Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(エクトル・スタンポーニ)
1933/Orquesta/作曲、ピアノ
<エクトル・スタンポーニ>はブエノスアイレスのラジオ・オーディションでデビューした後、トリオを結成するためエレルトの楽団を離れた<アルマンド・ポンティエル>、<エンリケ・フランチーニ>と3人で、ラジオ局【LR2ラジオ・アルヘンティーナ】(LR2 Radio Argentina)に出演する歌手たちの伴奏をおこなった。
1937年から1938年まで{フェデリコ・スコルティカティ}(Federico Scorticati)の楽団やレコード会社ビクターでピアニストを務めた。
その後、<ミゲル・カロー>の楽団へと移る。
1959年には{ロス・ビオリネス・デ・オロ・デル・タンゴ}(Los Violines de Oro del Tango)を<エンリケ・フランチーニ>と共同で指揮した。
最後のカフェ(El ultimo cafe)、ワルツ曲星空の下(Bajo un cielo de estrellas)亜麻の花(Flor de lino)空のかけら(Pedacito de cielo)などの不朽の名作を作曲した。


(エルネスト・バッファ)
1959/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、バンドネオン
初めは、<オラシオ・サルガン>楽団で<レオポルド・フェデリコ>の後継として、後には<アニバル・トロイロ>楽団で、第1バンドネオンを任される存在として、1950年代からバンドネオンの代表的演奏家の一人であった。
また多作の作曲家としても知られている。
1953年、<オラシオ・サルガン>楽団に入る前、すでに<エクトル・スタンポーニ>、アルベルト・マンシオーネ Alberto Mancione、<アルフレド・ゴビ>、<ペドロ・ラウレンス>などの楽団、歌手のアルベルト・マリノ Alberto Marinoの伴奏楽団のメンバーだった。
1959年から1968年までは、<オスバルド・ベリンジェリ>と共に活動し始め、また<ウバルド・デ・リオ>と共にクアルテート・ドス・ポル・クアトロ Cuarteto 2x4を率いた。
<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトでは、<ウバルド・デ・リオ>のギター、<クリスティアン・サラテ>のピアノ、ガブリエル・デ・リオ Gabriel De Lio のギターなどによるキンテートによるもの。


(フリオ・パネ)
1989/member/作曲、楽団、バンドネオン、教師
<フリオ・パネ>が在籍した楽団は、<オラシオ・サルガン>、<エンリケ・フランチーニ>、オスバルド・マンシ(Osvaldo Manzi)、<アルマンド・ポンティエル>、<アティリオ・スタンポーネ>、<エクトル・スタンポーニ>、<ミゲル・カロー>、<ホセ・バッソ>、<レオポルド・フェデリコ>、<オスバルド・タランティーノ>、<アストル・ピアソラ>六重奏団 (Sexteto de Astor Piazzolla)
<ラウル・ガレーロ>と<カルロス・ガルシーア>を指揮者にむかえ、1982年に設立された<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>には、83年にソリスタとして参加し、現在もこのオルケスタでも活動している。
1992年、ドラムの{ダニエル・ピアソラ}(Daniel Piazzolla)と、<アストル・ピアソラ>のコンフント・エレクトロニコ(Conjunto Electrónico) を再結成したグループに参加。
このグループはアルバム1枚と数シーズンの公演の後解散した。
2002年、ブエノスアイレスのコロン劇場(Teatro Colón)に自身のトリオで出演。
{イルド・パトリアルカ}(Ildo Patriarca)、<フアンホ・ドミンゲス>と共演。


(アルマンド・ポンティエル)
1945/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
1939年、<ミゲル・カロー>楽団に参加、<エンリケ・フランチーニ>、<オスマル・マデルナ>、<エクトル・スタンポーニ>、<ドミンゴ・フェデリコ>などの優れたメンバーと一緒に演奏した。
1945年<エンリケ・フランチーニ>と共に<フランチーニ-ポンティエル>楽団を率い、1955年まで活動した。


(オスマル・マデルナ)
1945/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ
<ミゲル・カロー>楽団から<エクトル・スタンポーニ>が抜けた後、<オスマル・マデルナ>が代わりに入団、ここからマデルナの成功の歴史が始まることになる。
<ミゲル・カロー>楽団には1945年まで留まり、同年1945年、自己の楽団を持ち、歌手<ラウル・イリアルテ>を一緒に連れていった。
<ドミンゴ・フェデリコ>、<エンリケ・フランチーニ>、<アルマンド・ポンティエル>と人気を分かち合った。


