Orquesta(81) Canta(104) member(37) Orquesta2(31) Electronica(21) Compositor(13) Cafe De Los Maestros(15)
(アルフレド・デ・アンジェリス)
1941/Orquesta/作曲、楽団、ピアノ
1941年自己の楽団を結成、軽妙でダンサブルなリズムで人気ある楽団の一つ。
<アンセルモ・アイエタ>楽団とグラシアーノ・デ・レオーネ Graciano De Leone 楽団で演奏。
1936年{ダニエル・アルバレス} Daniel Alvarez楽団のメンバーとなり、1939年{フランシスコ・ラウロ}Francisco Lauro 率いる{ロス・メンドシーノス} Los Mendocinos に参加。


(カルロス・ダンテ)
1936/Canta/男性歌手、映画、サラリーマン、ソロ
1934年<ミゲル・カロー>楽団の歌手となる。
1936年、<ミゲル・カロー>楽団から独立し、<アグスティン・マガルディ>とのコンビを解散したばかりの{ペドロ・ノダ}Pedro Nodaとドゥオを組み、ダンテ=ノダのコンビはすぐに評判となる。
<アルフレド・デ・アンジェリス>楽団=<カルロス・ダンテ>、<フリオ・マルテル>歌のレコードは売れる。
1951年<フリオ・マルテル>に代わって、{オスカル・ラロカ} Oscar Larrocaが入団、<カルロス・ダンテ>の新しいパートナーとなった。
1958年、<アルフレド・デ・アンジェリス>楽団と140曲近くを残した<カルロス・ダンテ>は退団した。
<カルロス・ダンテ>は<フランシスコ・カナロ>によってヨーロッパへの音楽大使団の一員に加わるチャンスを与えられることになる。
こうした仕事が継続してあるにも関わらず、石油輸入公団で17年間も働き続けた。


(フロレアル・ルイス)
1944/Canta/男性歌手
<フロレアル・ルイス>はスタイル豊かで人気のあるタンゴ歌手のとしてその長い経歴を積み、1940年代に<アルフレド・デ・アンジェリス>や<アニバル・トロイロ>と絶頂を迎える。
1942年<アルフレド・デ・アンジェリス>に加入して、名声獲得へのステップとなる。
1944年、既に人気を集めていた彼は、<アニバル・トロイロ>のオーケストラに移ることを決意。
常にボーカリストとして著名な<アルベルト・マリノ>や<エドムンド・リベロ>とデュオを組んだ。


(フリオ・マルテル)
1943/Canta/男性歌手
1943年に<アルフレド・デ・アンジェリス>が開いたオーディションに参加することとなる。
数多くの応募者の中、ピアノ奏者フアン・ラウレンサ(Juan Larenza)の試験を受け、合格となる。
<アルフレド・デ・アンジェリス>は<フリオ・マルテル>と<フロレアル・ルイス>をボーカル・セクションに持った。
<フロレアル・ルイス>が楽団を脱退した後、<カルロス・ダンテ>が加入し、<カルロス・ダンテ>と<フリオ・マルテル>がデュオ形式で歌うスタイルを確立した。


(エルナン・サリナス)
1980/Canta/男性歌手
歌とタンゴについての研究を行う人として、彼をタンゴ界の重要人物に押し上げる事となった。
1976年にブエノスアイレス市が主催したOTI歌手フェスティバルの際、エルナン・サリナスの芸名で歌い始めた。
黄金の1940年代の生き残りで二つの偉大な楽団の<オスバルド・プグリエーセ>と<アルフレド・デ・アンジェリス>とレコーディングを行った。
1980年から<カルロス・ガルシーア>とルベン・ガレージョ(Ruben Garello)が共同指揮をとる<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>にて歌手を務める。
歌手として在籍中は、アルゼンチンでの数え切れない公演に加え、世界中をツアーして回った。
1987年には<オラシオ・フェレール>と<アストル・ピアソラ>のオペラ【ブエノスアイレスのマリア】(Maria de Buenos Aires junto)に出演するためヨーロッパに行った。

