Tango Artist - アルマンド・ラボルデ

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Armando Laborde

(アルマンド・ラボルデ)

1957/Canta/男性歌手

<フアン・ダリエンソ>楽団や、その後継的な<エクトル・バレラ>で活躍した。

Alberto Echague

(アルベルト・エチャグエ)

1938/Canta/歌手

<フアン・ダリエンソ>楽団の象徴的な歌手であり、タンゴがもっとも人気あった時期に、大成功した楽団=歌手のコンビの1つ。
1938年<フアン・ダリエンソ>楽団に入団。
非常に個性的なスタイルを確立し、ドラマチックなタンゴをユーモラスなものに変えてしまった。
1940年、すべてのメンバーと共に<フアン・ダリエンソ>楽団を脱退したが、4年後に戻り、1957年までダリエンソと行動をともにした。
1957年にはもう一人の専属歌手だった<アルマンド・ラボルデ>と{エチャグエ=ラボルデ} Echague-Laborde 楽団を旗揚げした。
1960年<フアン・サンチェス・ゴリオ>楽団に入団、1961年からはソロ歌手として歌い続けた。

Héctor Varela

(エクトル・バレラ)

1950/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン

歌手<ティタ・メレージョ>の伴奏楽団にも参加し、1934年にはわずかの間ではあるが初めて<フアン・ダリエンソ>楽団へ加わっている。
1939年彼自身による初の楽団を編成するが、数ヵ月後にはダリエンソに呼び戻され、<エクトル・バレラ>は自身の楽団を解散し、1940年から1950年の間メイン・バンドネオニスタとして活躍した。
そして1950年、再度自身の楽団結成を決意し、活動開始後すぐに大成功を収めた。
彼の楽団の最初の歌手は、<アルマンド・ラボルデ>と{ロドルフォ・レシーカ}(Rodolfo Lesica)で、この時期にその後彼の楽団に一貫してみられる演奏スタイルを確立している。

Victor Lavallen

(ビクトル・ラバジェン)

1968/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、現役

1951年、<ミゲル・カロー>の楽団に入団し、1954年まで在籍した。
<エンリケ・フランチーニ>楽団、<アルベルト・エチャグエ>=<アルマンド・ラボルデ>楽団にも在籍したのち、1958年には<オスバルド・プグリエーセ>楽団に入団し、編曲もおこなっていた。
1968年、ほかのメンバーらとともにプグリエーセ楽団から脱退。
プグリエーセ・スタイルをくんだグループ、<セステート・タンゴ>の創設メンバーとなる。
1989年、<セステート・タンゴ>とおなじく旧プグリエーセ楽団のメンバーによる<コロール・タンゴ>に参加。
1995年には、国際的に成功を収めたショー【フォーエバー・タンゴ】の楽団メンバーに、1996年からは同楽団の指揮者となった。