Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(アルヘンティーノ・ガルバン)
1928/Orquesta/作曲、楽団、ヴァイオリン
1935年以降は、<ミゲル・カロー>、<オスバルド・フレセド>、<アニバル・トロイロ>、<フランチーニ-ポンティエル>、自己の楽団のために書いた革新的な編曲によってその才能を広く認められるようになる。
1958年、<エドゥアルド・アローラス>、<アグスティン・バルディ>、<フリオ・デ・カロ>、<エンリケ・デルフィーノ>、<アンセルモ・アイエタ>という有名な作曲家の作品を体系的に演奏するため七重奏団<ロス・アストロス・デル・タンゴ>を設立。


(オスバルド・タランティーノ)
1940/member/作曲、ピアニスト、監督
1940年代、<ペドロ・マフィア>や<エドガルド・ドナート>、<アルヘンティーノ・ガルバン>のオーケストラと共に共演。
<エクトル・バレラ>のグループに加わり、<アルフレド・ゴビ>のオーケストラに加わる。
1960年代、<アストル・ピアソラ>の五重奏団、1972年には{グループコンフント9}( Conjunto 9)を結成。
ラウル・ガレロ(Raul Garello)と演奏し、<オラシオ・フェレール>と共演。
1980年代、<ネストル・マルコーニ>やアンヘル・リドルフィ(Angel Ridolfi)、また<ルベン・フアレス>や伝説の<ロベルト・ゴジェネチェ>と舞台【カフェ・オメロ】(Cafe Homero) にて共演。
歌手として有名な<アルベルト・マリノ>や<エドムンド・リベロ>伴奏を務める。


(エンリケ・フランチーニ)
1945/Orquesta/作曲、楽団、ヴァイオリン
1938年<アルヘンティーノ・ガルバン>と演奏し、すぐ後に<ミゲル・カロー>楽団に入団、第1ヴァイオリン奏者として際立つ存在となった。
1945年<ミゲル・カロー>楽団から独立し、バンドネオン奏者の<アルマンド・ポンティエル>と10年に亘って<フランチーニ-ポンティエル>楽団を率いた。
1959年に<オラシオ・サルガン>、<ウバルド・デ・リオ>、<ペドロ・ラウレンス>、{ラファエル・フェロ}(Rafael Ferro)と共に<キンテート・レアル>を結成する。
並行して<エクトル・スタンポーニ>とドゥオを結成、{オクテート・ブエノスアイレス}(Octeto Buenos Aires)、<ロス・アストロス・デル・タンゴ>、<アティリオ・スタンポーネ>楽団にも参加した。
{ブエノスアイレス市立交響楽団}(Orquesta Filarmonica de Buenos Aires)のメンバーを務めたこともあった。


(フリオ・アウマーダ)
1980/member/作曲、バンドネオン
<ペドロ・マフィア>のスタイルは、センシティブな表現が特徴。
20歳でブエノスアイレスに移り、{ロベルト・セリージョ}(Roberto Zerrillo)のオルケスタに参加。
その後、<ミゲル・カロー>の楽団へ移っている。
さまざまな楽団で演奏し、<アルヘンティーノ・ガルバン>、<ルシオ・デマーレ>、<アルベルト・カスティージョ>、{エクトル・マリア・アルトーラ}(Hector Artola)、<ホセ・バッソ>、{ホアキン・ド・レジェス}(Joaquin Do Reyes)、<エンリケ・フランチーニ>などのオルケスタがあげられる。
1980年から
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>でも演奏している。

(エクトル・アルトラ)
1950/Orquesta/演奏家
1927年12月、{エドゥアルド・ビアンコ}(Eduardo Bianco)楽団に参加するためパリへ。
<リベルタ・ラマルケ>のバックオーケストラに加わるため、1934年にアルゼンチンへ戻り、この楽団に1937年まで所属。
{ミゲル・ニヘンソン}(Miguel Nijenson)、{ミゲル・ボナーノ}(Miguel Bonano)、<フランシスコ・フィオレンティーノ>とともに、{ロス・ポエタス・デル・タンゴ}(Los Poetas del Tango)を結成したが、その後すぐ<フランシスコ・カナロ>から声がかかる。
さらにヨーロッパから<ラファエル・カナロ>に呼ばれる。
1940年からブエノスアイレスで<ロベルト・マイダ>のバックオーケストラで<アルヘンティーノ・ガルバン>と知り合う。
<オスバルド・フレセド>楽団のバンドネオン奏者としても活動した時期もある。
【LR1ラディオ・エル・ムンド】の専属オーケストラに入り、当時のトップシンガーたちの編曲を担当した。
他にも【LR3 ラディオ・ベルグラーノ】の専属オーケストラや、ユニークなものでは{オルケスタ・シンフォニカ・アルヘンティーナ}の指揮もとっていた。
<エクトル・アルトラ>は、{オスカル・アロンソ}(Oscar Alonso)などの歌手の伴奏者として憶えられているが、1950年代に<エルビーノ・バルダーロ>楽団の編曲者としても活躍していた。


(ルイス・スタソ)
1959/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン、現役
1949年に<アルヘンティーノ・ガルバン>楽団に参加。
1949年以降、当時第一線で活躍していた有名ソロ奏者が指揮を取る様々な楽団で活躍し、10年後には、歌手の<アンヘル・バルガス>の伴奏指揮を引き受ける。
1959年から1965年にかけて、{アルフレド・デ・アンヘリス}楽団に初めてのバンドネオン奏者として参加していた。
<ロベルト・ゴジェネチェ>のアルバム ラ・マキシマ・エスプレシオン・デ・タンゴ(La Maxima Expresion del Tango)にポラコとの共演が収録されている。
1973年には、<オスマル・マデルナ>のオーケストラで活躍した時代からの旧友<ホセ・リベルテーラ>と、第一線で活躍する選り抜きのソロ奏者4人ともに<セステート・マジョール>を結成する。
この<セステート・マジョール>は世界にその名を知り渡らせる楽団のひとつとまでとなり、【タンゴ・アルヘンティーノ】(Tango Argentino)後に、【タンゴ・パシオン】(Tango Pasion)が世界で立て続けに公演されていった。
<ホセ・リベルテーラ>の死後(2004年)<ルイス・スタソ>も<セステート・マジョール>から離れ、{スタソ・マジョール}三重奏楽団(el trio StazoMayor)を結成しバンドネオン奏者、編曲担当として指揮を取っている。
メンバーはギターリストの{ココ・ベレガッティ}(Coco Belegatti)とコントラバス奏者の{カスペル・ドンケ}(Kaspar Domke)。


(オスカル・アロンソ)
1936/Canta/歌手
彼は1936年に、{ホセ・カネ}をはじめとするさまざまなギターリストの伴奏を行い、時には{アルヘンティーノ・ガルバン}率いるオーケストラの伴奏も行い、<エクトル・アルトラ>との驚異的な時代と最終ステージを迎えた。

