Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(エミリオ・バルカルセ)
1968/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、ヴァイオリン、バンドネオン、現役
1940年代半ば、歌手の<アルベルト・カスティージョ>が<リカルド・タントゥーリ>楽団からソロとして独立した際、<エミリオ・バルカルセ>は彼の伴奏楽団を率い、その時代の第一線で活躍する。
<アニバル・トロイロ>と<アルフレド・ゴビ>などのために、編曲も行っている。
1948年、<オスバルド・プグリエーセ>楽団に入団。
編曲家としては、20年間に渡って<オスバルド・プグリエーセ>楽団に必要とされ、作曲でもインスピレーションに溢れ、ラ・ボルドーナ(La bordona)シ・ソス・ブルッホ(Si sos brujo)などが有名。
<オスバルド・プグリエーセ>とは日本、ソ連、中国へのツアーを行い、1968年、他のメンバーたちと<オスバルド・プグリエーセ>楽団を辞し、<セステート・タンゴ>を結成した。
1999年{ブエノスアイレス市立タンゴ学校オーケストラ}(Orquesta Escuela de Tango de la Ciudad de Buenos Aires)の指揮者となり、若い音楽家たちにタンゴの歴史的なスタイルを伝え、この楽団とともに、コロン劇場を含むブエノスアイレスの主要劇場やパリでの公演を行っている。
2004年、<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトに参加。
2006年にはブエノスアイレス市の名誉市民に選ばれた。
2007年には{ブエノスアイレス市立タンゴ学校オーケストラ}の指揮を<ネストル・マルコーニ>に託して引退したが、オーケストラは今も<エミリオ・バルカルセ>の名を冠している。


(エミリオ・バルカルセ)
1968/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、ヴァイオリン、バンドネオン、現役
1940年代半ば、歌手の<アルベルト・カスティージョ>が<リカルド・タントゥーリ>楽団からソロとして独立した際、<エミリオ・バルカルセ>は彼の伴奏楽団を率い、その時代の第一線で活躍する。
<アニバル・トロイロ>と<アルフレド・ゴビ>などのために、編曲も行っている。
1948年、<オスバルド・プグリエーセ>楽団に入団。
編曲家としては、20年間に渡って<オスバルド・プグリエーセ>楽団に必要とされ、作曲でもインスピレーションに溢れ、ラ・ボルドーナ(La bordona)シ・ソス・ブルッホ(Si sos brujo)などが有名。
<オスバルド・プグリエーセ>とは日本、ソ連、中国へのツアーを行い、1968年、他のメンバーたちと<オスバルド・プグリエーセ>楽団を辞し、<セステート・タンゴ>を結成した。
1999年{ブエノスアイレス市立タンゴ学校オーケストラ}(Orquesta Escuela de Tango de la Ciudad de Buenos Aires)の指揮者となり、若い音楽家たちにタンゴの歴史的なスタイルを伝え、この楽団とともに、コロン劇場を含むブエノスアイレスの主要劇場やパリでの公演を行っている。
2004年、<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトに参加。
2006年にはブエノスアイレス市の名誉市民に選ばれた。
2007年には{ブエノスアイレス市立タンゴ学校オーケストラ}の指揮を<ネストル・マルコーニ>に託して引退したが、オーケストラは今も<エミリオ・バルカルセ>の名を冠している。


