Tango Artist - オラシオ・フェレール

Orquesta(81)  Canta(104)  member(37)  Orquesta2(31)  Electronica(21)  Compositor(13)  Cafe De Los Maestros(15)  

Horacio Ferrer

(オラシオ・フェレール)

1959/Compositor/作詞、ジャーナリズム

フェレールは1955年に<アストル・ピアソラ>と知り合い、その後固い友情を結ぶ。
数年にわたって雑誌タンゲアンドを主宰した。
1956年から59年までバンドネオンを学んだ。
1959年には最初の本タンゴ、その歴史と発展を出版。
ジャーナリズムに転じ、エル・ディア紙の付録の編集者となった。
現在は彼自身が創設したアルゼンチン国立タンゴ・アカデミーの会長職にあり、オペラ【ブエノスアイレスのマリア】の再演に参加、世界中のタンゴの研究や普及の場の中心人物となっている。

Osvaldo Tarantino

(オスバルド・タランティーノ)

1940/member/作曲、ピアニスト、監督

1940年代、<ペドロ・マフィア>や<エドガルド・ドナート>、<アルヘンティーノ・ガルバン>のオーケストラと共に共演。
<エクトル・バレラ>のグループに加わり、<アルフレド・ゴビ>のオーケストラに加わる。
1960年代、<アストル・ピアソラ>の五重奏団、1972年には{グループコンフント9}( Conjunto 9)を結成。
ラウル・ガレロ(Raul Garello)と演奏し、<オラシオ・フェレール>と共演。
1980年代、<ネストル・マルコーニ>やアンヘル・リドルフィ(Angel Ridolfi)、また<ルベン・フアレス>や伝説の<ロベルト・ゴジェネチェ>と舞台【カフェ・オメロ】(Cafe Homero) にて共演。
歌手として有名な<アルベルト・マリノ>や<エドムンド・リベロ>伴奏を務める。

Amelita Baltar

(アメリータ・バルタル)

1968/Canta/女性歌手

<アメリータ・バルタル>は<アストル・ピアソラ>の30以上の作品にその重厚な声を刻み込む。
1968年、<アストル・ピアソラ>と<オラシオ・フェレール>作の小オペラ【ブエノスアイレスのマリア】(Maria de Buenos Aires)主人公を演じる。
バルタールは私生活でも{ピアソラ}結ばれていた。

María Graña

(マリア・グラーニャ)

1970/Canta/女性歌手

19歳の時、<オスバルド・プグリエーセ>と知り合い、プグリエーセ楽団で2年間に渡って、専属歌手<アベル・コルドバ>と共に歌うチャンスを得た。
1970年代の歌手の中では際立った存在であり、30年以上のキャリアを持ち、タンゴの伝説的なアーティストと共演、【カーニョ・カトルセ】 、【ミケランジェロ】、【エル・ビエホ・アルマセン】などブエノスアイレスの代表的なタンゲリーアに出演している。
1983年、{クラウディオ・セゴビア}(Claudio Segovia)と{エクトル・オレソリ}(Hector Orezzoli)による【タンゴ・アルヘンティーノ】にも出演し、パリでの初演以降、ブロードウェイ公演ではアメリカの新聞にアルゼンチンのジュディ・ガーランド(Judy Garland)と評された。
1992年、【ロコへのバラード】(Balada para un loco)の作詞者の<オラシオ・フェレール>と共同でショーを行う。

Hernán Salinas

(エルナン・サリナス)

1980/Canta/男性歌手

歌とタンゴについての研究を行う人として、彼をタンゴ界の重要人物に押し上げる事となった。
1976年にブエノスアイレス市が主催したOTI歌手フェスティバルの際、エルナン・サリナスの芸名で歌い始めた。
黄金の1940年代の生き残りで二つの偉大な楽団の<オスバルド・プグリエーセ>と<アルフレド・デ・アンジェリス>とレコーディングを行った。
1980年から<カルロス・ガルシーア>とルベン・ガレージョ(Ruben Garello)が共同指揮をとる<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>にて歌手を務める。
歌手として在籍中は、アルゼンチンでの数え切れない公演に加え、世界中をツアーして回った。
1987年には<オラシオ・フェレール>と<アストル・ピアソラ>のオペラ【ブエノスアイレスのマリア】(Maria de Buenos Aires junto)に出演するためヨーロッパに行った。