Tango Artist - エンリケ・デルフィーノ

Orquesta(81)  Canta(104)  member(37)  Orquesta2(31)  Electronica(21)  Compositor(13)  Cafe De Los Maestros(15)  

Enrique Delfino

(エンリケ・デルフィーノ)

1919/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ

1919年{オルケスタ・ティピカ・セレクト}(Tipica Select)のメンバー。
ユーモアあふれるピアノ芸人としても記憶されている。

Enrique Cadícamo

(エンリケ・カディカモ)

1925/Compositor/作曲、作詞、映画監督

タンゴにおいて多くの作品の作者であり、約1300曲を残す。
<エンリケ・カディカモ>は演出家、脚本家、映画監督でもあった。
彼の膨大な作品には、教養あるスタイルからやくざなスタイル、ノスタルジックなスタイルから力強いスタイルまで多様。
<エンリケ・カディカモ>は<フアン・カルロス・コビアン>、<アニバル・トロイロ>、<マリアーノ・モーレス>、<エンリケ・デルフィーノ>といったほぼすべてのタンゴを代表するアーティストと共作している。

Osvaldo Fresedo

(オスバルド・フレセド)

1918/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン

1918年、自己の楽団を結成、メンバーに<フリオ・デ・カロ>がいた。
1920年、<エンリケ・デルフィーノ>、{ティト・ロカタグリアータ}と共にアメリカに。
1928年パリへ行き、【エル・ガロンリドアンバサドゥール】といった有名なキャバレーで演奏する。
従来の楽団編成にハープ、ブラス、ドラム、バイブラフォンを加えたこと、有名なジャズ・トランペッター{ディジー・ガレスピー}との共演録音は彼の革新性を象徴するものとなっている。
<フランシスコ・カナロ>と共にキャバレー【モンマルトル】に出演した。
オデオンの5大楽団」のひとつ。

Edgardo Donato

(エドガルド・ドナート)

1930/Orquesta/作曲、楽団、ヴァイオリン

モンテビデオにあるフランツリスト音楽院に通い、音楽を習得する。
ピアニストの{エンリケ・デルフィーノ}が在籍する楽団や、ジャズピアニストの{カルロス・ウォーレン}の楽団を渡り、<エドゥアルド・アローラス>楽団にも籍を置いて、ブエノスアイレスに戻ってくる。
1927年に、{ロベルト・セリージョ}と共に、{ドナート・セリージョ楽団} (Orquesta Donato-Zerrillo) を設立する。
1930年に、{ロベルト・セリージョ}がチリに移住し、<エドガルド・ドナート>楽団 (La orquesta de Edgardo Donato)となる。

Agustín Bardi

(アグスティン・バルディ)

1921/member/作曲、ヴァイオリン、ピアノ

<アグスティン・バルディ>は、<エドゥアルド・アローラス>、<エンリケ・デルフィーノ>、<フアン・カルロス・コビアン>と共に、タンゴ史におけるもっとも美しい作品を残したクリエーターの一人。
<ビセンテ・グレコ>に招かれ、その後モンテス・デ・オカ通りとイリアルテ通りの交差点にあったカフェ【TVO】で<エドゥアルド・アローラス>と演奏した。
優れた演奏家となっても商社の仕事は辞めなかった。
現在のアルゼンチン音楽著作家協会 SADIACの前身にあたる音楽家の作品の権利を守る組織の創立メンバー。
1921年以降は、音楽活動は作曲のみとなり、現在も作曲家として知られている。

Argentino Galván

(アルヘンティーノ・ガルバン)

1928/Orquesta/作曲、楽団、ヴァイオリン

1935年以降は、<ミゲル・カロー>、<オスバルド・フレセド>、<アニバル・トロイロ>、<フランチーニ-ポンティエル>、自己の楽団のために書いた革新的な編曲によってその才能を広く認められるようになる。
1958年、<エドゥアルド・アローラス>、<アグスティン・バルディ>、<フリオ・デ・カロ>、<エンリケ・デルフィーノ>、<アンセルモ・アイエタ>という有名な作曲家の作品を体系的に演奏するため七重奏団<ロス・アストロス・デル・タンゴ>を設立。