Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(オラシオ・サルガン)
1944/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ、監督
14歳の頃、<ロベルト・フィルポ>のオーケストラのメンバーギタリストの<ウバルド・デ・リオ>と活動を始始める。
1944年から自身のオーケストラの指揮を取り、その中には<レオポルド・フェデリコ>や<エルネスト・バッファ>で、歌手は、<エドムンド・リベロ>や<アンヘル・ディアス>、<ロベルト・ゴジェネチェ>。
1959年に<オラシオ・サルガン>をリーダーとして結成された五重奏。
当初のメンバーはピアノのサルガンの他、ヴァイオリン<エンリケ・フランチーニ>、バンドネオン<ペドロ・ラウレンス>、エレキギター<ウバルド・デ・リオ>、コントラバス{ラファエル・フェロ}。
その後メンバーの死去等もあり<アントニオ・アグリ>、<レオポルド・フェデリコ>、<ネストル・マルコーニ>らと交代。
彼は、アカデミックな音楽、ブラジル音楽、ジャズ、民俗音楽など、さまざまな要素を取り入れたて、数々の名作を生み出した。
1983年、【タンゴ・アルヘンティーノ】(Tango Argentino) のオリジナルキャストとして参加。


(レオポルド・フェデリコ)
1958/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、バンドネオン、現役
1958年に{ラディオ・ベルグラーノ}からの依頼で、自身の楽団を結成。
1940年代の伝統的なスタイルと、1950年代の前衛的でダイナミックなサウンドをオリジナルスタイルとして組みあわせており、オルケスタの音楽スタイルに昇華した。
<カルロス・ディ・サルリ>から<アストル・ピアソラ>まで、<レオポルド・フェデリコ>の才能を認めてきた。
<オスマル・マデルナ>、<オラシオ・サルガン>、<アルフレド・ゴビ>、<カルロス・ディ・サルリ>から呼び声がかかる。
<アストル・ピアソラ>とは、長年にわたる親交があり、ピアソラの楽団でも演奏。
タンゴ界の革命的な存在としての{オクテート・ブエノスアイレス}にも参加した。
歌手<フリオ・ソーサ>がソロ活動をしていた期間の伴奏を担当し、器楽演奏レパートリーの幅も広げる。
2003年から<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトに参加。
2005年には{セレクシオン・ナシオナル・デル・タンゴ}のメンバーとなった。


(オスバルド・モンテス)
1983/member/作曲、バンドネオン
ブエノスアイレスで {エミリオ・オルランド} Emilio Orlando、{ミゲル・ニヘンソン} Miguel Nijenshon、<ミゲル・カロー>、<エンリケ・フランチーニ>で演奏する。
1962年<レオポルド・フェデリコ>率いる、人気絶頂期の歌手<フリオ・ソーサ>の伴奏楽団に参加する。
その他<アティリオ・スタンポーネ>、<オラシオ・サルガン>、<マリアーノ・モーレス>楽団に参加、特に<マリアーノ・モーレス>とは10年近く共演、さまざまな海外公演にも同行した。
1983年から<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>のメンバー。
1980年代末には、<アントニオ・アグリ>の日本ツアーに参加、フランスではギター奏者{シロ・ペレス} Ciro Perezと演奏した。
ピアノの<カルロス・ガルシーア>とのドゥオ、ギターの<アニバル・アリアス>とのドゥオで録音を行っている。


(パブロ・アグリ)
1990/member/ヴァイオリン
1990年代後半には、タンゴのキャリアをスタートさせ、<オスバルド・ベリンジェリ>、<オラシオ・サルガン>、<フリアン・プラサ>らと共演。
<レオポルド・フェデリコ>楽団へも参加するようになる。
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>に参加。
のちに、{コロン劇場専属オーケストラ}(Orquesta Estable del Teatro Colon)と{アベジャネーダ交響楽団}(Orquesta Sinfonica de Avellaneda)のメンバーとなる。


