Tango Artist - オスバルド・フレセド

Orquesta(81)  Canta(104)  member(37)  Orquesta2(31)  Electronica(21)  Compositor(13)  Cafe De Los Maestros(15)  

Osvaldo Fresedo

(オスバルド・フレセド)

1918/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン

1918年、自己の楽団を結成、メンバーに<フリオ・デ・カロ>がいた。
1920年、<エンリケ・デルフィーノ>、{ティト・ロカタグリアータ}と共にアメリカに。
1928年パリへ行き、【エル・ガロンリドアンバサドゥール】といった有名なキャバレーで演奏する。
従来の楽団編成にハープ、ブラス、ドラム、バイブラフォンを加えたこと、有名なジャズ・トランペッター{ディジー・ガレスピー}との共演録音は彼の革新性を象徴するものとなっている。
<フランシスコ・カナロ>と共にキャバレー【モンマルトル】に出演した。
オデオンの5大楽団」のひとつ。

Carlos Di Sarli

(カルロス・ディ・サルリ)

1939/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

<オスバルド・フレセド>楽団とウンベルト・カナロ楽団のピアニストであった。
1940年以降であり、ダンサーたちに愛された。
辛口で滅多に賛辞をおくらない<アニバル・トロイロ>からも賞賛された。
<カルロス・ディ・サルリ>のスタイルは、リズムのしっかりしたダンサブルな感じ、ソロと変奏がほとんど登場しない統一感が強い。

Roberto Pansera

(ロベルト・パンセーラ)

1949/member/バンドネオン

彼は独学でバンドネオンの演奏を学び始め、1940年代の前半になり、{ドミンゴ・S・フェデリコ}(Domingo S. Federico)に師事するようになる。
1945年にフェデリコの勧めで<フアン・カルロス・コビアン>の楽団に<ロベルト・パンセーラ>は所属する。
それからしばらくしてヴァイオリン奏者<エンリケ・フランチーニ>、バンドネオン奏者{アルマンド・ポンティエル}(Armando Pontier)の楽団に加入する。
彼のバンドネオンの才能と技巧が認められ、さらに編曲家としての独創性から、明らかに時代を先取りジャズと現代音楽の調和という実験音楽を求めていた<オスバルド・フレセド>に招かれた。
<オスバルド・フレセド>の楽団に編曲家として<ロベルト・パンセーラ>の加入後、楽団は戦中戦後に聴かれていたアメリカのビッグ・バンド的な雰囲気を帯び始めた。
1955年に<アストル・ピアソラ>はより野心的でタンゴ史における最上のものを求め{ブエノスアイレス八重奏団}(Octeto Buenos Aires)を結成するために<ロベルト・パンセーラ>を招聘した。
その1年後、<オスバルド・フレセド>の楽団に戻り、かつて経営したナイトクラブで演奏するようになった。
彼のスタイルは本質的に<アニバル・トロイロ>的であり、歌手たちから伴奏をもっとも求められる人物の一人となった。
彼は{ウゴ・マルセル}(Hugo Marcel)、<ロベルト・ゴジェネチェ>、{ウーゴ・デル・カリル}(Hugo del Carril)など数多くの歌手たちの伴奏を務めた。
彼はアルゼンチン音楽著作権協会(SADAIC)の会長を1982年から務め、同年ユネスコの国際音楽会議のアルゼンチン代表となった。

Antonio Agri

(アントニオ・アグリ)

1965/member/作曲、ヴァイオリン

<アストル・ピアソラ>の耳に届き、1962年ピアソラのキンテート(五重奏団)への呼び声がかかった。
ピアソラとは数年間にわたり共演し、海外ツアーにも参加。
それと並行して、<アニバル・トロイロ>、<オスバルド・フレセド>、<オラシオ・サルガン>、<マリアーノ・モーレス>など、タンゴの巨匠たちのショーに参加し、レコーディングもおこなっている。
<キンテート・レアル>やコロン劇場専属オーケストラ(Orquesta del Teatro Colón)にも所属していたが、1976年、自身のオーケストラ、弦楽コンフントを結成する。
タンゴを中心に、グルック(Gluck)、ブラームス(Brahms)、シュトラウス(Strauss)、さらにはビートルズの作品までレパートリーに取り入れた。
1983年、<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>での演奏をスタートとさせ、晩年までたびたびこのオーケストラに参加している。

