Tango Artist - カルロス・ディ・サルリ

Orquesta(81)  Canta(104)  member(37)  Orquesta2(31)  Electronica(21)  Compositor(13)  Cafe De Los Maestros(15)  

Carlos Di Sarli

(カルロス・ディ・サルリ)

1939/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

<オスバルド・フレセド>楽団とウンベルト・カナロ楽団のピアニストであった。
1940年以降であり、ダンサーたちに愛された。
辛口で滅多に賛辞をおくらない<アニバル・トロイロ>からも賞賛された。
<カルロス・ディ・サルリ>のスタイルは、リズムのしっかりしたダンサブルな感じ、ソロと変奏がほとんど登場しない統一感が強い。

Alberto Podestá

(アルベルト・ポデスタ)

1940/Cafe De Los Maestros/作曲、男性歌手、ソロ、現役

<ミゲル・カロー>楽団の歌手としてデビュー。
2年後には<カルロス・ディ・サルリ>楽団に移り、ヒットさせ当時のもっとも人気ある歌手の一人となる。
<ペドロ・ラウレンス>楽団、<フランチーニ-ポンティエル>楽団の専属だった。
<エンリケ・フランチーニ>、<アルマンド・ポンティエル>、<エドガルド・ドナート>が1950年代後半までに彼に参加を要請した。
1940年代のスター歌手で、2004年にはアルバム録音のプロジェクト<カフェ・デ・ロス・マエストロス>に参加。

Carlos Di Sarli

(カルロス・ディ・サルリ)

1939/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

<オスバルド・フレセド>楽団とウンベルト・カナロ楽団のピアニストであった。
1940年以降であり、ダンサーたちに愛された。
辛口で滅多に賛辞をおくらない<アニバル・トロイロ>からも賞賛された。
<カルロス・ディ・サルリ>のスタイルは、リズムのしっかりしたダンサブルな感じ、ソロと変奏がほとんど登場しない統一感が強い。

Leopoldo Federico

(レオポルド・フェデリコ)

1958/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、バンドネオン、現役

1958年に{ラディオ・ベルグラーノ}からの依頼で、自身の楽団を結成。
1940年代の伝統的なスタイルと、1950年代の前衛的でダイナミックなサウンドをオリジナルスタイルとして組みあわせており、オルケスタの音楽スタイルに昇華した。
<カルロス・ディ・サルリ>から<アストル・ピアソラ>まで、<レオポルド・フェデリコ>の才能を認めてきた。
<オスマル・マデルナ>、<オラシオ・サルガン>、<アルフレド・ゴビ>、<カルロス・ディ・サルリ>から呼び声がかかる。
<アストル・ピアソラ>とは、長年にわたる親交があり、ピアソラの楽団でも演奏。
タンゴ界の革命的な存在としての{オクテート・ブエノスアイレス}にも参加した。
歌手<フリオ・ソーサ>がソロ活動をしていた期間の伴奏を担当し、器楽演奏レパートリーの幅も広げる。
2003年から<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトに参加。
2005年には{セレクシオン・ナシオナル・デル・タンゴ}のメンバーとなった。

Roberto Rufino

(ロベルト・ルフィーノ)

1938/Canta/作曲、男性歌手、ソロ

1938年、<カルロス・ディ・サルリ>との活動をスタート。
40年代のタンゴ黄金時代の象徴になる。
60年代の<アニバル・トロイロ>の音にも深く関係している。
90年代までソロとして活動した。
{エミリオ・オルランド}( Emilio Orlando)や<フランチーニ-ポンティエル>、<ミゲル・カロー>や{ロベルト・カロ}(Roberto Calo)、<エンリケ・フランチーニ>と演奏。
1961年、{アルマンド・ポルティエル}(Armando Portier)と、1962年から1965年の間は、<アニバル・トロイロ>と歌を共にする

José Libertella

(ホセ・リベルテーラ)

1973/Cafe De Los Maestros/演奏家

若年にもかかわらず、彼は<オスマル・マデルナ>や<カルロス・ディ・サルリ>の楽団で最前列に並ぶようになった。
1973年には、<ルイス・スタソ>と<セステート・マジョール>を自身の楽団を結成する。
1981年、パリにタンゴバー【ブエノスアイレスの小道】(Trottoirs de Buenos Aires)をオープンした。
彼が音楽監督を務めた{クラウディオ・セゴビア}(Claudio Segovia)、{エクトル・オレソリ}(Hector Orezzoli)の【タンゴ・アルヘンティーノ】(Tango Argentino)は、ヨーロッパ、ブロードウェイで大成功をおさめた。
その後、【タンゴ・パシオン】・カンパニーを率いた。
国際的な成功のキーパーソン。
また<ホセ・リベルテーラ>はソリストとして<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトに参加し、ドキュメンタリー映画【アブラソス、ブエノスアイレスのタンゴ】(Abrazos, Tango en Buenos Aires)で主演の一人を務めた。