(エルネスト・バッファ)
1959/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、バンドネオン
初めは、<オラシオ・サルガン>楽団で<レオポルド・フェデリコ>の後継として、後には<アニバル・トロイロ>楽団で、第1バンドネオンを任される存在として、1950年代からバンドネオンの代表的演奏家の一人であった。
また多作の作曲家としても知られている。
1953年、<オラシオ・サルガン>楽団に入る前、すでに<エクトル・スタンポーニ>、アルベルト・マンシオーネ Alberto Mancione、<アルフレド・ゴビ>、<ペドロ・ラウレンス>などの楽団、歌手のアルベルト・マリノ Alberto Marinoの伴奏楽団のメンバーだった。
1959年から1968年までは、<オスバルド・ベリンジェリ>と共に活動し始め、また<ウバルド・デ・リオ>と共にクアルテート・ドス・ポル・クアトロ Cuarteto 2x4を率いた。
<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトでは、<ウバルド・デ・リオ>のギター、<クリスティアン・サラテ>のピアノ、ガブリエル・デ・リオ Gabriel De Lio のギターなどによるキンテートによるもの。


(ソニア・ポセッティ)
2003/member/演奏家、現役
ピアノを<オラシオ・サルガン>に学ぶ。
<エルネスト・バッファ>の六重奏団や、{カルロス・ブオーノ}(Carlos Buono)、<ロドルフォ・メデーロス>の五重奏団のメンバーでもあった。
2003年には自身の作曲した作品を演奏する為、著名なミュージシャン達と五重奏団を結成した。
それはヴァイオリンに<ダミアン・ボロティン>、バンドネオンに{フェデリコ・ペレイラ}(Federico Pereira)、パーカッション兼ビブラフォンに{ファビアン・ケオログラニアン}(Fabian Keoroglanian)、コントラバスに{アドリアナ・ゴンサレス}(Adriana Gonzalez)というメンバー構成であった。
1996年からは【アベジャネダ・ポピュラー音楽学校】の教師も勤めており、レパートリーと実習の授業を受け持っている。


(フリオ・パネ)
1989/member/作曲、楽団、バンドネオン、教師
<フリオ・パネ>が在籍した楽団は、<オラシオ・サルガン>、<エンリケ・フランチーニ>、オスバルド・マンシ(Osvaldo Manzi)、<アルマンド・ポンティエル>、<アティリオ・スタンポーネ>、<エクトル・スタンポーニ>、<ミゲル・カロー>、<ホセ・バッソ>、<レオポルド・フェデリコ>、<オスバルド・タランティーノ>、<アストル・ピアソラ>六重奏団 (Sexteto de Astor Piazzolla)
<ラウル・ガレーロ>と<カルロス・ガルシーア>を指揮者にむかえ、1982年に設立された<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>には、83年にソリスタとして参加し、現在もこのオルケスタでも活動している。
1992年、ドラムの{ダニエル・ピアソラ}(Daniel Piazzolla)と、<アストル・ピアソラ>のコンフント・エレクトロニコ(Conjunto Electrónico) を再結成したグループに参加。
このグループはアルバム1枚と数シーズンの公演の後解散した。
2002年、ブエノスアイレスのコロン劇場(Teatro Colón)に自身のトリオで出演。
{イルド・パトリアルカ}(Ildo Patriarca)、<フアンホ・ドミンゲス>と共演。


(ロベルト・ゴジェネチェ)
1952/Canta/男性歌手、ソロ
1950年代の<オラシオ・サルガン>、<アニバル・トロイロ>といった楽団の専属歌手。
年齢からくる声の衰えを、あふれる表現力、感情、感傷を描ききることでカヴァーした。
トロイロ楽団には1963年まで在団し、その頃には歌唱力を磨きあげ、彼は個性的で表現豊かなスタイルを強調するようになっていた。
その後、<アルマンド・ポンティエル>、<アストル・ピアソラ>、<アティリオ・スタンポーネ>、<ラウル・ガレーロ>などの伴奏で歌っている。
1960~70年代にソロ歌手となり、人々の敬意を受ける身となった。
1983年にパリでスタートした 【タンゴ・アルヘンティーノ】の最初のメンバーに選ばれ、
ピノ・ソラナス監督の映画によって国際的な注目を得た。
1988年には日本公演


