Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(アンヘル・ダゴスティーノ)
1940/Orquesta/楽団、ピアノ
<アンヘル・ダゴスティーノ>楽団は、<アンヘル・バルガス>という人気歌手を擁していた ことで有名な楽団。
<アンヘル・バルガス>が1946年に楽団を離れてからも1963年に引退するまで断続的に演奏を続けた。
タンゴ歌手の阿保郁夫さんは、<アンヘル・バルガス>の歌を聴いて、タンゴに。


(アンヘル・バルガス)
1940/Canta/男性歌手、ソロ
1938年<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>楽団と録音した際の歌手としての登録に、音楽会社ビクトル(Victor)へ赴き、その翌年には同社から初のソロのレコードを発表する。
1940年に、<アンヘル・ダゴスティーノ>が<アンヘル・バルガス>を歌手に迎え、レコードは爆発的にヒットした。
<イグナシオ・コルシーニ>を思わせる歌唱スタイルを秘めた
1951年から1954年までは{アルマンド・ラカバ}(Armando Lacava)楽団が彼のバックで演奏しており、1954年から1955年までは<ルイス・スタソ>と1959年には<ホセ・リベルテーラ>との録音を残している。


(オスバルド・プグリエーセ)
1939/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ
ピアノを<アンヘル・ダゴスティーノ>、{テネンソフ、エスカラムーサ}、{ルビオーネ}に学んだ。
<ロベルト・フィルポ>、<ペドロ・マフィア>の楽団でも演奏した。
<エルビーノ・バルダーロ>と楽団を結成した時にはすでに最良のピアニストの一人と考えられていた。
その後の<ペドロ・ラウレンス>、<アルフレド・ゴビ>、ダニエル・アルバレス、<ミゲル・カロー>楽団でも演奏した。
1939年から自己の楽団を率い、デ・カロ楽派の素晴らしい結実した。
それは乾いた、短く、反抗的な打音にあらわれる思いの集約であり、しかし決してタンゴからやさしさを奪ってはいない。
特徴的なリズムはジュンバと呼ばれる。
<オスバルド・プグリエーセ>楽団に属した音楽家
●バンドネオン奏者
<オスバルド・ルジェーロ>
<ホルヘ・カルダーラ>
<フリアン・プラサ>
<ビクトル・ラバジェン>
<フアン・ホセ・モサリーニ>
<エミリオ・バルカルセ>
●ヴァイオリン奏者
{エンリケ・カメラーノ}
{オスカル・エレーロ}
{シモン・バジュール}
{マウリシオ・マルチェリ}
●コントラバス奏者
{アニセト・ロッシ}
{アルシーデス・ロッシ}
{フェルナンド・ロマーノ}
●ピアノ奏者
{オスバルド・マンシ}
<アルマンド・クーポ>
{エルネスト・ロメロ}


(アニバル・トロイロ)
1937/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン
彼は、若くからバンドネオニスタとしての才能を発揮した。
1932年には、<フリオ・デ・カロ>、その1年後には<アルフレド・ゴビ>と共演。
続いて、<エルビーノ・バルダーロ>、<アンヘル・ダゴスティーノ>、<エンリケ・サントス・ディセポロ>、<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>楽団(Orquesta Tipica Victor)、<フアン・カルロス・コビアン>とも共演している。
1937年、<アニバル・トロイロ>は自身のオルケスタを結成。
<アニバル・トロイロ>のオルケスタも、<カルロス・ガルデル>の残したスピリットを守り、<アストル・ピアソラ>よりも前に前衛的な音楽に挑戦し、楽団メンバーの構成や指揮、編曲に、細部にわたってこだわりを見せた。


(アンヘル・ダゴスティーノ)
1940/Orquesta/楽団、ピアノ
<アンヘル・ダゴスティーノ>楽団は、<アンヘル・バルガス>という人気歌手を擁していた ことで有名な楽団。
<アンヘル・バルガス>が1946年に楽団を離れてからも1963年に引退するまで断続的に演奏を続けた。
タンゴ歌手の阿保郁夫さんは、<アンヘル・バルガス>の歌を聴いて、タンゴに。


(フランシスコ・フィオレンティーノ)
1937/Canta/作曲、男性歌手、バンドネオン、ソロ
<フランシスコ・カナロ>楽団にバンドネオン奏者として参加、<フランシスコ・フィオレンティーノ>は最終的に歌手としてのみ知られるようになるまで、バンドネオンと歌の間で揺れ動く時期を長く過ごした。
1928年からさまざまな有名楽団で活動したにもかかわらず、広く知られた彼の最良の時期は<アニバル・トロイロ>と一緒だった1937年から1944年まで。
トロイロとのコンビはリフレイン歌手の最高の芸。
<フアン・カルロス・コビアン>(1928年)、<フランシスコ・カナロ>(1929年)、<ロベルト・フィルポ>(1929年)、<フアン・ダリエンソ>(1929年)、<アンヘル・ダゴスティーノ>(1930年)、<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>(1931年)、<ペドロ・マフィア>(1931年)、<リカルド・マレルバ>(1936年)、<フランシスコ・フィオレンティーノ>は<オルランド・ゴニ>楽団の歌手<アストル・ピアソラ>指揮のソロ歌手となった。
<イスマエル・スピタルニク>になった(1946年)。
<ホセ・バッソ>楽団(1948-1949年)、その後{アルベルト・マンシオーネ} Alberto Macione 楽団(1950-1951年)、最後は{プグリア=ペドローサ} Puglia-Pedroza楽団(1951-1952年)に参加した。


(ウーゴ・バラリス)
1944/member/ヴァイオリン
また彼の名を聞くと、<アニバル・トロイロ>や<アストル・ピアソラ>を思い出すかもしれない。
しばらくして、<ラファエル・ロッシ>との共演、若きバンドネオン奏者<アニバル・トロイロ>と出会うことになる。
そして<アンヘル・ダゴスティーノ>との演奏と続く。
<アニバル・トロイロ>が1937年に自身のオルケスタを結成した時、<ウーゴ・バラリス>を誘い、その後彼は当時無名だった<アストル・ピアソラ>が<アニバル・トロイロ>のオルケスタに入る仲介者となった。
<アニバル・トロイロ>と別れてからは、<フアン・カルロス・コビアン>のオルケスタで演奏した。
その後、生涯の盟友<アストル・ピアソラ>が指揮する、歌手<フランシスコ・フィオレンティーノ>の伴奏楽団に加わる事になる。
1980年に<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>設立時に第一ヴァイオリン奏者として加わり、引退するまで務め上げた。

(オスバルド・ピロ)
1963/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、現役
16歳の時、彼は{リカルド・ペデビジャ}(Ricardo Pedevilla)の楽団に加入する。
その後、<アンヘル・ダゴスティーノ>、<ビクトル・ダマリオ>、{ロベルト・カロ}(Roberto Calo)、<フルビオ・サラマンカ>など当時の有名な指揮者たちの楽団に招かれる。
1958年から1963年まで彼が在籍したヴァイオリン奏者<アルフレド・ゴビ>の楽団奏者として、強く人々の記憶に残っている。
1954年から2000年までは<フアン・デ・ディオス・フィリベルト>アルゼンチン音楽国立楽団の指揮者を務めた。
彼はSADAIC(アルゼンチン著作権協会)の最優秀演奏者賞を1992年、1999年の2回受賞した。

