Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(キンテート・レアル)
1959/Orquesta/楽団
1959年に、<オラシオ・サルガン>をリーダーとして結成された五重奏。
当初のメンバーはピアノのサルガンの他、ヴァイオリン<エンリケ・フランチーニ>、バンドネオン<ペドロ・ラウレンス>、エレキギター<ウバルド・デ・リオ>、コントラバス{ラファエル・フェロ}。
時代により、{グラン・キンテート・レアル}Gran Quinteto Realや<ヌエボ・キンテート・レアル>などと呼称・表記が変わることがある。

(ペドロ・ラウレンス)
1934/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
1924年に<フリオ・デ・カロ>楽団に参加。
<ペドロ・マフィア>が<フリオ・デ・カロ>楽団から離れた時、<ペドロ・ラウレンス>はトップバンドネオンとなる。
1934年自己の楽団を結成。
楽団解散後は、<オラシオ・サルガン>、<エンリケ・フランチーニ>、<ウバルド・デ・リオ>、{ラファエル・フェロ}と共に<キンテート・レアル>を結成した。
<キンテート・レアル>は、3回来日を果たしている。


(カルロス・コラレス)
2003/member/バンドネオン
<カルロス・コラレス>は9歳で習い始めたバンドネオンで驚異的な上達をみせ、ソリストとしてラジオ、テレビ、舞台などで演奏を始める。
11歳で、ピアニストで作曲家の<ホセ・バッソ>のオーケストラとの競演でデビューを飾る。
1986年にはソリスタとして、ピアニストで作曲家の<ホセ・コランジェロ>とのコラボで日本40カ所を巡るツアーを行う。
彼が第一バンドネオンとして活躍した楽団には、<オラシオ・サルガン>、<オスバルド・ピロ>、{オスバルド・レケマ}(Osvaldo Requena)、{オマール・バレンテ}(Omar Valente)、<ネストル・マルコーニ>などのオーケストラや、{オルケスタ・デ・タンゴ・ブエノスアイレス}(Orquesta de Tango de Buenos Aires)が挙げられる。
2003年には{オルケスタ・タンゴ・ビア・ブエノスアイレス}を一任された。
2004年にはタンゴバンドのネオタンゴ(Neotango)とCDを発表。
彼は新構成でスタートした<キンテート・レアル>のメンバーでもあり、<フアン・デ・ディオス・フィリベルト>国立アルゼンチン音楽オーケストラ(Orquesta Nacional de Musica Argentina Juan de Dios Filiberto)の第一バンドネオン奏者としても活躍している。


(アントニオ・アグリ)
1965/member/作曲、ヴァイオリン
<アストル・ピアソラ>の耳に届き、1962年ピアソラのキンテート(五重奏団)への呼び声がかかった。
ピアソラとは数年間にわたり共演し、海外ツアーにも参加。
それと並行して、<アニバル・トロイロ>、<オスバルド・フレセド>、<オラシオ・サルガン>、<マリアーノ・モーレス>など、タンゴの巨匠たちのショーに参加し、レコーディングもおこなっている。
<キンテート・レアル>やコロン劇場専属オーケストラ(Orquesta del Teatro Colón)にも所属していたが、1976年、自身のオーケストラ、弦楽コンフントを結成する。
タンゴを中心に、グルック(Gluck)、ブラームス(Brahms)、シュトラウス(Strauss)、さらにはビートルズの作品までレパートリーに取り入れた。
1983年、<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>での演奏をスタートとさせ、晩年までたびたびこのオーケストラに参加している。


(ウバルド・デ・リオ)
1960/Cafe De Los Maestros/作曲、ギター、現役
1957年レティーロ地区の店でキューバ音楽を演奏している時、<オラシオ・サルガン>と一緒に演奏してみないかという提案を受ける。
以来サルガンとのドゥオはほぼ50年にわたって続いており、世界中を廻り、絶賛を浴びた。
1960年からこのドゥオを格として、<キンテート・レアル>が結成され、メンバーを変えつつ、2004年からはセサル・サルガン(Cesar Salgan)が父オラシオに代わってデ・リオの傍らで演奏している。
<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトで<エルネスト・バッファ>五重奏団のメンバーでもある。

(ネストル・マルコーニ)
2005/member/バンドネオン、現役
11歳でピアノと作曲の勉強を始め、その後バンドネオンに没頭。
ブエノスアイレスでは、<ホセ・バッソ>楽団のメンバーとしてスタートし、<エンリケ・フランチーニ>=<アルマンド・ポンティエル>楽団のメンバーともなった。
エクトル・コンソーレ、オラシオ・(オマール・)バレンテと共にバングアトリオを結成、タンゴの革新派バンドとなる。
オリジナル曲や、古典の名曲のアレンジでもその個性的な音使いを極めた。
<オラシオ・サルガン>の<キンテート・レアル>のメンバーとして演奏し、<アストル・ピアソラ>・キンテートの再現でピアソラ役としてピアソラのシンフォニックな作品を弾きこなし、<アドリアナ・バレーラ>、<エクトル・スタンポーニ>、<ホセ・コランジェロ>の編曲者として活躍したのは、その万能的なアレンジがあったからこそ。
2005年まで、<アティリオ・スタンポーネ>とともに国立<フアン・デ・ディオス・フィリベルト>・アルゼンチン音楽オーケストラの指揮者をつとめた。
現在は、自身のトリオで息子のレオナルド、コントラバスのオスカル・ジウンタと演奏している。
2007年からはオルケスタ・エスクエラ・デ・タンゴの指揮者もつとめている。


(エンリケ・フランチーニ)
1945/Orquesta/作曲、楽団、ヴァイオリン
1938年<アルヘンティーノ・ガルバン>と演奏し、すぐ後に<ミゲル・カロー>楽団に入団、第1ヴァイオリン奏者として際立つ存在となった。
1945年<ミゲル・カロー>楽団から独立し、バンドネオン奏者の<アルマンド・ポンティエル>と10年に亘って<フランチーニ-ポンティエル>楽団を率いた。
1959年に<オラシオ・サルガン>、<ウバルド・デ・リオ>、<ペドロ・ラウレンス>、{ラファエル・フェロ}(Rafael Ferro)と共に<キンテート・レアル>を結成する。
並行して<エクトル・スタンポーニ>とドゥオを結成、{オクテート・ブエノスアイレス}(Octeto Buenos Aires)、<ロス・アストロス・デル・タンゴ>、<アティリオ・スタンポーネ>楽団にも参加した。
{ブエノスアイレス市立交響楽団}(Orquesta Filarmonica de Buenos Aires)のメンバーを務めたこともあった。