Lidia Borda

(リディア・ボルダ)

2000/Canta/女性歌手、ソロ、現役

現在タンゴ界で人気のある女性歌手の一人。
オルケスタ・<エル・アランケ>し、<チャルロ>、<オスバルド・フレセド>、<カルロス・ディ・サルリ>ら古典タンゴの作者のナンバーを演奏。

Hector Pacheco

(エクトル・パチェコ)

1956/Canta/男性歌手

<フアン・ダリエンソ>や<ペドロ・マフィア>らの楽団を経て<オスバルド・フレセド>の楽団で専属歌手として大成功した。
ソフトムードな歌い方が特長。
1956年にソロとして独立。

Ernesto Fama

(エルネスト・ファマー)

1928/Canta/作曲、男性歌手

劇場で始まった<オスバルド・フレセド>と、まもなく、<カルロス・ディ・サルリ>と <フランシスコ・カナロ>年間続いた。
<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>や<フランシスコ・カナロ>や<フアン・カナロ>などでも活躍。

Marcos Madrigal

(マルコス・マドリガル)

1936/member/バンドネオン、現役

音楽院と街の楽団で音楽を学び、独学で卓越したバンドネオンの技術を身に付けた。
1936年に<オスバルド・プグリエーセ>の最初の楽団に参加する。
<オラシオ・サルガン>、<エルビーノ・バルダーロ>、<フリオ・デ・カロ>など著名な楽団でバンドネオン奏者を務めた。
また長きに亘るバンドネオン教師としての活動。
現代のタンゴシーンで活躍する一流の演奏家を何人も育てた。
長く切望されていた彼の著によるバンドネオン教則本が2003年に出版された。
<ホセ・リベルテーラ>、<エルネスト・バッファ>、<マルセロ・ニシンマン>、{ビクトル・ウゴ・ビジェーナ}(Victor Hugo Villena)など様々な世代の偉大な演奏家達が名を連ねる。
その後しばらくして、<フアン・サンチェス・ゴリオ>、<エンリケ・ロドリゲス>、そして<オラシオ・サルガン>のオルケスタ・ティピカと演奏した。
1953年、<エルビーノ・バルダーロ>の楽団で再び演奏し、第一バンドネオン奏者の<フリオ・アウマーダ>を支えた。
フリオは後に自身の楽団に彼を招いている。
1970年代の終わりには、<オスバルド・フレセド>とレコーディングをし、1990年代の初めには<カルロス・ガルシーア>率いる楽団で{フェデリコ・スコルティカッティ}(Federico Scorticatti)のサポートとして日本ツアーに同行した。

Argentino Ledesma

(アルヘンティーノ・レデスマ)

1957/Canta/男性歌手

1957年にはオデオン・レーベルの提唱で、ソロ歌手となる。
1958年には初めてチリへ行き大成功をおさめている。
1959年喜劇タンゴの庭(Patio de tango)に参加し、クルト・ランド監督の映画【エル・アサデ】ビューした1952年から常に成功し続けたアーティストだった。
<カルロス・ディ・サルリ>の楽団に歌手として移るが、ラジオ局【LR1ラジオ・エル・ムンド】の番組【グロストラ・タンゴ・クラブ】(Glostora Tango Club)で引き続き<エクトル・バレラ>楽団と歌うために戻っている。
<オスバルド・フレセド>のレコーディングに参加した。
ソロ歌手になってからは1966年まで{ドラゴーネ}(Dragone)の伴奏でレコーディングしている。
その間、ギター伴奏で{デマルコ}(Demarco)や<カルロス・ガルシーア>との共作も残した。

Florindo Sassone

(フロリンド・サッソーネ)

1947/Orquesta/楽団、ヴァイオリン

1931年に<ロベルト・フィルポ>の楽団に加わり、1933年には<オスバルド・フレセド>の楽団に移り、その楽団のスタイルは彼に強い影響を与えた。
1936年に<フランシスコ・アモール>を歌手にはじめて自身の楽団を結成する。
1947年に、歌手<ホルヘ・カサル>と共演したその後人気を得た。
<ホルヘ・カサル>が去った後、<オスバルド・プグリエーセ>の楽団を離れたばかりだった<ロベルト・チャネル>が加わる。
その他、共演した歌手には、<アンヘル・ディアス>などがいた。
また<オスバルド・レケーナ>、{ルシアーノ・レオカタ}(Luciano Leocata)、{アルマンド・クーポ}(Armando Cupo)なども彼の楽団に所属した。
1972年にはコロン劇場の舞台に立った。
自身の楽団とは別に、人気の{セステート・ドン・フロリンド}(Sexteto Don Florindo)の指揮も行った。