Roberto Florio

(ロベルト・フロリオ)

1922/Canta/男性歌手

<アルフレド・デ・アンジェリス>や<カルロス・ディ・サルリ>、<ホセ・バッソ>で活躍。

Lidia Borda

(リディア・ボルダ)

2000/Canta/女性歌手、ソロ、現役

現在タンゴ界で人気のある女性歌手の一人。
オルケスタ・<エル・アランケ>し、<チャルロ>、<オスバルド・フレセド>、<カルロス・ディ・サルリ>ら古典タンゴの作者のナンバーを演奏。

Jorge Duran

(ホルヘ・ドゥラン)

1926/Canta/男性歌手

<オラシオ・サルガン>や<カルロス・ディ・サルリ>、<ホセ・バッソ>で活躍のちソリストになった。

Ernesto Fama

(エルネスト・ファマー)

1928/Canta/作曲、男性歌手

劇場で始まった<オスバルド・フレセド>と、まもなく、<カルロス・ディ・サルリ>と <フランシスコ・カナロ>年間続いた。
<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>や<フランシスコ・カナロ>や<フアン・カナロ>などでも活躍。

Argentino Ledesma

(アルヘンティーノ・レデスマ)

1957/Canta/男性歌手

1957年にはオデオン・レーベルの提唱で、ソロ歌手となる。
1958年には初めてチリへ行き大成功をおさめている。
1959年喜劇タンゴの庭(Patio de tango)に参加し、クルト・ランド監督の映画【エル・アサデ】ビューした1952年から常に成功し続けたアーティストだった。
<カルロス・ディ・サルリ>の楽団に歌手として移るが、ラジオ局【LR1ラジオ・エル・ムンド】の番組【グロストラ・タンゴ・クラブ】(Glostora Tango Club)で引き続き<エクトル・バレラ>楽団と歌うために戻っている。
<オスバルド・フレセド>のレコーディングに参加した。
ソロ歌手になってからは1966年まで{ドラゴーネ}(Dragone)の伴奏でレコーディングしている。
その間、ギター伴奏で{デマルコ}(Demarco)や<カルロス・ガルシーア>との共作も残した。

Elvino Vardaro

(エルビーノ・バルダーロ)

1930/Orquesta2/楽団、ヴァイオリン

1920年代の初めには<フアン・マグリオ>や<ロベルト・フィルポ>などの楽団で演奏を始める。
1925年から1932年まで<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>の第一ヴァイオリン奏者になる。
1930年代は自身の六重奏団を指揮した。
<フリオ・デ・カロ>派の流れの頂点を極めた。
1940年代1950年代は{シラルコ・オルティス}(Ciriaco Ortiz)、<オスバルド・フレセド>、<カルロス・ディ・サルリ>、<フルビオ・サラマンカ>、<ペドロ・マフィア>など多くの楽団指揮者に招かれ演奏し、それに加えて自身の楽団も指揮した。
1957年には七重奏団<ロス・アストロス・デル・タンゴ>のメンバーとなり、タンゴの名曲版を出した。
<アストル・ピアソラ>の{弦楽オーケストラ}(Orquesta de Cuerdas)と{ヌエボ・タンゴ}五重奏団(Quinteto Nuevo Tango)で1961年まで演奏する。
<アストル・ピアソラ>が彼に捧げたタンゴ曲バルダリート(Vardarito)がある。

Julián Plaza

(フリアン・プラサ)

1968/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、ピアノ

1945年からは{アントニオ・ロディオ} Antonio Rodio楽団、1949年からは<ミゲル・カロー>楽団に参加、カロー楽団にはほぼ10年間在籍した。
1956年 <カルロス・ディ・サルリ>楽団に移り、一方で<アティリオ・スタンポーネ>と<フロリンド・サッソーネ>のためにアレンジを書いた。
1959年<オスバルド・プグリエーセ>楽団に落ち着く。
1968年、<フリアン・プラサ>は、<エミリオ・バルカルセ>、<オスバルド・ルジェーロ>、<ビクトル・ラバジェン>、{オスカル・エレーロ} Oscar Herrero、{アルシーデス・ロッシ} Alcides Rossi と共に<セステート・タンゴ>を結成。