Tango Artist - アストル・ピアソラ

Orquesta(81)  Canta(104)  member(37)  Orquesta2(31)  Electronica(21)  Compositor(13)  Cafe De Los Maestros(15)  

Astor Piazzolla

(アストル・ピアソラ)

1955/Orquesta2/作曲、楽団、バンドネオン

タンゴ界の革命的な存在。
タンゴでありながら、伝統的なタンゴのリズムを使わない。
もしくは、タンゴにとらわれないバンドネオンの新ジャンルを構築。
伝統的なタンゴ時代 最初の時期は<ミゲル・カロー>、{フランシスコ・ラウロ}、<ガブリエル・クラウシ>の楽団に一時的に参加した。
1941年に<アニバル・トロイロ>楽団でデビュー。
1938年から1944年まで<アニバル・トロイロ>楽団に参加、そこでは初めて編曲も担当した。
その後歌手<フランシスコ・フィオレンティーノ>の伴奏楽団を指揮。
1944年にトロイロ楽団を脱退後、1946~49年には自己の楽団を率いた。
新しいタンゴ時代 1954年、タンゴに限界を感じたピアソラはクラシックの作曲家を目指してフランスへ留学。
1955年7月に帰国後、エレキギターを取り入れた{ブエノスアイレス八重奏団}を結成。
1958~60年、ピアソラは再びアメリカに。
1963年 新八重奏団。
1971年 - 1972年 九重奏団。
1978年 - 1988年 後期五重奏団。
1989年 六重奏団。

Leopoldo Federico

(レオポルド・フェデリコ)

1958/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、バンドネオン、現役

1958年に{ラディオ・ベルグラーノ}からの依頼で、自身の楽団を結成。
1940年代の伝統的なスタイルと、1950年代の前衛的でダイナミックなサウンドをオリジナルスタイルとして組みあわせており、オルケスタの音楽スタイルに昇華した。
<カルロス・ディ・サルリ>から<アストル・ピアソラ>まで、<レオポルド・フェデリコ>の才能を認めてきた。
<オスマル・マデルナ>、<オラシオ・サルガン>、<アルフレド・ゴビ>、<カルロス・ディ・サルリ>から呼び声がかかる。
<アストル・ピアソラ>とは、長年にわたる親交があり、ピアソラの楽団でも演奏。
タンゴ界の革命的な存在としての{オクテート・ブエノスアイレス}にも参加した。
歌手<フリオ・ソーサ>がソロ活動をしていた期間の伴奏を担当し、器楽演奏レパートリーの幅も広げる。
2003年から<カフェ・デ・ロス・マエストロス>プロジェクトに参加。
2005年には{セレクシオン・ナシオナル・デル・タンゴ}のメンバーとなった。

Atilio Stampone

(アティリオ・スタンポーネ)

1950/Orquesta2/ピアノ

20歳の時、<アストル・ピアソラ>に自身の最初のオルケスタのメンバーとして招聘され、解散まで在籍した。
1950年代に{フェデリコ-スタンポーネ}楽団を結成し、自身の楽団を指揮する。
その後、再びピアソラに革命的な{ブエノスアイレス八重奏団}(Octeto Buenos Aires)に招かれる。
自らの楽団でおびただしい数の演奏と録音を行い、<ロベルト・ゴジェネチェ>とコンピレーションアルバムの録音もおこなった。
<アティリオ・スタンポーネ>が1964年に伝説のタンゴバー【カーニョ・カトルセ(Cano 14)】を創業 舞台には当時の名演奏家たちが出演している。

Julio Pane

(フリオ・パネ)