Julio De Caro

(フリオ・デ・カロ)

1924/Orquesta/作曲、楽団、ヴァイオリン

革新的なタンゴの流れをつくってきたデ・カロ楽派。
<フリオ・デ・カロ>は、ピアニストで弟の<フランシスコ・デ・カロ>とともに、<オスバルド・フレセド>と<フアン・カルロス・コビアン>の進歩的なアイデアを体系化し、編曲をほどこし、表現の鍵となるソリストを参加させ、タンゴの表現力を昇華させた(当時、ほとんどソロ演奏が取り入れられていなかった)。
音楽性の高い編曲の概念を持ちこみ、楽団員には後のタンゴ界を引っ張って行くような優秀なメンバーを揃える。
<リカルド・ルイス>・ブリニョーロ、<エドゥアルド・アローラス>、<オスバルド・フレセド>らと共演し、1921年にはサン・マルティン劇場のカーニバルのダンスパーティーで指揮者としてもデビューを果たした。
1923年に<フアン・カルロス・コビアン>楽団のヴァイオリニストに戻る。
1924年バンドネオン2名、ヴァイオリン2名、ピアノ、コントラバスによる自身の六重奏団を結成。
1934年、六重奏団を解散して、オルケスタを結成。
<フリオ・デ・カロ>自身は1940年まで自身の楽団でヴァイオリンを弾いていた。
グアルディア・ヌエバと呼ばれるようになる新しい表現方法を実践する。
ヴァイオリンの演奏は艶っぽい。
オデオンの5大楽団」のひとつ。

Elvino Vardaro

(エルビーノ・バルダーロ)

1930/Orquesta2/楽団、ヴァイオリン

1920年代の初めには<フアン・マグリオ>や<ロベルト・フィルポ>などの楽団で演奏を始める。
1925年から1932年まで<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>の第一ヴァイオリン奏者になる。
1930年代は自身の六重奏団を指揮した。
<フリオ・デ・カロ>派の流れの頂点を極めた。
1940年代1950年代は{シラルコ・オルティス}(Ciriaco Ortiz)、<オスバルド・フレセド>、<カルロス・ディ・サルリ>、<フルビオ・サラマンカ>、<ペドロ・マフィア>など多くの楽団指揮者に招かれ演奏し、それに加えて自身の楽団も指揮した。
1957年には七重奏団<ロス・アストロス・デル・タンゴ>のメンバーとなり、タンゴの名曲版を出した。
<アストル・ピアソラ>の{弦楽オーケストラ}(Orquesta de Cuerdas)と{ヌエボ・タンゴ}五重奏団(Quinteto Nuevo Tango)で1961年まで演奏する。
<アストル・ピアソラ>が彼に捧げたタンゴ曲バルダリート(Vardarito)がある。

Teofilo Ibanez

(テオフィロ・イバニェス)

1928/Canta/男性歌手、作詞

<ロドルフォ・ビアジ>、<フリオ・デ・カロ>や<オスバルド・フレセド>、{オルケスタ・ティピカ・ブルンスウィック}などで活躍。

Héctor Artola

(エクトル・アルトラ)

1950/Orquesta/演奏家

1927年12月、{エドゥアルド・ビアンコ}(Eduardo Bianco)楽団に参加するためパリへ。
<リベルタ・ラマルケ>のバックオーケストラに加わるため、1934年にアルゼンチンへ戻り、この楽団に1937年まで所属。
{ミゲル・ニヘンソン}(Miguel Nijenson)、{ミゲル・ボナーノ}(Miguel Bonano)、<フランシスコ・フィオレンティーノ>とともに、{ロス・ポエタス・デル・タンゴ}(Los Poetas del Tango)を結成したが、その後すぐ<フランシスコ・カナロ>から声がかかる。
さらにヨーロッパから<ラファエル・カナロ>に呼ばれる。
1940年からブエノスアイレスで<ロベルト・マイダ>のバックオーケストラで<アルヘンティーノ・ガルバン>と知り合う。
<オスバルド・フレセド>楽団のバンドネオン奏者としても活動した時期もある。
【LR1ラディオ・エル・ムンド】の専属オーケストラに入り、当時のトップシンガーたちの編曲を担当した。
他にも【LR3 ラディオ・ベルグラーノ】の専属オーケストラや、ユニークなものでは{オルケスタ・シンフォニカ・アルヘンティーナ}の指揮もとっていた。
<エクトル・アルトラ>は、{オスカル・アロンソ}(Oscar Alonso)などの歌手の伴奏者として憶えられているが、1950年代に<エルビーノ・バルダーロ>楽団の編曲者としても活躍していた。

