Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(アルベルト・カスティージョ)
1943/Canta/男性歌手、ソロ、作詞
1940年に<リカルド・タントゥーリ>率いるオルケスタ、ロス・インディオス(Los Indios)の歌手となり、その人気はオルケスタを凌駕するものとなる。
1943年には本格的にソリストとして活動するために<リカルド・タントゥーリ>から離れる。
最晩年まで活動を続け、90代の時には国内のポップ・ロックバンド
{ロス・アウテンティコス・デカデンテス}(Los Autenticos Decadentes)に招かれたりした。


(エミリオ・バルカルセ)
1968/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、ヴァイオリン、バンドネオン、現役
1940年代半ば、歌手の<アルベルト・カスティージョ>が<リカルド・タントゥーリ>楽団からソロとして独立した際、<エミリオ・バルカルセ>は彼の伴奏楽団を率い、その時代の第一線で活躍する。
<アニバル・トロイロ>と<アルフレド・ゴビ>などのために、編曲も行っている。
1948年、<オスバルド・プグリエーセ>楽団に入団。
編曲家としては、20年間に渡って<オスバルド・プグリエーセ>楽団に必要とされ、作曲でもインスピレーションに溢れ、ラ・ボルドーナ(La bordona)シ・ソス・ブルッホ(Si sos brujo)などが有名。
<オスバルド・プグリエーセ>とは日本、ソ連、中国へのツアーを行い、1968年、他のメンバーたちと<オスバルド・プグリエーセ>楽団を辞し、<セステート・タンゴ>を結成した。
1999年{ブエノスアイレス市立タンゴ学校オーケストラ}(Orquesta Escuela de Tango de la Ciudad de Buenos Aires)の指揮者となり、若い音楽家たちにタンゴの歴史的なスタイルを伝え、この楽団とともに、コロン劇場を含むブエノスアイレスの主要劇場やパリでの公演を行っている。
2004年、<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトに参加。
2006年にはブエノスアイレス市の名誉市民に選ばれた。
2007年には{ブエノスアイレス市立タンゴ学校オーケストラ}の指揮を<ネストル・マルコーニ>に託して引退したが、オーケストラは今も<エミリオ・バルカルセ>の名を冠している。


(リカルド・タントゥーリ)
1937/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ
1937年にはラジオ局【LR1ラジオ・エル・ムンド】(El Mundo)と契約し、レコーディング開始。
リズミカルで踊りやすい伝統的なタンゴを演奏した。
<リカルド・タントゥーリ>楽団。
<アルベルト・カスティージョ>がボーカルとして所属するなど、40年代初頭にヒットしたタンゴ・オルケスタとなった。


(フリオ・アウマーダ)
1980/member/作曲、バンドネオン
<ペドロ・マフィア>のスタイルは、センシティブな表現が特徴。
20歳でブエノスアイレスに移り、{ロベルト・セリージョ}(Roberto Zerrillo)のオルケスタに参加。
その後、<ミゲル・カロー>の楽団へ移っている。
さまざまな楽団で演奏し、<アルヘンティーノ・ガルバン>、<ルシオ・デマーレ>、<アルベルト・カスティージョ>、{エクトル・マリア・アルトーラ}(Hector Artola)、<ホセ・バッソ>、{ホアキン・ド・レジェス}(Joaquin Do Reyes)、<エンリケ・フランチーニ>などのオルケスタがあげられる。
1980年から
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>でも演奏している。

(ホルヘ・ドラゴーネ)
1927/Orquesta/作曲、ピアノ
歌手の伴奏楽団として、<アルベルト・カスティージョ>、<アルヘンティーノ・レデスマ>、<カルロス・ダンテ>、<アルベルト・モラン>、<フロレアル・ルイス>、<エドムンド・リベロ>など。


(エンリケ・カンポス)
1940/Canta/男性歌手
<リカルド・タントゥーリ>が率いるオーケストラにて<アルベルト・カスティージョ>の座を引き継いだ。
1940年代を代表する歌手の一人とされている。
<リカルド・タントゥーリ>との成功はオルケスタを継続すると同時に、1946年の4月、ギター伴奏でソリストシンガーとなる事を可能にした。
しかしながら1947年の3月には、<フランシスコ・ロトゥンド>のバックボーカルに逆戻りしてしまう。
1952年には{ロベルト・カロ}のオルケスタ歌手となり、その2年後、<フランシスコ・ロトゥンド>との三度目の時期を迎える。
その後、ソロに専念。


(エドゥアルド・ロビラ)
1956/Orquesta/楽団
1949年に<アルベルト・カスティージョ>の伴奏楽団を指揮し、1951年から1952年にかけて自身の楽団を率いる。
<エドゥアルド・ロビラ>は、その当時画期的であったクラシックの要素をタンゴに融合し、続いて先駆的な電子音楽をタンゴに取り入れた。
1956年再びブエノスアイレスでヴァイオリン奏者<アルフレド・ゴビ>と共演する。
歌手<アルフレド・デル・リオ>と{デル・リオ-ロビラ}(Del Río-Rovira)楽団を作る。
1961年に現代タンゴグループ(la Agrupación de Tango Moderno)を立ち上げ、その5年後にトリオを組織し、前衛タンゴへ力を注いでいく。
1960年代にかけて、オンガニアの軍事クーデター後に閉めざるを得なくなった自身の店【タンゴ・セセンタイセイス(Tango 66)】を開く前は、伝説的な場所になっていた。
{タタ・セドロン}(Tata Cedrón)や{アティリオ・スタンポーネ}などで演奏している。
1973年、ラ・プラタ国立劇場の指揮者に任命される。

