Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(カルロス・ダンテ)
1936/Canta/男性歌手、映画、サラリーマン、ソロ
1934年<ミゲル・カロー>楽団の歌手となる。
1936年、<ミゲル・カロー>楽団から独立し、<アグスティン・マガルディ>とのコンビを解散したばかりの{ペドロ・ノダ}Pedro Nodaとドゥオを組み、ダンテ=ノダのコンビはすぐに評判となる。
<アルフレド・デ・アンジェリス>楽団=<カルロス・ダンテ>、<フリオ・マルテル>歌のレコードは売れる。
1951年<フリオ・マルテル>に代わって、{オスカル・ラロカ} Oscar Larrocaが入団、<カルロス・ダンテ>の新しいパートナーとなった。
1958年、<アルフレド・デ・アンジェリス>楽団と140曲近くを残した<カルロス・ダンテ>は退団した。
<カルロス・ダンテ>は<フランシスコ・カナロ>によってヨーロッパへの音楽大使団の一員に加わるチャンスを与えられることになる。
こうした仕事が継続してあるにも関わらず、石油輸入公団で17年間も働き続けた。


(カルロス・ダンテ)
1936/Canta/男性歌手、映画、サラリーマン、ソロ
1934年<ミゲル・カロー>楽団の歌手となる。
1936年、<ミゲル・カロー>楽団から独立し、<アグスティン・マガルディ>とのコンビを解散したばかりの{ペドロ・ノダ}Pedro Nodaとドゥオを組み、ダンテ=ノダのコンビはすぐに評判となる。
<アルフレド・デ・アンジェリス>楽団=<カルロス・ダンテ>、<フリオ・マルテル>歌のレコードは売れる。
1951年<フリオ・マルテル>に代わって、{オスカル・ラロカ} Oscar Larrocaが入団、<カルロス・ダンテ>の新しいパートナーとなった。
1958年、<アルフレド・デ・アンジェリス>楽団と140曲近くを残した<カルロス・ダンテ>は退団した。
<カルロス・ダンテ>は<フランシスコ・カナロ>によってヨーロッパへの音楽大使団の一員に加わるチャンスを与えられることになる。
こうした仕事が継続してあるにも関わらず、石油輸入公団で17年間も働き続けた。


(フリオ・マルテル)
1943/Canta/男性歌手
1943年に<アルフレド・デ・アンジェリス>が開いたオーディションに参加することとなる。
数多くの応募者の中、ピアノ奏者フアン・ラウレンサ(Juan Larenza)の試験を受け、合格となる。
<アルフレド・デ・アンジェリス>は<フリオ・マルテル>と<フロレアル・ルイス>をボーカル・セクションに持った。
<フロレアル・ルイス>が楽団を脱退した後、<カルロス・ダンテ>が加入し、<カルロス・ダンテ>と<フリオ・マルテル>がデュオ形式で歌うスタイルを確立した。


(ホルヘ・ドラゴーネ)
1927/Orquesta/作曲、ピアノ
歌手の伴奏楽団として、<アルベルト・カスティージョ>、<アルヘンティーノ・レデスマ>、<カルロス・ダンテ>、<アルベルト・モラン>、<フロレアル・ルイス>、<エドムンド・リベロ>など。


(ラウル・ガレーロ)
1974/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、現役
ブエノスアイレスでは【LR3ラディオ・ベルグラーノ】の専属オーケストラのメンバーとなり、
その後<レオポルド・フェデリコ>の代わりに<ロベルト・フィルポ>・イホの四重奏団のメンバーとなった。
<カルロス・ダンテ>、<アルベルト・モラン>など歌手の伴奏楽団でも活動し、{ロベルト・パンセーラ}、<オラシオ・サルガン>楽団のメンバーでもあった。
その後、<アニバル・トロイロ>楽団に入団し、
1967年、それ以降、<ラウル・ガレーロ>はトロイロ楽団のすべての編曲の責任者となり、
1975年まで輝かしいキャリアを積んだ。
1974年自己の六重奏団を結成、録音も始めた。
まもなく楽団編成は拡大し、1977年の時点ではメンバーが27名にものぼった。
1980年、ピアノ奏者の<カルロス・ガルシーア>と共に、
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>の指揮を引き受けた。
当初からガルシーアは古典的なテーマ、<ラウル・ガレーロ>は現代的なテーマを割り当てられた。
2003年にはブエノスアイレス名誉市民に任命された。