1989/member/作曲、楽団、バンドネオン、教師

<フリオ・パネ>が在籍した楽団は、<オラシオ・サルガン>、<エンリケ・フランチーニ>、オスバルド・マンシ(Osvaldo Manzi)、<アルマンド・ポンティエル>、<アティリオ・スタンポーネ>、<エクトル・スタンポーニ>、<ミゲル・カロー>、<ホセ・バッソ>、<レオポルド・フェデリコ>、<オスバルド・タランティーノ>、<アストル・ピアソラ>六重奏団 (Sexteto de Astor Piazzolla) <ラウル・ガレーロ>と<カルロス・ガルシーア>を指揮者にむかえ、1982年に設立された<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>には、83年にソリスタとして参加し、現在もこのオルケスタでも活動している。
1992年、ドラムの{ダニエル・ピアソラ}(Daniel Piazzolla)と、<アストル・ピアソラ>のコンフント・エレクトロニコ(Conjunto Electrónico) を再結成したグループに参加。
このグループはアルバム1枚と数シーズンの公演の後解散した。
2002年、ブエノスアイレスのコロン劇場(Teatro Colón)に自身のトリオで出演。
{イルド・パトリアルカ}(Ildo Patriarca)、<フアンホ・ドミンゲス>と共演。

Nicolás Ledesma

(ニコラス・レデスマ)

1992/Cafe De Los Maestros/作曲、楽団、ピアノ、現役

ブエノスアイレスに移った後、若手楽団{セステート・スール} Sexteto Surに参加、その後1992年<レオポルド・フェデリコ>楽団に参加し、現在に至っている。
<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>に在籍し、<フリオ・パネ>からトリオのメンバーになるよう要請され、<アストル・ピアソラ>の音楽を演奏する。
<フェルナンド・スアレス・パス>五重奏団に参加した。
バイブラフォン奏者{ゲーリー・バートン} Gary Burton、日本のバンドネオン奏者<小松亮太>と共演、 栄誉ある<カフェ・デ・ロス・マエストロ>Cafe de los Maestrosプロジェクトにも参加した。
【ブエノスアイレス市立マヌエル・デ・ファリャ高等音楽院】Conservatorio Superior de Musica Manuel de Falla de Buenos Airesのタンゴ・コースの教育を担当している。

Roberto Pansera

(ロベルト・パンセーラ)

1949/member/バンドネオン

彼は独学でバンドネオンの演奏を学び始め、1940年代の前半になり、{ドミンゴ・S・フェデリコ}(Domingo S. Federico)に師事するようになる。
1945年にフェデリコの勧めで<フアン・カルロス・コビアン>の楽団に<ロベルト・パンセーラ>は所属する。
それからしばらくしてヴァイオリン奏者<エンリケ・フランチーニ>、バンドネオン奏者{アルマンド・ポンティエル}(Armando Pontier)の楽団に加入する。
彼のバンドネオンの才能と技巧が認められ、さらに編曲家としての独創性から、明らかに時代を先取りジャズと現代音楽の調和という実験音楽を求めていた<オスバルド・フレセド>に招かれた。
<オスバルド・フレセド>の楽団に編曲家として<ロベルト・パンセーラ>の加入後、楽団は戦中戦後に聴かれていたアメリカのビッグ・バンド的な雰囲気を帯び始めた。
1955年に<アストル・ピアソラ>はより野心的でタンゴ史における最上のものを求め{ブエノスアイレス八重奏団}(Octeto Buenos Aires)を結成するために<ロベルト・パンセーラ>を招聘した。
その1年後、<オスバルド・フレセド>の楽団に戻り、かつて経営したナイトクラブで演奏するようになった。
彼のスタイルは本質的に<アニバル・トロイロ>的であり、歌手たちから伴奏をもっとも求められる人物の一人となった。
彼は{ウゴ・マルセル}(Hugo Marcel)、<ロベルト・ゴジェネチェ>、{ウーゴ・デル・カリル}(Hugo del Carril)など数多くの歌手たちの伴奏を務めた。
彼はアルゼンチン音楽著作権協会(SADAIC)の会長を1982年から務め、同年ユネスコの国際音楽会議のアルゼンチン代表となった。

Roberto Goyeneche

(ロベルト・ゴジェネチェ)