Argentino Galván

(アルヘンティーノ・ガルバン)

1928/Orquesta/作曲、楽団、ヴァイオリン

1935年以降は、<ミゲル・カロー>、<オスバルド・フレセド>、<アニバル・トロイロ>、<フランチーニ-ポンティエル>、自己の楽団のために書いた革新的な編曲によってその才能を広く認められるようになる。
1958年、<エドゥアルド・アローラス>、<アグスティン・バルディ>、<フリオ・デ・カロ>、<エンリケ・デルフィーノ>、<アンセルモ・アイエタ>という有名な作曲家の作品を体系的に演奏するため七重奏団<ロス・アストロス・デル・タンゴ>を設立。

Gabriel Clausi

(ガブリエル・クラウシ)

1930/Orquesta/作曲、バンドネオン

演奏家として、彼はソロ演奏を好み、<ペドロ・マフィア>の感性と技術を受け継ぐ。
<フアン・マグリオ>、<フランシスコ・プラカニコ>、<ロベルト・フィルポ>、<フリオ・デ・カロ>、<オスバルド・フレセド>などで共演している。
1940年代には、<ガブリエル・クラウシ>楽団を結成し、その後10年以上滞在することになるチリに渡り活躍する。
若き日の<アストル・ピアソラ>も短期間滞在した。
21世紀に、ファンからの要望を受けてロックバン{ドロス・ピオホス}とゲストとして共演するなど、他ジャンルにも活躍の場を広げていた。

Luis Diaz

(ルイス・ディアス)

1926/Canta/男性歌手、作詞

<フリオ・デ・カロ>楽団や{ドナート=セリージョ}楽団、<オスバルド・フレセド>楽団、{オルケスタ・ティピカ・ブルンスウィック}などで活躍。

Juan Carlos Cobian

(フアン・カルロス・コビアン)

1924/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

1922年<オスバルド・フレセド>楽団のメンバーとなる。
その後まもなく自己の楽団を結成 ヴァイオリン奏者の<フリオ・デ・カロ>が1924年に自己の六重奏団を結成、タンゴの最初の重要な革新を成し遂げたが、そこにはコビアンの貢献が少なくなかった。
アメリカに向かい、タンゴとジャズを演奏して数年間を過ごし、いくつかのレコードを録音。
1928年ブエノスアイレスに戻り、楽団を結成、その中には歌手<フランシスコ・フィオレンティーノ>が居た。

Carlos Roldan

(カルロス・ロルダン)

1945/Canta/男性歌手

<フランシスコ・カナロ>や<フランシスコ・ロトゥンド>、<オスバルド・フレセド>で活躍。

Ada Falcón

(アダ・ファルコン)

1927/Canta/女性歌手

個性的な声によって、<アダ・ファルコン>は評価の高い女性歌手となった。
1925年ビクトル・レーベルでの録音。
<オスバルド・フレセド>楽団の伴奏で残した4曲に始まる。
1929年<フランシスコ・カナロ>楽団の伴奏でリフレイン歌手として録音を残すようになる。
また、同じく1929年LR10ラディオ・クルトゥーラの番組でラジオ放送でもデビュー。
1930年代初めには、<アダ・ファルコン>と<フランシスコ・カナロ>の関係はロマンスに発展しており、彼女は<フランシスコ・カナロ>にインスレーションを与えたミューズでもあり、多くの曲が<フランシスコ・カナロ>から<アダ・ファルコン>に捧げられている。
1930年代半ばまで深まり続けた。
しかし、この伝説のカップルが生活をともにすることはなかった。
宗教に人生を捧げるため早期に引退し、1942年以降の<アダ・ファルコン>の人生は伝説となっている。

Carlos Barrios

(カルロス・バリオス)

1924/Canta/男性歌手

<オスバルド・フレセド>で活躍。