(カルロス・コラレス)
2003/member/バンドネオン
<カルロス・コラレス>は9歳で習い始めたバンドネオンで驚異的な上達をみせ、ソリストとしてラジオ、テレビ、舞台などで演奏を始める。
11歳で、ピアニストで作曲家の<ホセ・バッソ>のオーケストラとの競演でデビューを飾る。
1986年にはソリスタとして、ピアニストで作曲家の<ホセ・コランジェロ>とのコラボで日本40カ所を巡るツアーを行う。
彼が第一バンドネオンとして活躍した楽団には、<オラシオ・サルガン>、<オスバルド・ピロ>、{オスバルド・レケマ}(Osvaldo Requena)、{オマール・バレンテ}(Omar Valente)、<ネストル・マルコーニ>などのオーケストラや、{オルケスタ・デ・タンゴ・ブエノスアイレス}(Orquesta de Tango de Buenos Aires)が挙げられる。
2003年には{オルケスタ・タンゴ・ビア・ブエノスアイレス}を一任された。
2004年にはタンゴバンドのネオタンゴ(Neotango)とCDを発表。
彼は新構成でスタートした<キンテート・レアル>のメンバーでもあり、<フアン・デ・ディオス・フィリベルト>国立アルゼンチン音楽オーケストラ(Orquesta Nacional de Musica Argentina Juan de Dios Filiberto)の第一バンドネオン奏者としても活躍している。


(ペドロ・ラウレンス)
1934/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
1924年に<フリオ・デ・カロ>楽団に参加。
<ペドロ・マフィア>が<フリオ・デ・カロ>楽団から離れた時、<ペドロ・ラウレンス>はトップバンドネオンとなる。
1934年自己の楽団を結成。
楽団解散後は、<オラシオ・サルガン>、<エンリケ・フランチーニ>、<ウバルド・デ・リオ>、{ラファエル・フェロ}と共に<キンテート・レアル>を結成した。
<キンテート・レアル>は、3回来日を果たしている。


(アントニオ・アグリ)
1965/member/作曲、ヴァイオリン
<アストル・ピアソラ>の耳に届き、1962年ピアソラのキンテート(五重奏団)への呼び声がかかった。
ピアソラとは数年間にわたり共演し、海外ツアーにも参加。
それと並行して、<アニバル・トロイロ>、<オスバルド・フレセド>、<オラシオ・サルガン>、<マリアーノ・モーレス>など、タンゴの巨匠たちのショーに参加し、レコーディングもおこなっている。
<キンテート・レアル>やコロン劇場専属オーケストラ(Orquesta del Teatro Colón)にも所属していたが、1976年、自身のオーケストラ、弦楽コンフントを結成する。
タンゴを中心に、グルック(Gluck)、ブラームス(Brahms)、シュトラウス(Strauss)、さらにはビートルズの作品までレパートリーに取り入れた。
1983年、<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>での演奏をスタートとさせ、晩年までたびたびこのオーケストラに参加している。


(フェルナンド・スアレス・パス)
1973/Cafe De Los Maestros/楽団、ヴァイオリン
若い頃からタンゴを始め、<オラシオ・サルガン>、<ミゲル・カロー>、<ペドロ・ラウレンス>、<アニバル・トロイロ>、{マリアーノ・モーレス}、{アティリオ・スタンポーネ}、<レオポルド・フェデリコ>やその他の楽団にソロ奏者として加わった。
1973年にデビューした<セステート・マジョール>では結成時の初期メンバーだった。
1978年に<アストル・ピアソラ>の後期五重奏団(Quinteti Nuevo Tango)に編入する。
その後10年間、この楽団で幅広く世界ツアーを行う。
この頃ピアソラは彼のためにエスクアロ(Escualo)という曲を作曲している。
1996年にはバンドネオンの楽曲を演奏するために、ピアソラの楽団を真似て五重奏団を結成している。
<フェルナンド・スアレス・パス>は国立交響楽団(la Orquesta Sinfonica Nacional)に在籍したほか、17年間の{ブエノスアイレス交響楽団}(la Filarmonica de Buenos Aires)など、クラシック音楽での長期にわたるキャリアがある。
<カフェ・デ・ロス・マエストロス>では{オルケスタティピカ・ロス・マエストロス}の弦楽団のフロントマンに<フェルナンド・スアレス・パス>が迎え入れられた。


(ウバルド・デ・リオ)
1960/Cafe De Los Maestros/作曲、ギター、現役
1957年レティーロ地区の店でキューバ音楽を演奏している時、<オラシオ・サルガン>と一緒に演奏してみないかという提案を受ける。
以来サルガンとのドゥオはほぼ50年にわたって続いており、世界中を廻り、絶賛を浴びた。
1960年からこのドゥオを格として、<キンテート・レアル>が結成され、メンバーを変えつつ、2004年からはセサル・サルガン(Cesar Salgan)が父オラシオに代わってデ・リオの傍らで演奏している。
<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトで<エルネスト・バッファ>五重奏団のメンバーでもある。