1952/Canta/男性歌手、ソロ

1950年代の<オラシオ・サルガン>、<アニバル・トロイロ>といった楽団の専属歌手。
年齢からくる声の衰えを、あふれる表現力、感情、感傷を描ききることでカヴァーした。
トロイロ楽団には1963年まで在団し、その頃には歌唱力を磨きあげ、彼は個性的で表現豊かなスタイルを強調するようになっていた。
その後、<アルマンド・ポンティエル>、<アストル・ピアソラ>、<アティリオ・スタンポーネ>、<ラウル・ガレーロ>などの伴奏で歌っている。
1960~70年代にソロ歌手となり、人々の敬意を受ける身となった。
1983年にパリでスタートした 【タンゴ・アルヘンティーノ】の最初のメンバーに選ばれ、 ピノ・ソラナス監督の映画によって国際的な注目を得た。
1988年には日本公演

Aníbal Troilo

(アニバル・トロイロ)

1937/Orquesta/作曲、楽団、バンドネオン

彼は、若くからバンドネオニスタとしての才能を発揮した。
1932年には、<フリオ・デ・カロ>、その1年後には<アルフレド・ゴビ>と共演。
続いて、<エルビーノ・バルダーロ>、<アンヘル・ダゴスティーノ>、<エンリケ・サントス・ディセポロ>、<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>楽団(Orquesta Tipica Victor)、<フアン・カルロス・コビアン>とも共演している。
1937年、<アニバル・トロイロ>は自身のオルケスタを結成。
<アニバル・トロイロ>のオルケスタも、<カルロス・ガルデル>の残したスピリットを守り、<アストル・ピアソラ>よりも前に前衛的な音楽に挑戦し、楽団メンバーの構成や指揮、編曲に、細部にわたってこだわりを見せた。

Antonio Agri

(アントニオ・アグリ)

1965/member/作曲、ヴァイオリン

<アストル・ピアソラ>の耳に届き、1962年ピアソラのキンテート(五重奏団)への呼び声がかかった。
ピアソラとは数年間にわたり共演し、海外ツアーにも参加。
それと並行して、<アニバル・トロイロ>、<オスバルド・フレセド>、<オラシオ・サルガン>、<マリアーノ・モーレス>など、タンゴの巨匠たちのショーに参加し、レコーディングもおこなっている。
<キンテート・レアル>やコロン劇場専属オーケストラ(Orquesta del Teatro Colón)にも所属していたが、1976年、自身のオーケストラ、弦楽コンフントを結成する。
タンゴを中心に、グルック(Gluck)、ブラームス(Brahms)、シュトラウス(Strauss)、さらにはビートルズの作品までレパートリーに取り入れた。
1983年、<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>での演奏をスタートとさせ、晩年までたびたびこのオーケストラに参加している。

Horacio Ferrer

(オラシオ・フェレール)

1959/Compositor/作詞、ジャーナリズム

フェレールは1955年に<アストル・ピアソラ>と知り合い、その後固い友情を結ぶ。
数年にわたって雑誌タンゲアンドを主宰した。
1956年から59年までバンドネオンを学んだ。
1959年には最初の本タンゴ、その歴史と発展を出版。
ジャーナリズムに転じ、エル・ディア紙の付録の編集者となった。
現在は彼自身が創設したアルゼンチン国立タンゴ・アカデミーの会長職にあり、オペラ【ブエノスアイレスのマリア】の再演に参加、世界中のタンゴの研究や普及の場の中心人物となっている。

Pablo Ziegler

(パブロ・シーグレル)

1978/Orquesta2/楽団

1978年に<アストル・ピアソラ>五重奏団に招かれた。
ピアソラとは1989年まで共に演奏。
その後、新しいタンゴのための四重奏団を結成し、それから数多くの国際的なタンゴ、ジャズ、室内楽のフェスティバルで演奏するなどキャリアを進めていった。
1992年にはニューオリンズの名誉市民に選ばれた。
ギター奏者{キケ・シネシ}(Quique Sinesi)のコラボ、バンドネオン奏者{ワルテル・カストロ}(Walter Castro)の参加で制作したアルバム【バホ・セロ】(Bajo Cero)で最優秀タンゴ・アルバム部門にてラテン・グラミー賞を受賞した。

