Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(エドガルド・ドナート)
1930/Orquesta/作曲、楽団、ヴァイオリン
モンテビデオにあるフランツリスト音楽院に通い、音楽を習得する。
ピアニストの{エンリケ・デルフィーノ}が在籍する楽団や、ジャズピアニストの{カルロス・ウォーレン}の楽団を渡り、<エドゥアルド・アローラス>楽団にも籍を置いて、ブエノスアイレスに戻ってくる。
1927年に、{ロベルト・セリージョ}と共に、{ドナート・セリージョ楽団} (Orquesta Donato-Zerrillo) を設立する。
1930年に、{ロベルト・セリージョ}がチリに移住し、<エドガルド・ドナート>楽団 (La orquesta de Edgardo Donato)となる。


(アルベルト・ポデスタ)
1940/Cafe De Los Maestros/作曲、男性歌手、ソロ、現役
<ミゲル・カロー>楽団の歌手としてデビュー。
2年後には<カルロス・ディ・サルリ>楽団に移り、ヒットさせ当時のもっとも人気ある歌手の一人となる。
<ペドロ・ラウレンス>楽団、<フランチーニ-ポンティエル>楽団の専属だった。
<エンリケ・フランチーニ>、<アルマンド・ポンティエル>、<エドガルド・ドナート>が1950年代後半までに彼に参加を要請した。
1940年代のスター歌手で、2004年にはアルバム録音のプロジェクト<カフェ・デ・ロス・マエストロス>に参加。


(エドガルド・ドナート)
1930/Orquesta/作曲、楽団、ヴァイオリン
モンテビデオにあるフランツリスト音楽院に通い、音楽を習得する。
ピアニストの{エンリケ・デルフィーノ}が在籍する楽団や、ジャズピアニストの{カルロス・ウォーレン}の楽団を渡り、<エドゥアルド・アローラス>楽団にも籍を置いて、ブエノスアイレスに戻ってくる。
1927年に、{ロベルト・セリージョ}と共に、{ドナート・セリージョ楽団} (Orquesta Donato-Zerrillo) を設立する。
1930年に、{ロベルト・セリージョ}がチリに移住し、<エドガルド・ドナート>楽団 (La orquesta de Edgardo Donato)となる。


(エンリケ・ロドリゲス)
1936/Orquesta/楽団、バンドネオン
彼はバンドネオン奏者であったが、時にピアノやヴァイオリンも演奏した。
{アントニオ・グットマン}(Antonio Gutman)、<フアン・マグリオ>、<フアン・カナロ>、<リカルド・ルイス>・ブリグノーロ(Ricardo Luis Brignolo)、<エドガルド・ドナート>の楽団や、{ホアキン・マウリシオ・モラ}(Joaquin Mauricio Mora)が指揮する六重奏団などを渡り歩いた。
1934年、ラジオ局【LR3ラジオ・ベルグラーノ】(LR3 Radio Belgrano)にて歌手
<フランシスコ・フィオレンティーノ>の伴奏を行うトリオのメンバーとなった。
1935年には結婚する事となる歌手の{マリア・ルイサ・ノタル}(Maria Luisa Notar)の伴奏のため四重奏団を結成した。
1936年、自身の楽団の指揮を取り始める。
柔軟性はあらゆるリズムを奏でる。


(オスバルド・タランティーノ)
1940/member/作曲、ピアニスト、監督
1940年代、<ペドロ・マフィア>や<エドガルド・ドナート>、<アルヘンティーノ・ガルバン>のオーケストラと共に共演。
<エクトル・バレラ>のグループに加わり、<アルフレド・ゴビ>のオーケストラに加わる。
1960年代、<アストル・ピアソラ>の五重奏団、1972年には{グループコンフント9}( Conjunto 9)を結成。
ラウル・ガレロ(Raul Garello)と演奏し、<オラシオ・フェレール>と共演。
1980年代、<ネストル・マルコーニ>やアンヘル・リドルフィ(Angel Ridolfi)、また<ルベン・フアレス>や伝説の<ロベルト・ゴジェネチェ>と舞台【カフェ・オメロ】(Cafe Homero) にて共演。
歌手として有名な<アルベルト・マリノ>や<エドムンド・リベロ>伴奏を務める。


(アルベルト・ゴメス)
1932/Canta/作曲、男性歌手
彼のテノールの個性的なスタイルは、<カルロス・ガルデル>、<アグスティン・マガルディ>、<イグナシオ・コルシーニ>、<チャルロ>が全盛の時代にあっては最良の歌手の一人。
1932年半ば、<アルベルト・ゴメス>のソロがより大きな存在感を示すようになる。
楽団のリフレイン・ボーカリストとして、ニコの名で<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>などで歌っている。
後年には <エドガルド・ドナート>や<ペドロ・マフィア>とも録音を残している。


(ウーゴ・デル・カリル)
1935/Canta/男性歌手、俳優、映画監督、作詞
1935年、<エドガルド・ドナート>楽団で歌って人気が上昇。
1936年にラジオ局【LR1ラジオ・エル・ムンド】(Radio El Mundo)で活躍。


(オスバルド・ベリンジェリ)
1950/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ
1944年歌手<エクトル・マウレ>の伴奏楽団に始まる。
その後<ドミンゴ・フェデリコ>、{ホアキン・ド・レジェス}(Joaquin Do Reyes)、<エドガルド・ドナート>、{ミゲル・カロー}(Miguel Calo)などの楽団に参加した。
1956年、<アニバル・トロイロ>の楽団に参加するまでは、歌手<ラウル・イリアルテ>の伴奏を務め、その後の<アニバル・トロイロ>楽団への参加。
<アニバル・トロイロ>楽団には約10年在籍し、その時期に決定的な自身のスタイルを確立。
力強いタンゴリズムを持ちながらも、ジャズの影響を受けた、タンゴにはあまりないコードや装飾を加えたことで、表現力豊かなスタイルを確立した。
<アニバル・トロイロ>楽団での仕事と並行して、{ロス・モデルノス}、{ロス・ノタブレス・デル・タンゴ}、<エルネスト・バッファ>との共同主宰による楽団とトリオにも参加した。
<アニバル・トロイロ>楽団を離れた後、<エルネスト・バッファ>との共演は1970年まで続いた。
その後のプロジェクトは、バンドネオン<レオポルド・フェデリコ>、コントラバス{オラシオ・カバルコス}とのトリオであった。
ヒットした歌手は、<ロベルト・ゴジェネチェ>との共演アルバムから、<オスバルド・タランティーノ>とのピアノ・ドゥオによる不思議なアルバムまで多数の録音を残している。
【タンゴ・アルゼンチーノ】の音楽監督を務めた。

