Tango Artist - オスマル・マデルナ

Orquesta(81)  Canta(104)  member(37)  Orquesta2(31)  Electronica(21)  Compositor(13)  Cafe De Los Maestros(15)  

Osmar Maderna

(オスマル・マデルナ)

1945/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

<ミゲル・カロー>楽団から<エクトル・スタンポーニ>が抜けた後、<オスマル・マデルナ>が代わりに入団、ここからマデルナの成功の歴史が始まることになる。
<ミゲル・カロー>楽団には1945年まで留まり、同年1945年、自己の楽団を持ち、歌手<ラウル・イリアルテ>を一緒に連れていった。
<ドミンゴ・フェデリコ>、<エンリケ・フランチーニ>、<アルマンド・ポンティエル>と人気を分かち合った。

Leopoldo Federico

(レオポルド・フェデリコ)

1958/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、バンドネオン、現役

1958年に{ラディオ・ベルグラーノ}からの依頼で、自身の楽団を結成。
1940年代の伝統的なスタイルと、1950年代の前衛的でダイナミックなサウンドをオリジナルスタイルとして組みあわせており、オルケスタの音楽スタイルに昇華した。
<カルロス・ディ・サルリ>から<アストル・ピアソラ>まで、<レオポルド・フェデリコ>の才能を認めてきた。
<オスマル・マデルナ>、<オラシオ・サルガン>、<アルフレド・ゴビ>、<カルロス・ディ・サルリ>から呼び声がかかる。
<アストル・ピアソラ>とは、長年にわたる親交があり、ピアソラの楽団でも演奏。
タンゴ界の革命的な存在としての{オクテート・ブエノスアイレス}にも参加した。
歌手<フリオ・ソーサ>がソロ活動をしていた期間の伴奏を担当し、器楽演奏レパートリーの幅も広げる。
2003年から<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトに参加。
2005年には{セレクシオン・ナシオナル・デル・タンゴ}のメンバーとなった。

José Libertella

(ホセ・リベルテーラ)

1973/Cafe De Los Maestros/演奏家

若年にもかかわらず、彼は<オスマル・マデルナ>や<カルロス・ディ・サルリ>の楽団で最前列に並ぶようになった。
1973年には、<ルイス・スタソ>と<セステート・マジョール>を自身の楽団を結成する。
1981年、パリにタンゴバー【ブエノスアイレスの小道】(Trottoirs de Buenos Aires)をオープンした。
彼が音楽監督を務めた{クラウディオ・セゴビア}(Claudio Segovia)、{エクトル・オレソリ}(Hector Orezzoli)の【タンゴ・アルヘンティーノ】(Tango Argentino)は、ヨーロッパ、ブロードウェイで大成功をおさめた。
その後、【タンゴ・パシオン】・カンパニーを率いた。
国際的な成功のキーパーソン。
また<ホセ・リベルテーラ>はソリストとして<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトに参加し、ドキュメンタリー映画【アブラソス、ブエノスアイレスのタンゴ】(Abrazos, Tango en Buenos Aires)で主演の一人を務めた。

Orquesta Tipica Sans Souci

(オルケスタ・ティピカ・サン・ソーシー)

1998/Orquesta2/楽団

1998 年にブエノスアイレスで創設。
<ミゲル・カロー>と<オスマル・マデルナ>の典型的なオーケストラの音楽スタイル継承。

Orlando Tripodi

(オルランド・トリポディ)

1950/member/ピアノ

{アキレス・ロジェーロ}の率いた<オスマル・マデルナ>の後継楽団

Miguel Caló

(ミゲル・カロー)

1928/Orquesta/楽団

1927年に<フランシスコ・プラカニコ>のオルケスタに入り、1928年に自身の楽団を結成した。
オルケスタの特徴は、<オスマル・マデルナ>のピアノ演奏から生まれる軽快なリズムや、インストゥルメンタルを多用するなど踊りやすさがあげられる。
彼のオルケスタには、1940年代のタンゴの時代を作った<アニバル・トロイロ>、<ドミンゴ・フェデリコ>、ヴァイオリン奏者の<エンリケ・フランチーニ>、<アルマンド・ポンティエル>、<オスマル・マデルナ>など在籍した。

Armando Pontier

(アルマンド・ポンティエル)

1945/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン

1939年、<ミゲル・カロー>楽団に参加、<エンリケ・フランチーニ>、<オスマル・マデルナ>、<エクトル・スタンポーニ>、<ドミンゴ・フェデリコ>などの優れたメンバーと一緒に演奏した。
1945年<エンリケ・フランチーニ>と共に<フランチーニ-ポンティエル>楽団を率い、1955年まで活動した。

Osmar Maderna

(オスマル・マデルナ)

1945/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

<ミゲル・カロー>楽団から<エクトル・スタンポーニ>が抜けた後、<オスマル・マデルナ>が代わりに入団、ここからマデルナの成功の歴史が始まることになる。
<ミゲル・カロー>楽団には1945年まで留まり、同年1945年、自己の楽団を持ち、歌手<ラウル・イリアルテ>を一緒に連れていった。
<ドミンゴ・フェデリコ>、<エンリケ・フランチーニ>、<アルマンド・ポンティエル>と人気を分かち合った。

Luis Stazo

(ルイス・スタソ)

1959/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、現役

1949年に<アルヘンティーノ・ガルバン>楽団に参加。
1949年以降、当時第一線で活躍していた有名ソロ奏者が指揮を取る様々な楽団で活躍し、10年後には、歌手の<アンヘル・バルガス>の伴奏指揮を引き受ける。
1959年から1965年にかけて、{アルフレド・デ・アンヘリス}楽団に初めてのバンドネオン奏者として参加していた。
<ロベルト・ゴジェネチェ>のアルバム ラ・マキシマ・エスプレシオン・デ・タンゴ(La Maxima Expresion del Tango)にポラコとの共演が収録されている。
1973年には、<オスマル・マデルナ>のオーケストラで活躍した時代からの旧友<ホセ・リベルテーラ>と、第一線で活躍する選り抜きのソロ奏者4人ともに<セステート・マジョール>を結成する。
この<セステート・マジョール>は世界にその名を知り渡らせる楽団のひとつとまでとなり、【タンゴ・アルヘンティーノ】(Tango Argentino)後に、【タンゴ・パシオン】(Tango Pasion)が世界で立て続けに公演されていった。
<ホセ・リベルテーラ>の死後(2004年)<ルイス・スタソ>も<セステート・マジョール>から離れ、{スタソ・マジョール}三重奏楽団(el trio StazoMayor)を結成しバンドネオン奏者、編曲担当として指揮を取っている。
メンバーはギターリストの{ココ・ベレガッティ}(Coco Belegatti)とコントラバス奏者の{カスペル・ドンケ}(Kaspar Domke)。

Hector De Rosas

(エクトル・デ・ロサス)

1960/Canta/男性歌手

<アストル・ピアソラ>や<オスバルド・レケーナ>、<オスマル・マデルナ>、{ロベルト・カロ}で活躍。