(オスバルド・プグリエーセ)
1939/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ
ピアノを<アンヘル・ダゴスティーノ>、{テネンソフ、エスカラムーサ}、{ルビオーネ}に学んだ。
<ロベルト・フィルポ>、<ペドロ・マフィア>の楽団でも演奏した。
<エルビーノ・バルダーロ>と楽団を結成した時にはすでに最良のピアニストの一人と考えられていた。
その後の<ペドロ・ラウレンス>、<アルフレド・ゴビ>、ダニエル・アルバレス、<ミゲル・カロー>楽団でも演奏した。
1939年から自己の楽団を率い、デ・カロ楽派の素晴らしい結実した。
それは乾いた、短く、反抗的な打音にあらわれる思いの集約であり、しかし決してタンゴからやさしさを奪ってはいない。
特徴的なリズムはジュンバと呼ばれる。
<オスバルド・プグリエーセ>楽団に属した音楽家
●バンドネオン奏者
<オスバルド・ルジェーロ>
<ホルヘ・カルダーラ>
<フリアン・プラサ>
<ビクトル・ラバジェン>
<フアン・ホセ・モサリーニ>
<エミリオ・バルカルセ>
●ヴァイオリン奏者
{エンリケ・カメラーノ}
{オスカル・エレーロ}
{シモン・バジュール}
{マウリシオ・マルチェリ}
●コントラバス奏者
{アニセト・ロッシ}
{アルシーデス・ロッシ}
{フェルナンド・ロマーノ}
●ピアノ奏者
{オスバルド・マンシ}
<アルマンド・クーポ>
{エルネスト・ロメロ}


(アルベルト・マリノ)
1943/Canta/作曲、作詞、男性歌手、ソロ
1939年アルベルト・デマーリ(Alberto Demari)の芸名で、ヴァイオリン奏者<エミリオ・バルカルセ>の楽団の歌手としてデビューした。
1943年の<アニバル・トロイロ>楽団の専属歌手になる。
<アニバル・トロイロ>とは1943年にキャバレー・ティビダボ(Tibidabo)でデビューした。
<アニバル・トロイロ>と共に得た名声はその後のソロ歌手としての飛躍の基礎となっている。
1947年ソロ歌手として活動を始めるため<エミリオ・バルカルセ>と再会する。
その後、初めは{エンリケ・アレッシオ}(Enrique Alesio)、その後{トト・ロドリゲス}(Toto Rodriguez)が伴奏楽団を引き受け、<ウーゴ・バラリス>、{オスバルド・マンシ}(Osvaldo Manzi)、{トト・ダマリオ}(Toto D'Amario)、{オスバロ・タランティーノ}(Osvaldo Tarantino)などの伴奏で1960年代末まで公演を続けた。
その後<エクトル・バレラ>楽団と日本をツアーし、<カルロス・ガルシーア>の伴奏でコロン劇場でも公演した。


(セステート・タンゴ)
1968/Orquesta2/楽団
1968年結成。
オリジナルメンバーは、<オスバルド・プグリエーセ>の楽団出身の演奏家で構成されていた。
初期の19年間は、バンドネオンに<オスバルド・ルジェーロ>と<ビクトル・ラバジェン>、ヴァイオリンに{オスカル・エレーロ}(Oscar Herrero)と<エミリオ・バルカルセ>、ピアノに<フリアン・プラサ>、コントラバスに{アルシーデス・ロッシ}(Alcides Rossi)劇団結成から不動のメンバーが続いた。
楽団最初の歌手は、{ホルヘ・マシエル}(Jorge Maciel)が参加
1974年にコロン劇場での出演者に名を連ねた時がこの楽団の絶頂期であった。
19年後の1987年、<ビクトル・ラバジェン>は楽団を離れる決意をする。

(フリアン・プラサ)
1968/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、ピアノ
1945年からは{アントニオ・ロディオ} Antonio Rodio楽団、1949年からは<ミゲル・カロー>楽団に参加、カロー楽団にはほぼ10年間在籍した。
1956年 <カルロス・ディ・サルリ>楽団に移り、一方で<アティリオ・スタンポーネ>と<フロリンド・サッソーネ>のためにアレンジを書いた。
1959年<オスバルド・プグリエーセ>楽団に落ち着く。
1968年、<フリアン・プラサ>は、<エミリオ・バルカルセ>、<オスバルド・ルジェーロ>、<ビクトル・ラバジェン>、{オスカル・エレーロ} Oscar Herrero、{アルシーデス・ロッシ} Alcides Rossi と共に<セステート・タンゴ>を結成。