Fernando Suarez Paz

(フェルナンド・スアレス・パス)

1973/Cafe De Los Maestros/楽団、ヴァイオリン

若い頃からタンゴを始め、<オラシオ・サルガン>、<ミゲル・カロー>、<ペドロ・ラウレンス>、<アニバル・トロイロ>、{マリアーノ・モーレス}、{アティリオ・スタンポーネ}、<レオポルド・フェデリコ>やその他の楽団にソロ奏者として加わった。
1973年にデビューした<セステート・マジョール>では結成時の初期メンバーだった。
1978年に<アストル・ピアソラ>の後期五重奏団(Quinteti Nuevo Tango)に編入する。
その後10年間、この楽団で幅広く世界ツアーを行う。
この頃ピアソラは彼のためにエスクアロ(Escualo)という曲を作曲している。
1996年にはバンドネオンの楽曲を演奏するために、ピアソラの楽団を真似て五重奏団を結成している。
<フェルナンド・スアレス・パス>は国立交響楽団(la Orquesta Sinfonica Nacional)に在籍したほか、17年間の{ブエノスアイレス交響楽団}(la Filarmonica de Buenos Aires)など、クラシック音楽での長期にわたるキャリアがある。
<カフェ・デ・ロス・マエストロス>では{オルケスタティピカ・ロス・マエストロス}の弦楽団のフロントマンに<フェルナンド・スアレス・パス>が迎え入れられた。

Pablo Mainetti

(パブロ・マイネッティ)

1990/member/バンドネオン、現役

彼が共演したミュージシャンは、<アティリオ・スタンポーネ>、{ラウル・ガレーロ}(Raul Garello)、<フリオ・パネ>、<レオポルド・フェデリコ>、<フリアン・プラサ>、<セステート・マジョール>、<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>、<アストル・ピアソラ>の楽団を再現した{エレクトロニコ八重奏団}(Octeto Electronico)など。
彼の五重奏団はアルバム【トレス・リンコネス】(Tres rincones)で2004年ラテン・グラミー賞最優秀タンゴ・アルバム部門にノミネートされている。

Salle Gaveau

(サルガヴォ)

2003/Electronica/日本

日本のタンゴバンド。
鬼怒無月、喜多直毅が元メンバー。
バンド名はパリにあるコンサートホールに由来している。
<アストル・ピアソラ>の音楽に強い影響を受け、タンゴをベースにクラシック音楽、ジャズ、プログレッシブ・ロックなどの要素を取り入れている。

Marcelo Nisinman

(マルセロ・ニシンマン)

1935/member/バンドネオン

<マルセロ・ニシンマン>は、幼い頃から<アストル・ピアソラ>に親しみ、ピアソラの創作活動における厳格さと自由を敬愛した。
バンドネオン奏者<マルコス・マドリガル>と<フリオ・パネ>に師事し、ある夏プンタ・デル・エステ市でピアソラと出会ってから彼を師と仰ぎ、模範とした。

Carlos Libedinsky

(カルロス・リベディンスキー)

2000/Electronica/エレクトロニカ

タンゴを踊り始めたことで、音楽性に転機が訪れたのは2000年。
新たな表現でタンゴを踊るダンサーたち、激しく、濃く、エロティックに、タンゴを踊ることで、若者たちを惹きつける。
2001年の9月にファースト・アルバムアルデア・グロバル(Aldea Global)を発表。
自身のタンゴ曲・古典タンゴ曲に加え、<アストル・ピアソラ>のドゥオ・デ・アモール(Duo de Amor)をベースにしたものと、わが懐かしのブエノスアイレス(Mi Buenos Aires Querido)の2曲のタンゴ・エレクトロニコ曲が収録されている。
  2003年8月には、エレクトロニカとタンゴがフュージョンしたオリジナル曲によるアルバム<ナルコタンゴ>を発表している。

Rodolfo Mederos

(ロドルフォ・メデーロス)

