Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(エルビーノ・バルダーロ)
1930/Orquesta2/楽団、ヴァイオリン
1920年代の初めには<フアン・マグリオ>や<ロベルト・フィルポ>などの楽団で演奏を始める。
1925年から1932年まで<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>の第一ヴァイオリン奏者になる。
1930年代は自身の六重奏団を指揮した。
<フリオ・デ・カロ>派の流れの頂点を極めた。
1940年代1950年代は{シラルコ・オルティス}(Ciriaco Ortiz)、<オスバルド・フレセド>、<カルロス・ディ・サルリ>、<フルビオ・サラマンカ>、<ペドロ・マフィア>など多くの楽団指揮者に招かれ演奏し、それに加えて自身の楽団も指揮した。
1957年には七重奏団<ロス・アストロス・デル・タンゴ>のメンバーとなり、タンゴの名曲版を出した。
<アストル・ピアソラ>の{弦楽オーケストラ}(Orquesta de Cuerdas)と{ヌエボ・タンゴ}五重奏団(Quinteto Nuevo Tango)で1961年まで演奏する。
<アストル・ピアソラ>が彼に捧げたタンゴ曲バルダリート(Vardarito)がある。
(オスバルド・プグリエーセ)
1939/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ
ピアノを<アンヘル・ダゴスティーノ>、{テネンソフ、エスカラムーサ}、{ルビオーネ}に学んだ。
<ロベルト・フィルポ>、<ペドロ・マフィア>の楽団でも演奏した。
<エルビーノ・バルダーロ>と楽団を結成した時にはすでに最良のピアニストの一人と考えられていた。
その後の<ペドロ・ラウレンス>、<アルフレド・ゴビ>、ダニエル・アルバレス、<ミゲル・カロー>楽団でも演奏した。
1939年から自己の楽団を率い、デ・カロ楽派の素晴らしい結実した。
それは乾いた、短く、反抗的な打音にあらわれる思いの集約であり、しかし決してタンゴからやさしさを奪ってはいない。
特徴的なリズムはジュンバと呼ばれる。
<オスバルド・プグリエーセ>楽団に属した音楽家
●バンドネオン奏者
<オスバルド・ルジェーロ>
<ホルヘ・カルダーラ>
<フリアン・プラサ>
<ビクトル・ラバジェン>
<フアン・ホセ・モサリーニ>
<エミリオ・バルカルセ>
●ヴァイオリン奏者
{エンリケ・カメラーノ}
{オスカル・エレーロ}
{シモン・バジュール}
{マウリシオ・マルチェリ}
●コントラバス奏者
{アニセト・ロッシ}
{アルシーデス・ロッシ}
{フェルナンド・ロマーノ}
●ピアノ奏者
{オスバルド・マンシ}
<アルマンド・クーポ>
{エルネスト・ロメロ}


(アニバル・トロイロ)
1937/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
彼は、若くからバンドネオニスタとしての才能を発揮した。
1932年には、<フリオ・デ・カロ>、その1年後には<アルフレド・ゴビ>と共演。
続いて、<エルビーノ・バルダーロ>、<アンヘル・ダゴスティーノ>、<エンリケ・サントス・ディセポロ>、<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>楽団(Orquesta Tipica Victor)、<フアン・カルロス・コビアン>とも共演している。
1937年、<アニバル・トロイロ>は自身のオルケスタを結成。
<アニバル・トロイロ>のオルケスタも、<カルロス・ガルデル>の残したスピリットを守り、<アストル・ピアソラ>よりも前に前衛的な音楽に挑戦し、楽団メンバーの構成や指揮、編曲に、細部にわたってこだわりを見せた。


