Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(オルケスタ・ティピカ・ビクトル)
1926/Orquesta/楽団
オデオン社が有名人を揃えたゴールデンメンバーでタンゴ楽団を迎えたのに対し、
ビクター社は新人を青田買いという逆の方針で音楽家を迎えた。
ビクトルは、ビクターのスペイン語読みで、ラジオが中心で、ライブをしないタンゴ専門集団になる。
1925年から1944年の間にメンバーが出たり入ったりを繰り返している。
<ルイス・ペトルチェリ>が<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>の初代指揮者となった。


(アンヘル・バルガス)
1940/Canta/男性歌手、ソロ
1938年<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>楽団と録音した際の歌手としての登録に、音楽会社ビクトル(Victor)へ赴き、その翌年には同社から初のソロのレコードを発表する。
1940年に、<アンヘル・ダゴスティーノ>が<アンヘル・バルガス>を歌手に迎え、レコードは爆発的にヒットした。
<イグナシオ・コルシーニ>を思わせる歌唱スタイルを秘めた
1951年から1954年までは{アルマンド・ラカバ}(Armando Lacava)楽団が彼のバックで演奏しており、1954年から1955年までは<ルイス・スタソ>と1959年には<ホセ・リベルテーラ>との録音を残している。


(アニバル・トロイロ)
1937/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
彼は、若くからバンドネオニスタとしての才能を発揮した。
1932年には、<フリオ・デ・カロ>、その1年後には<アルフレド・ゴビ>と共演。
続いて、<エルビーノ・バルダーロ>、<アンヘル・ダゴスティーノ>、<エンリケ・サントス・ディセポロ>、<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>楽団(Orquesta Tipica Victor)、<フアン・カルロス・コビアン>とも共演している。
1937年、<アニバル・トロイロ>は自身のオルケスタを結成。
<アニバル・トロイロ>のオルケスタも、<カルロス・ガルデル>の残したスピリットを守り、<アストル・ピアソラ>よりも前に前衛的な音楽に挑戦し、楽団メンバーの構成や指揮、編曲に、細部にわたってこだわりを見せた。


(オルケスタ・ティピカ・ビクトル)
1926/Orquesta/楽団
オデオン社が有名人を揃えたゴールデンメンバーでタンゴ楽団を迎えたのに対し、
ビクター社は新人を青田買いという逆の方針で音楽家を迎えた。
ビクトルは、ビクターのスペイン語読みで、ラジオが中心で、ライブをしないタンゴ専門集団になる。
1925年から1944年の間にメンバーが出たり入ったりを繰り返している。
<ルイス・ペトルチェリ>が<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>の初代指揮者となった。


(エルネスト・ファマー)
1928/Canta/作曲、男性歌手
劇場で始まった<オスバルド・フレセド>と、まもなく、<カルロス・ディ・サルリ>と
<フランシスコ・カナロ>年間続いた。
<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>や<フランシスコ・カナロ>や<フアン・カナロ>などでも活躍。


(フランシスコ・フィオレンティーノ)
1937/Canta/作曲、男性歌手、バンドネオン、ソロ
<フランシスコ・カナロ>楽団にバンドネオン奏者として参加、<フランシスコ・フィオレンティーノ>は最終的に歌手としてのみ知られるようになるまで、バンドネオンと歌の間で揺れ動く時期を長く過ごした。
1928年からさまざまな有名楽団で活動したにもかかわらず、広く知られた彼の最良の時期は<アニバル・トロイロ>と一緒だった1937年から1944年まで。
トロイロとのコンビはリフレイン歌手の最高の芸。
<フアン・カルロス・コビアン>(1928年)、<フランシスコ・カナロ>(1929年)、<ロベルト・フィルポ>(1929年)、<フアン・ダリエンソ>(1929年)、<アンヘル・ダゴスティーノ>(1930年)、<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>(1931年)、<ペドロ・マフィア>(1931年)、<リカルド・マレルバ>(1936年)、<フランシスコ・フィオレンティーノ>は<オルランド・ゴニ>楽団の歌手<アストル・ピアソラ>指揮のソロ歌手となった。
<イスマエル・スピタルニク>になった(1946年)。
<ホセ・バッソ>楽団(1948-1949年)、その後{アルベルト・マンシオーネ} Alberto Macione 楽団(1950-1951年)、最後は{プグリア=ペドローサ} Puglia-Pedroza楽団(1951-1952年)に参加した。


(エルビーノ・バルダーロ)
1930/Orquesta2/楽団、ヴァイオリン
1920年代の初めには<フアン・マグリオ>や<ロベルト・フィルポ>などの楽団で演奏を始める。
1925年から1932年まで<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>の第一ヴァイオリン奏者になる。
1930年代は自身の六重奏団を指揮した。
<フリオ・デ・カロ>派の流れの頂点を極めた。
1940年代1950年代は{シラルコ・オルティス}(Ciriaco Ortiz)、<オスバルド・フレセド>、<カルロス・ディ・サルリ>、<フルビオ・サラマンカ>、<ペドロ・マフィア>など多くの楽団指揮者に招かれ演奏し、それに加えて自身の楽団も指揮した。
1957年には七重奏団<ロス・アストロス・デル・タンゴ>のメンバーとなり、タンゴの名曲版を出した。
<アストル・ピアソラ>の{弦楽オーケストラ}(Orquesta de Cuerdas)と{ヌエボ・タンゴ}五重奏団(Quinteto Nuevo Tango)で1961年まで演奏する。
<アストル・ピアソラ>が彼に捧げたタンゴ曲バルダリート(Vardarito)がある。
(アルベルト・ゴメス)
1932/Canta/作曲、男性歌手
彼のテノールの個性的なスタイルは、<カルロス・ガルデル>、<アグスティン・マガルディ>、<イグナシオ・コルシーニ>、<チャルロ>が全盛の時代にあっては最良の歌手の一人。
1932年半ば、<アルベルト・ゴメス>のソロがより大きな存在感を示すようになる。
楽団のリフレイン・ボーカリストとして、ニコの名で<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>などで歌っている。
後年には <エドガルド・ドナート>や<ペドロ・マフィア>とも録音を残している。


(シリアコ・オルティス)
1925/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
あまりに個性的なフレージングで際立っている。
<ロベルト・フィルポ>楽団で、<ペドロ・マフィア>の代役をつとめたことで注目を集めた。
1925年設立時から、<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>のメンバーであり、その他にも{バルダロ=プグリエーセ}楽団 (Vardaro-Pugliese)、<カルロス・ガルデル>を伴奏した。
自己の楽団としては <オルケスタ・ティピカ・ロス・プロビンシアーノス>の設立