(マルコス・マドリガル)
1936/member/バンドネオン、現役
音楽院と街の楽団で音楽を学び、独学で卓越したバンドネオンの技術を身に付けた。
1936年に<オスバルド・プグリエーセ>の最初の楽団に参加する。
<オラシオ・サルガン>、<エルビーノ・バルダーロ>、<フリオ・デ・カロ>など著名な楽団でバンドネオン奏者を務めた。
また長きに亘るバンドネオン教師としての活動。
現代のタンゴシーンで活躍する一流の演奏家を何人も育てた。
長く切望されていた彼の著によるバンドネオン教則本が2003年に出版された。
<ホセ・リベルテーラ>、<エルネスト・バッファ>、<マルセロ・ニシンマン>、{ビクトル・ウゴ・ビジェーナ}(Victor Hugo Villena)など様々な世代の偉大な演奏家達が名を連ねる。
その後しばらくして、<フアン・サンチェス・ゴリオ>、<エンリケ・ロドリゲス>、そして<オラシオ・サルガン>のオルケスタ・ティピカと演奏した。
1953年、<エルビーノ・バルダーロ>の楽団で再び演奏し、第一バンドネオン奏者の<フリオ・アウマーダ>を支えた。
フリオは後に自身の楽団に彼を招いている。
1970年代の終わりには、<オスバルド・フレセド>とレコーディングをし、1990年代の初めには<カルロス・ガルシーア>率いる楽団で{フェデリコ・スコルティカッティ}(Federico Scorticatti)のサポートとして日本ツアーに同行した。


(ネストル・マルコーニ)
2005/member/バンドネオン、現役
11歳でピアノと作曲の勉強を始め、その後バンドネオンに没頭。
ブエノスアイレスでは、<ホセ・バッソ>楽団のメンバーとしてスタートし、<エンリケ・フランチーニ>=<アルマンド・ポンティエル>楽団のメンバーともなった。
エクトル・コンソーレ、オラシオ・(オマール・)バレンテと共にバングアトリオを結成、タンゴの革新派バンドとなる。
オリジナル曲や、古典の名曲のアレンジでもその個性的な音使いを極めた。
<オラシオ・サルガン>の<キンテート・レアル>のメンバーとして演奏し、<アストル・ピアソラ>・キンテートの再現でピアソラ役としてピアソラのシンフォニックな作品を弾きこなし、<アドリアナ・バレーラ>、<エクトル・スタンポーニ>、<ホセ・コランジェロ>の編曲者として活躍したのは、その万能的なアレンジがあったからこそ。
2005年まで、<アティリオ・スタンポーネ>とともに国立<フアン・デ・ディオス・フィリベルト>・アルゼンチン音楽オーケストラの指揮者をつとめた。
現在は、自身のトリオで息子のレオナルド、コントラバスのオスカル・ジウンタと演奏している。
2007年からはオルケスタ・エスクエラ・デ・タンゴの指揮者もつとめている。


(エドムンド・リベロ)
1940/Canta/作曲、男性歌手、ソロ
1940年代、<オラシオ・サルガン>で共演。
<アニバル・トロイロ>のオーケストラと一緒になると、すぐにトップスターになる。
<カルロス・ガルデル>の後、もっとも偉大なタンゴ歌手として、名を馳せる。
低音を操る技術で、<カルロス・ガルデル>の伝統を受け継ぐ者であった
1950年に<ビクトル・ブチーノ>や自身のギターカルテットと共にソロ活動を始めることになる。
1969年にはピアニストの{カルロス・ガルシーア}と共にブエノスアイレスでもっとも有名なタンゴバーの一つ【エル・ビエホ・アルマセン】(El Viejo Almacen)を開業。
そこで彼は死の直前まで歌い続けた。
<フリオ・デ・カロ>と{ホセ・デ・カロ}(Jose De Caro)のオーケストラの歌手であり、{ロス・カントーレス・デル・ヴァジェ}(Los Cantores del Valle)のメンバーでもあった。
レコード製作のために<オラシオ・サルガン>と再会し、<アストル・ピアソラ>と{ホルヘ・ルイス・ボルヘス}による歌詞で<アストル・ピアソラ>の作品を録音した。


