ}(Alcides Rossi)劇団結成から不動のメンバーが続いた。
楽団最初の歌手は、{ホルヘ・マシエル}(Jorge Maciel)が参加 1974年にコロン劇場での出演者に名を連ねた時がこの楽団の絶頂期であった。
19年後の1987年、<ビクトル・ラバジェン>は楽団を離れる決意をする。

Color Tango

(コロール・タンゴ)

1989/Orquesta2/楽団、現役

60年代の終わりから、<オスバルド・プグリエーセ>楽団から分離して<セステート・タンゴ>が生まれた頃、<オスバルド・プグリエーセ>のスタイルは果てしない広がりを見せていた。
彼らは最初のプグリエーセ派の楽団であり、またもっとも代表的なものでもあった。
1989年に、<ロベルト・アルバレス>によって結成された<オスバルド・プグリエーセ>のスタイルを踏襲する多くの楽団の中でも傑出した存在。
2001年に分裂。
バンドネオン奏者<ロベルト・アルバレス>の楽団と、コントラバス奏者{アミルカル・トロサ}(Amilcar Tolosa)の指揮する楽団になった。
指揮されているこの楽団の現在のメンバーは第二バンドネオンに{エルナン・バルトロッチ}(Hernan Bartolozzi)、ヴァイオリン{フェルナンド・ロドリゲス}(Fernando Rodriguez)、ヴィオラ{ディエゴ・レレンデギ}(Diego Lerendegui)、キーボード{グスターボ・ウント}(Gustavo Hunt)、ピアノ{アナリア・ゴールドバーグ}(Analia Goldberg)、コントラバス{マヌエル・ゴメス}で構成されている。

Emilio Balcarce

(エミリオ・バルカルセ)

1968/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、ヴァイオリン、バンドネオン、現役

1940年代半ば、歌手の<アルベルト・カスティージョ>が<リカルド・タントゥーリ>楽団からソロとして独立した際、<エミリオ・バルカルセ>は彼の伴奏楽団を率い、その時代の第一線で活躍する。
<アニバル・トロイロ>と<アルフレド・ゴビ>などのために、編曲も行っている。
1948年、<オスバルド・プグリエーセ>楽団に入団。
編曲家としては、20年間に渡って<オスバルド・プグリエーセ>楽団に必要とされ、作曲でもインスピレーションに溢れ、ラ・ボルドーナ(La bordona)シ・ソス・ブルッホ(Si sos brujo)などが有名。
<オスバルド・プグリエーセ>とは日本、ソ連、中国へのツアーを行い、1968年、他のメンバーたちと<オスバルド・プグリエーセ>楽団を辞し、<セステート・タンゴ>を結成した。
1999年{ブエノスアイレス市立タンゴ学校オーケストラ}(Orquesta Escuela de Tango de la Ciudad de Buenos Aires)の指揮者となり、若い音楽家たちにタンゴの歴史的なスタイルを伝え、この楽団とともに、コロン劇場を含むブエノスアイレスの主要劇場やパリでの公演を行っている。
2004年、<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトに参加。
2006年にはブエノスアイレス市の名誉市民に選ばれた。
2007年には{ブエノスアイレス市立タンゴ学校オーケストラ}の指揮を<ネストル・マルコーニ>に託して引退したが、オーケストラは今も<エミリオ・バルカルセ>の名を冠している。

Juan José Mosalini

(フアン・ホセ・モサリーニ)

1992/Orquesta2/楽団、バンドネオン

<ホセ・バッソ>、<レオポルド・フェデリコ>、<オラシオ・サルガン>などの注目の楽団と共演し、1968年、<オスバルド・ルジェーロ>、<ビクトル・ラバジェン>、<フリアン・プラサ>等が<セステート・タンゴ>を結成する為に<オスバルド・プグリエーセ>の楽団を脱退した際に、<フアン・ホセ・モサリーニ>はオスバルド・プグリエーセに招かれた。
もう一人の<オスバルド・プグリエーセ>楽団の新メンバーだったバンドネオン奏者の{ダニエル・ビネリ}(Daniel Binelli)と1970年に{グアルディア・ヌエバ}五重奏団(Quinteto Guardia Nueva)を結成し、彼のキャリアにおける前衛主義が始まった。
1977年にフランスに移り住み、ピアノ奏者の{グスターボ・ベイテルマン}(Gustavo Beytelmann)、ギター奏者の{トーマス・グビッチ}(Tomas Gubitsch)、フルート奏者の{エンゾ・ヒエコ}(Enzo Gieco)等と{ティエンポ・アルヘンティーノ}(Tiempo Argentino)を結成する。
その後、楽団カンシェンゲ(Canyengue、パーカッションパートを持つ)、ベイテルマン、コントラバス奏者の{パトリセ・カラティーニ}(Patrice Caratini)との伝説のトリオの結成。
1992年には{グラン・オルケスタ・デ・タンゴ}(Gran Orquesta de Tango)を結成、その後10年間は主にバンドネオンのソリストとしてフランスの様々なオーケストラと演奏を続けている。
1980年代の半ばには文化省の依頼でバンドネオンの教則本制作の任を受け、1980年代の末にはジュヌヴィリエ音楽院にヨーロッパ初のバンドネオン学科を設立し、そこで教師を務めて、新たな世代の演奏家の育成に貢献している。

Victor Lavallen

(ビクトル・ラバジェン)

1968/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、現役

1951年、<ミゲル・カロー>の楽団に入団し、1954年まで在籍した。
<エンリケ・フランチーニ>楽団、<アルベルト・エチャグエ>=<アルマンド・ラボルデ>楽団にも在籍したのち、1958年には<オスバルド・プグリエーセ>楽団に入団し、編曲もおこなっていた。
1968年、ほかのメンバーらとともにプグリエーセ楽団から脱退。
プグリエーセ・スタイルをくんだグループ、<セステート・タンゴ>の創設メンバーとなる。
1989年、<セステート・タンゴ>とおなじく旧プグリエーセ楽団のメンバーによる<コロール・タンゴ>に参加。
1995年には、国際的に成功を収めたショー【フォーエバー・タンゴ】の楽団メンバーに、1996年からは同楽団の指揮者となった。

Julián Plaza

(フリアン・プラサ)

1968/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、ピアノ

1945年からは{アントニオ・ロディオ} Antonio Rodio楽団、1949年からは<ミゲル・カロー>楽団に参加、カロー楽団にはほぼ10年間在籍した。
1956年 <カルロス・ディ・サルリ>楽団に移り、一方で<アティリオ・スタンポーネ>と<フロリンド・サッソーネ>のためにアレンジを書いた。
1959年<オスバルド・プグリエーセ>楽団に落ち着く。
1968年、<フリアン・プラサ>は、<エミリオ・バルカルセ>、<オスバルド・ルジェーロ>、<ビクトル・ラバジェン>、{オスカル・エレーロ} Oscar Herrero、{アルシーデス・ロッシ} Alcides Rossi と共に<セステート・タンゴ>を結成。

Osvaldo Ruggiero

(オスバルド・ルジェーロ)

1950/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン

17歳のころに<オスバルド・プグリエーセ>楽団に入り直接タンゴを学んだ。
同楽団で長く第1バンドネオン奏者として活躍したあと、<セステート・タンゴ>で世を去るまで演奏した。
作曲者としても<オスバルド・プグリエーセ>のスタイルに合うような名曲をいくつも残している。