Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(エクトル・バレラ)
1950/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
歌手<ティタ・メレージョ>の伴奏楽団にも参加し、1934年にはわずかの間ではあるが初めて<フアン・ダリエンソ>楽団へ加わっている。
1939年彼自身による初の楽団を編成するが、数ヵ月後にはダリエンソに呼び戻され、<エクトル・バレラ>は自身の楽団を解散し、1940年から1950年の間メイン・バンドネオニスタとして活躍した。
そして1950年、再度自身の楽団結成を決意し、活動開始後すぐに大成功を収めた。
彼の楽団の最初の歌手は、<アルマンド・ラボルデ>と{ロドルフォ・レシーカ}(Rodolfo Lesica)で、この時期にその後彼の楽団に一貫してみられる演奏スタイルを確立している。


(エクトル・マウレ)
1940/Canta/男性歌手、ソロ
1937年には<アンセルモ・アイエタ>楽団で活躍。
<フアン・ダリエンソ>のリフレイン・ボーカルとして大成功をおさめ、1945年にソロ歌手として活動を始めたころから、<カルロス・ガルデル>類されている歌手で、タンゴ界のスターとして認知されるようになった。
ソロ歌手としての長いキャリアを通して、<エクトル・バレラ>、<リト・エスカルソ>、<ホルヘ・ドラゴーネ>、<レオポルド・フェデリコ>などの楽団や、ギター奏者の<ロベルト・グレラ>とも共演した。
(アルベルト・マリノ)
1943/Canta/作曲、作詞、男性歌手、ソロ
1939年アルベルト・デマーリ(Alberto Demari)の芸名で、ヴァイオリン奏者<エミリオ・バルカルセ>の楽団の歌手としてデビューした。
1943年の<アニバル・トロイロ>楽団の専属歌手になる。
<アニバル・トロイロ>とは1943年にキャバレー・ティビダボ(Tibidabo)でデビューした。
<アニバル・トロイロ>と共に得た名声はその後のソロ歌手としての飛躍の基礎となっている。
1947年ソロ歌手として活動を始めるため<エミリオ・バルカルセ>と再会する。
その後、初めは{エンリケ・アレッシオ}(Enrique Alesio)、その後{トト・ロドリゲス}(Toto Rodriguez)が伴奏楽団を引き受け、<ウーゴ・バラリス>、{オスバルド・マンシ}(Osvaldo Manzi)、{トト・ダマリオ}(Toto D'Amario)、{オスバロ・タランティーノ}(Osvaldo Tarantino)などの伴奏で1960年代末まで公演を続けた。
その後<エクトル・バレラ>楽団と日本をツアーし、<カルロス・ガルシーア>の伴奏でコロン劇場でも公演した。


(アルヘンティーノ・レデスマ)
1957/Canta/男性歌手
1957年にはオデオン・レーベルの提唱で、ソロ歌手となる。
1958年には初めてチリへ行き大成功をおさめている。
1959年喜劇タンゴの庭(Patio de tango)に参加し、クルト・ランド監督の映画【エル・アサデ】ビューした1952年から常に成功し続けたアーティストだった。
<カルロス・ディ・サルリ>の楽団に歌手として移るが、ラジオ局【LR1ラジオ・エル・ムンド】の番組【グロストラ・タンゴ・クラブ】(Glostora Tango Club)で引き続き<エクトル・バレラ>楽団と歌うために戻っている。
<オスバルド・フレセド>のレコーディングに参加した。
ソロ歌手になってからは1966年まで{ドラゴーネ}(Dragone)の伴奏でレコーディングしている。
その間、ギター伴奏で{デマルコ}(Demarco)や<カルロス・ガルシーア>との共作も残した。


(オスバルド・タランティーノ)
1940/member/作曲、ピアニスト、監督
1940年代、<ペドロ・マフィア>や<エドガルド・ドナート>、<アルヘンティーノ・ガルバン>のオーケストラと共に共演。
<エクトル・バレラ>のグループに加わり、<アルフレド・ゴビ>のオーケストラに加わる。
1960年代、<アストル・ピアソラ>の五重奏団、1972年には{グループコンフント9}( Conjunto 9)を結成。
ラウル・ガレロ(Raul Garello)と演奏し、<オラシオ・フェレール>と共演。
1980年代、<ネストル・マルコーニ>やアンヘル・リドルフィ(Angel Ridolfi)、また<ルベン・フアレス>や伝説の<ロベルト・ゴジェネチェ>と舞台【カフェ・オメロ】(Cafe Homero) にて共演。
歌手として有名な<アルベルト・マリノ>や<エドムンド・リベロ>伴奏を務める。


(エクトル・バレラ)
1950/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
歌手<ティタ・メレージョ>の伴奏楽団にも参加し、1934年にはわずかの間ではあるが初めて<フアン・ダリエンソ>楽団へ加わっている。
1939年彼自身による初の楽団を編成するが、数ヵ月後にはダリエンソに呼び戻され、<エクトル・バレラ>は自身の楽団を解散し、1940年から1950年の間メイン・バンドネオニスタとして活躍した。
そして1950年、再度自身の楽団結成を決意し、活動開始後すぐに大成功を収めた。
彼の楽団の最初の歌手は、<アルマンド・ラボルデ>と{ロドルフォ・レシーカ}(Rodolfo Lesica)で、この時期にその後彼の楽団に一貫してみられる演奏スタイルを確立している。


(ティタ・メレージョ)
1926/Canta/女性歌手、女優、ダンサー、作家
1920年代終わりから1930年代の初め、アルゼンチン映画界におけるドラマチックで偉大な女優。
<ソフィア・ボサン>の流れを汲んだ明るいタンゴのスタイルを公演に取り入れた。
1933年からほぼすべての活動を劇場と映画に集中する。
最初のトーキーによる長編映画タンゴ(モグリア・バルス監督、1933年)に出演。
彼女は政治的活動により、フアン・ドミンゴ・ペロンの独裁以後追放された。
1964年から1969年まで、{カルロス・フィガリ}の楽団と録音を行った。
1979年には<エクトル・バレラ>楽団とも録音した。


(ラウル・ラビエ)
1953/Canta/男性歌手、ソロ
1953年、<ビクトル・ブチーノ>の楽団の伴奏でブエノスアイレスのラジオ局【エル・ムンド】(El Mundo)でデビューを果たす。
人気の<エクトル・バレラ>の楽団歌手。
<エクトル・スタンポーニ>と{スタンポーニ-ラビエ}楽団を結成したりもした。
<アストル・ピアソラ>の作品を歌うなど、彼のレパートリーはスール(Sur)ボルベール(Volver)など。
<アストル・ピアソラ>の五重奏団の歌手を務め、何度もツアーに同行している。
【タンゴ・アルヘンティーノ】(Tango Argentino)に出演し、世界中で上演している。