(エクトル・スタンポーニ)
1933/Orquesta/作曲、ピアノ
<エクトル・スタンポーニ>はブエノスアイレスのラジオ・オーディションでデビューした後、トリオを結成するためエレルトの楽団を離れた<アルマンド・ポンティエル>、<エンリケ・フランチーニ>と3人で、ラジオ局【LR2ラジオ・アルヘンティーナ】(LR2 Radio Argentina)に出演する歌手たちの伴奏をおこなった。
1937年から1938年まで{フェデリコ・スコルティカティ}(Federico Scorticati)の楽団やレコード会社ビクターでピアニストを務めた。
その後、<ミゲル・カロー>の楽団へと移る。
1959年には{ロス・ビオリネス・デ・オロ・デル・タンゴ}(Los Violines de Oro del Tango)を<エンリケ・フランチーニ>と共同で指揮した。
最後のカフェ(El ultimo cafe)、ワルツ曲星空の下(Bajo un cielo de estrellas)亜麻の花(Flor de lino)空のかけら(Pedacito de cielo)などの不朽の名作を作曲した。


(ネストル・マルコーニ)
2005/member/バンドネオン、現役
11歳でピアノと作曲の勉強を始め、その後バンドネオンに没頭。
ブエノスアイレスでは、<ホセ・バッソ>楽団のメンバーとしてスタートし、<エンリケ・フランチーニ>=<アルマンド・ポンティエル>楽団のメンバーともなった。
エクトル・コンソーレ、オラシオ・(オマール・)バレンテと共にバングアトリオを結成、タンゴの革新派バンドとなる。
オリジナル曲や、古典の名曲のアレンジでもその個性的な音使いを極めた。
<オラシオ・サルガン>の<キンテート・レアル>のメンバーとして演奏し、<アストル・ピアソラ>・キンテートの再現でピアソラ役としてピアソラのシンフォニックな作品を弾きこなし、<アドリアナ・バレーラ>、<エクトル・スタンポーニ>、<ホセ・コランジェロ>の編曲者として活躍したのは、その万能的なアレンジがあったからこそ。
2005年まで、<アティリオ・スタンポーネ>とともに国立<フアン・デ・ディオス・フィリベルト>・アルゼンチン音楽オーケストラの指揮者をつとめた。
現在は、自身のトリオで息子のレオナルド、コントラバスのオスカル・ジウンタと演奏している。
2007年からはオルケスタ・エスクエラ・デ・タンゴの指揮者もつとめている。


(エンリケ・フランチーニ)
1945/Orquesta/作曲、楽団、ヴァイオリン
1938年<アルヘンティーノ・ガルバン>と演奏し、すぐ後に<ミゲル・カロー>楽団に入団、第1ヴァイオリン奏者として際立つ存在となった。
1945年<ミゲル・カロー>楽団から独立し、バンドネオン奏者の<アルマンド・ポンティエル>と10年に亘って<フランチーニ-ポンティエル>楽団を率いた。
1959年に<オラシオ・サルガン>、<ウバルド・デ・リオ>、<ペドロ・ラウレンス>、{ラファエル・フェロ}(Rafael Ferro)と共に<キンテート・レアル>を結成する。
並行して<エクトル・スタンポーニ>とドゥオを結成、{オクテート・ブエノスアイレス}(Octeto Buenos Aires)、<ロス・アストロス・デル・タンゴ>、<アティリオ・スタンポーネ>楽団にも参加した。
{ブエノスアイレス市立交響楽団}(Orquesta Filarmonica de Buenos Aires)のメンバーを務めたこともあった。


(ホルヘ・ビダル)
1980/Canta/男性歌手
<オスバルド・プグリエーセ>の楽団へと移り、幾つかの録音を残し、40年代末のタンゴの歴史に名を刻んだ。
<フランシスコ・カナロ>の最後のミュージカル・コメディにも参加した。
1980年代に精力的に活動し、自身のラジオ番組も持ち、アルゼンチン歌手連盟を1986年に設立した。
{エクトル・マリア・アルトーラ}(Hector Maria Artola)や<エクトル・スタンポーニ>率いる楽団の伴奏で録音を残している。

(ラウル・ラビエ)
1953/Canta/男性歌手、ソロ
1953年、<ビクトル・ブチーノ>の楽団の伴奏でブエノスアイレスのラジオ局【エル・ムンド】(El Mundo)でデビューを果たす。
人気の<エクトル・バレラ>の楽団歌手。
<エクトル・スタンポーニ>と{スタンポーニ-ラビエ}楽団を結成したりもした。
<アストル・ピアソラ>の作品を歌うなど、彼のレパートリーはスール(Sur)ボルベール(Volver)など。
<アストル・ピアソラ>の五重奏団の歌手を務め、何度もツアーに同行している。
【タンゴ・アルヘンティーノ】(Tango Argentino)に出演し、世界中で上演している。

