Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(オスバルド・プグリエーセ)
1939/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ
ピアノを<アンヘル・ダゴスティーノ>、{テネンソフ、エスカラムーサ}、{ルビオーネ}に学んだ。
<ロベルト・フィルポ>、<ペドロ・マフィア>の楽団でも演奏した。
<エルビーノ・バルダーロ>と楽団を結成した時にはすでに最良のピアニストの一人と考えられていた。
その後の<ペドロ・ラウレンス>、<アルフレド・ゴビ>、ダニエル・アルバレス、<ミゲル・カロー>楽団でも演奏した。
1939年から自己の楽団を率い、デ・カロ楽派の素晴らしい結実した。
それは乾いた、短く、反抗的な打音にあらわれる思いの集約であり、しかし決してタンゴからやさしさを奪ってはいない。
特徴的なリズムはジュンバと呼ばれる。
<オスバルド・プグリエーセ>楽団に属した音楽家
●バンドネオン奏者
<オスバルド・ルジェーロ>
<ホルヘ・カルダーラ>
<フリアン・プラサ>
<ビクトル・ラバジェン>
<フアン・ホセ・モサリーニ>
<エミリオ・バルカルセ>
●ヴァイオリン奏者
{エンリケ・カメラーノ}
{オスカル・エレーロ}
{シモン・バジュール}
{マウリシオ・マルチェリ}
●コントラバス奏者
{アニセト・ロッシ}
{アルシーデス・ロッシ}
{フェルナンド・ロマーノ}
●ピアノ奏者
{オスバルド・マンシ}
<アルマンド・クーポ>
{エルネスト・ロメロ}


(フロリンド・サッソーネ)
1947/Orquesta/楽団、ヴァイオリン
1931年に<ロベルト・フィルポ>の楽団に加わり、1933年には<オスバルド・フレセド>の楽団に移り、その楽団のスタイルは彼に強い影響を与えた。
1936年に<フランシスコ・アモール>を歌手にはじめて自身の楽団を結成する。
1947年に、歌手<ホルヘ・カサル>と共演したその後人気を得た。
<ホルヘ・カサル>が去った後、<オスバルド・プグリエーセ>の楽団を離れたばかりだった<ロベルト・チャネル>が加わる。
その他、共演した歌手には、<アンヘル・ディアス>などがいた。
また<オスバルド・レケーナ>、{ルシアーノ・レオカタ}(Luciano Leocata)、{アルマンド・クーポ}(Armando Cupo)なども彼の楽団に所属した。
1972年にはコロン劇場の舞台に立った。
自身の楽団とは別に、人気の{セステート・ドン・フロリンド}(Sexteto Don Florindo)の指揮も行った。


(ミゲル・モンテーロ)
1925/Canta/男性歌手
<フランシスコ・ロムート>、<ペドロ・マフィア>、<フアン・カルロス・コビアン>、<オスバルド・プグリエーセ>で歌っていたのち独立を果たした。
共演したのは、<オラシオ・サルガン>や<マリアーノ・モーレス>、<ホセ・リベルテーラ>、<アルマンド・クーポ>など。


(アルベルト・モラン)
1950/Canta/男性歌手、ソロ
<オスバルド・プグリエーセ>楽団の舞台で彼のロマンティックなイメージは、多様性を持った優れた歌手たちとは一味違ったものだった。
1954年<オスバルド・プグリエーセ>楽団を脱退、最初の数年は<アルマンド・クーポ>楽団の伴奏でソロ歌手として活動した。