(フアン・ホセ・モサリーニ)
1992/Orquesta2/楽団、バンドネオン
<ホセ・バッソ>、<レオポルド・フェデリコ>、<オラシオ・サルガン>などの注目の楽団と共演し、1968年、<オスバルド・ルジェーロ>、<ビクトル・ラバジェン>、<フリアン・プラサ>等が<セステート・タンゴ>を結成する為に<オスバルド・プグリエーセ>の楽団を脱退した際に、<フアン・ホセ・モサリーニ>はオスバルド・プグリエーセに招かれた。
もう一人の<オスバルド・プグリエーセ>楽団の新メンバーだったバンドネオン奏者の{ダニエル・ビネリ}(Daniel Binelli)と1970年に{グアルディア・ヌエバ}五重奏団(Quinteto Guardia Nueva)を結成し、彼のキャリアにおける前衛主義が始まった。
1977年にフランスに移り住み、ピアノ奏者の{グスターボ・ベイテルマン}(Gustavo Beytelmann)、ギター奏者の{トーマス・グビッチ}(Tomas Gubitsch)、フルート奏者の{エンゾ・ヒエコ}(Enzo Gieco)等と{ティエンポ・アルヘンティーノ}(Tiempo Argentino)を結成する。
その後、楽団カンシェンゲ(Canyengue、パーカッションパートを持つ)、ベイテルマン、コントラバス奏者の{パトリセ・カラティーニ}(Patrice Caratini)との伝説のトリオの結成。
1992年には{グラン・オルケスタ・デ・タンゴ}(Gran Orquesta de Tango)を結成、その後10年間は主にバンドネオンのソリストとしてフランスの様々なオーケストラと演奏を続けている。
1980年代の半ばには文化省の依頼でバンドネオンの教則本制作の任を受け、1980年代の末にはジュヌヴィリエ音楽院にヨーロッパ初のバンドネオン学科を設立し、そこで教師を務めて、新たな世代の演奏家の育成に貢献している。

(オラシオ・サルガン)
1944/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ、監督
14歳の頃、<ロベルト・フィルポ>のオーケストラのメンバーギタリストの<ウバルド・デ・リオ>と活動を始始める。
1944年から自身のオーケストラの指揮を取り、その中には<レオポルド・フェデリコ>や<エルネスト・バッファ>で、歌手は、<エドムンド・リベロ>や<アンヘル・ディアス>、<ロベルト・ゴジェネチェ>。
1959年に<オラシオ・サルガン>をリーダーとして結成された五重奏。
当初のメンバーはピアノのサルガンの他、ヴァイオリン<エンリケ・フランチーニ>、バンドネオン<ペドロ・ラウレンス>、エレキギター<ウバルド・デ・リオ>、コントラバス{ラファエル・フェロ}。
その後メンバーの死去等もあり<アントニオ・アグリ>、<レオポルド・フェデリコ>、<ネストル・マルコーニ>らと交代。
彼は、アカデミックな音楽、ブラジル音楽、ジャズ、民俗音楽など、さまざまな要素を取り入れたて、数々の名作を生み出した。
1983年、【タンゴ・アルヘンティーノ】(Tango Argentino) のオリジナルキャストとして参加。


(エンリケ・フランチーニ)
1945/Orquesta/作曲、楽団、ヴァイオリン
1938年<アルヘンティーノ・ガルバン>と演奏し、すぐ後に<ミゲル・カロー>楽団に入団、第1ヴァイオリン奏者として際立つ存在となった。
1945年<ミゲル・カロー>楽団から独立し、バンドネオン奏者の<アルマンド・ポンティエル>と10年に亘って<フランチーニ-ポンティエル>楽団を率いた。
1959年に<オラシオ・サルガン>、<ウバルド・デ・リオ>、<ペドロ・ラウレンス>、{ラファエル・フェロ}(Rafael Ferro)と共に<キンテート・レアル>を結成する。
並行して<エクトル・スタンポーニ>とドゥオを結成、{オクテート・ブエノスアイレス}(Octeto Buenos Aires)、<ロス・アストロス・デル・タンゴ>、<アティリオ・スタンポーネ>楽団にも参加した。
{ブエノスアイレス市立交響楽団}(Orquesta Filarmonica de Buenos Aires)のメンバーを務めたこともあった。