(マルコス・マドリガル)
1936/member/バンドネオン、現役
音楽院と街の楽団で音楽を学び、独学で卓越したバンドネオンの技術を身に付けた。
1936年に<オスバルド・プグリエーセ>の最初の楽団に参加する。
<オラシオ・サルガン>、<エルビーノ・バルダーロ>、<フリオ・デ・カロ>など著名な楽団でバンドネオン奏者を務めた。
また長きに亘るバンドネオン教師としての活動。
現代のタンゴシーンで活躍する一流の演奏家を何人も育てた。
長く切望されていた彼の著によるバンドネオン教則本が2003年に出版された。
<ホセ・リベルテーラ>、<エルネスト・バッファ>、<マルセロ・ニシンマン>、{ビクトル・ウゴ・ビジェーナ}(Victor Hugo Villena)など様々な世代の偉大な演奏家達が名を連ねる。
その後しばらくして、<フアン・サンチェス・ゴリオ>、<エンリケ・ロドリゲス>、そして<オラシオ・サルガン>のオルケスタ・ティピカと演奏した。
1953年、<エルビーノ・バルダーロ>の楽団で再び演奏し、第一バンドネオン奏者の<フリオ・アウマーダ>を支えた。
フリオは後に自身の楽団に彼を招いている。
1970年代の終わりには、<オスバルド・フレセド>とレコーディングをし、1990年代の初めには<カルロス・ガルシーア>率いる楽団で{フェデリコ・スコルティカッティ}(Federico Scorticatti)のサポートとして日本ツアーに同行した。


(ロベルト・フィルポ)
1924/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ
ピアノ奏者で作曲家の<アルフレド・ベビラクア>の指導で音楽の知識を体系化した。
<ロベルト・フィルポ>は、楽団編成にピアノを組み込むことに決定的役割を果たした。
1913年、キャバレー【アルメノンビル】 (Armenonville)で自己の楽団でデビューした。
楽団メンバーとして在籍したのは、<エドゥアルド・アローラス>、 ヴァイオリンの{ティト・ロカタグリアータ} (Tito Roccatagliata)、後年には、<ペドロ・マフィア>、<エルビーノ・バルダーロ>、<オスバルド・プグリエーセ>、<カルロス・ガルシーア>などがいた。
「オデオンの5大楽団」のひとつ。


(エクトル・アルトラ)
1950/Orquesta/演奏家
1927年12月、{エドゥアルド・ビアンコ}(Eduardo Bianco)楽団に参加するためパリへ。
<リベルタ・ラマルケ>のバックオーケストラに加わるため、1934年にアルゼンチンへ戻り、この楽団に1937年まで所属。
{ミゲル・ニヘンソン}(Miguel Nijenson)、{ミゲル・ボナーノ}(Miguel Bonano)、<フランシスコ・フィオレンティーノ>とともに、{ロス・ポエタス・デル・タンゴ}(Los Poetas del Tango)を結成したが、その後すぐ<フランシスコ・カナロ>から声がかかる。
さらにヨーロッパから<ラファエル・カナロ>に呼ばれる。
1940年からブエノスアイレスで<ロベルト・マイダ>のバックオーケストラで<アルヘンティーノ・ガルバン>と知り合う。
<オスバルド・フレセド>楽団のバンドネオン奏者としても活動した時期もある。
【LR1ラディオ・エル・ムンド】の専属オーケストラに入り、当時のトップシンガーたちの編曲を担当した。
他にも【LR3 ラディオ・ベルグラーノ】の専属オーケストラや、ユニークなものでは{オルケスタ・シンフォニカ・アルヘンティーナ}の指揮もとっていた。
<エクトル・アルトラ>は、{オスカル・アロンソ}(Oscar Alonso)などの歌手の伴奏者として憶えられているが、1950年代に<エルビーノ・バルダーロ>楽団の編曲者としても活躍していた。


(フランシスコ・プラカニコ)
1926/Orquesta/楽団、ピアニスト
1919年に、{アウグスト・ペドロ・ベルト}(Augusto Pedro Berto)の楽団ピアニストとしてバー【ドミンゲス】で演奏した。
1926年に、<フランシスコ・プラカニコ>楽団を結成。
彼はピアノと指揮、{ガブリエル・チュラ・クラウシ}(Gabriel Chula Clausi)と{ドミンゴ・スカルピーノ}(Domingo Scarpino)がバンドネオン、{マンリオ・フランシア}(Manlio Francia)と<エルビーノ・バルダーロ>がヴァイオリンを、{アンヘル・モンカガッティ}(Angel Moncagatti)がコントラバスを担当した。


(エルネスト・フランコ)
1942/Orquesta/楽団、作曲、バンドネオン
18歳の時、<エルビーノ・バルダーロ>楽団でデビュー後、<フアン・ダリエンソ>の楽団で活躍した。
その後、自身の楽団を持った。