(ダミアン・ボロティン)
2005/member/ヴァイオリン、現役
<レオポルド・フェデリコ>、<フリアン・プラサ>、<オラシオ・サルガン>、<アティリオ・スタンポーネ>、<ロドルフォ・メデーロス>、<ネストル・マルコーニ>などに参加

(ミゲル・モンテーロ)
1925/Canta/男性歌手
<フランシスコ・ロムート>、<ペドロ・マフィア>、<フアン・カルロス・コビアン>、<オスバルド・プグリエーセ>で歌っていたのち独立を果たした。
共演したのは、<オラシオ・サルガン>や<マリアーノ・モーレス>、<ホセ・リベルテーラ>、<アルマンド・クーポ>など。


(ホセ・コランジェロ)
1942/Orquesta/楽団、ピアノ
1940年代・50年代は<エドゥアルド・ロビラ>編曲での演奏をおこなった。
また歌手{エドゥアルド・ソラノ}(Eduardo Solano)の伴奏も務めた。
1959年には<オラシオ・サルガン>楽団のメンバーとラジオ局【LR3ラジオ・ベルグラーノ】の番組に出演。
1962年、<レオポルド・フェデリコ>に招かれ、歌手<フリオ・ソーサ>のピアノ伴奏をし、<フリオ・ソーサ>が1964年に亡くなるまでともにレコーディングをおこなった。
また<ホセ・コランジェロ>は、<ネストル・マルコーニ>、{オマル・ムルタフ}(Omar Murtagh)、<アニバル・アリアス>とともにカルテットを結成する。

(ラウル・ガレーロ)
1974/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、現役
ブエノスアイレスでは【LR3ラディオ・ベルグラーノ】の専属オーケストラのメンバーとなり、
その後<レオポルド・フェデリコ>の代わりに<ロベルト・フィルポ>・イホの四重奏団のメンバーとなった。
<カルロス・ダンテ>、<アルベルト・モラン>など歌手の伴奏楽団でも活動し、{ロベルト・パンセーラ}、<オラシオ・サルガン>楽団のメンバーでもあった。
その後、<アニバル・トロイロ>楽団に入団し、
1967年、それ以降、<ラウル・ガレーロ>はトロイロ楽団のすべての編曲の責任者となり、
1975年まで輝かしいキャリアを積んだ。
1974年自己の六重奏団を結成、録音も始めた。
まもなく楽団編成は拡大し、1977年の時点ではメンバーが27名にものぼった。
1980年、ピアノ奏者の<カルロス・ガルシーア>と共に、
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>の指揮を引き受けた。
当初からガルシーアは古典的なテーマ、<ラウル・ガレーロ>は現代的なテーマを割り当てられた。
2003年にはブエノスアイレス名誉市民に任命された。


(キンテート・レアル)
1959/Orquesta/楽団
1959年に、<オラシオ・サルガン>をリーダーとして結成された五重奏。
当初のメンバーはピアノのサルガンの他、ヴァイオリン<エンリケ・フランチーニ>、バンドネオン<ペドロ・ラウレンス>、エレキギター<ウバルド・デ・リオ>、コントラバス{ラファエル・フェロ}。
時代により、{グラン・キンテート・レアル}Gran Quinteto Realや<ヌエボ・キンテート・レアル>などと呼称・表記が変わることがある。

(ギジェルモ・ガルベ)
1980/Canta/男性歌手
1977年には【エル・ビエホ・アルマセン】で<オラシオ・サルガン>のグループで歌う。
1980年ピアノ奏者の<オスバルド・タランティーノ>と詩人{フアンカ・タベーラ}の指揮でファースト・アルバムを制作した。
{フアンカ・タベーラ}とは長く活動上のパートナーとなり、<ギジェルモ・ガルベ>は彼の作品の代表的な歌手となった。


(アンヘル・ディアス)
1956/Canta/男性歌手
<ロベルト・ゴジェネチェ>へ影響を強く与えた実力派の歌手であった。
1947年に<フロリンド・サッソーネ>の楽団ボーカルとしてデビューする。
1950年にピアノ奏者<オラシオ・サルガン>の楽団に参加し、その頃、新進の歌手<ロベルト・ゴジェネチェ>と知り合う。
1956年から<アンヘル・ディアス>はソリストとして活動。
<ロベルト・ゴジェネチェ>の名声により<アンヘル・ディアス>にも再び注目が集まり、パレルモ地区の【カフェ・オメーロ】での夜間興行で遅ればせながらの共演を果たした。