1970/member/作曲、バンドネオン、映像クリエーター、現役

<ロドルフォ・メデーロス>の才能に惚れこんだ。
<アストル・ピアソラ>の説得を受け、学業を離れブエノスアイレスに移住、アルゼンチンの首都で音楽活動を始める。
1969年には<オスバルド・プグリエーセ>楽団に参加した。
<ロドルフォ・メデーロス>は、2000年に永遠のブエノスアイレス(Eterno Buenos Aires)でラテン・グラミー賞。
2001年にタンゴス/メデーロス&ブリスエラ(Tangos/Mederos-Brizuela)でラテン・グラミーベスト・タンゴ・アルバム部門にノミネートされた。
ガルデル賞(Premio Gardel)は、2000年にタンゴ・ベスト・アーティスト部門で受賞。
2001年にはサトゥルノの小道によりベスト・タンゴ・アルバム部門で受賞 した。
<フアン・デ・ディオス・フィリベルト>国立アルゼンチン音楽オーケストラ(Orquesta de musica Nacional Juan de Dios Filiberto、1986年に指揮者となる。

Osvaldo Tarantino

(オスバルド・タランティーノ)

1940/member/作曲、ピアニスト、監督

1940年代、<ペドロ・マフィア>や<エドガルド・ドナート>、<アルヘンティーノ・ガルバン>のオーケストラと共に共演。
<エクトル・バレラ>のグループに加わり、<アルフレド・ゴビ>のオーケストラに加わる。
1960年代、<アストル・ピアソラ>の五重奏団、1972年には{グループコンフント9}( Conjunto 9)を結成。
ラウル・ガレロ(Raul Garello)と演奏し、<オラシオ・フェレール>と共演。
1980年代、<ネストル・マルコーニ>やアンヘル・リドルフィ(Angel Ridolfi)、また<ルベン・フアレス>や伝説の<ロベルト・ゴジェネチェ>と舞台【カフェ・オメロ】(Cafe Homero) にて共演。
歌手として有名な<アルベルト・マリノ>や<エドムンド・リベロ>伴奏を務める。

Néstor Marconi

(ネストル・マルコーニ)

2005/member/バンドネオン、現役

11歳でピアノと作曲の勉強を始め、その後バンドネオンに没頭。
ブエノスアイレスでは、<ホセ・バッソ>楽団のメンバーとしてスタートし、<エンリケ・フランチーニ>=<アルマンド・ポンティエル>楽団のメンバーともなった。
エクトル・コンソーレ、オラシオ・(オマール・)バレンテと共にバングアトリオを結成、タンゴの革新派バンドとなる。
オリジナル曲や、古典の名曲のアレンジでもその個性的な音使いを極めた。
<オラシオ・サルガン>の<キンテート・レアル>のメンバーとして演奏し、<アストル・ピアソラ>・キンテートの再現でピアソラ役としてピアソラのシンフォニックな作品を弾きこなし、<アドリアナ・バレーラ>、<エクトル・スタンポーニ>、<ホセ・コランジェロ>の編曲者として活躍したのは、その万能的なアレンジがあったからこそ。
2005年まで、<アティリオ・スタンポーネ>とともに国立<フアン・デ・ディオス・フィリベルト>・アルゼンチン音楽オーケストラの指揮者をつとめた。
現在は、自身のトリオで息子のレオナルド、コントラバスのオスカル・ジウンタと演奏している。
2007年からはオルケスタ・エスクエラ・デ・タンゴの指揮者もつとめている。

Edmundo Rivero

(エドムンド・リベロ)

1940/Canta/作曲、男性歌手、ソロ

1940年代、<オラシオ・サルガン>で共演。
<アニバル・トロイロ>のオーケストラと一緒になると、すぐにトップスターになる。
<カルロス・ガルデル>の後、もっとも偉大なタンゴ歌手として、名を馳せる。
低音を操る技術で、<カルロス・ガルデル>の伝統を受け継ぐ者であった 1950年に<ビクトル・ブチーノ>や自身のギターカルテットと共にソロ活動を始めることになる。
1969年にはピアニストの{カルロス・ガルシーア}と共にブエノスアイレスでもっとも有名なタンゴバーの一つ【エル・ビエホ・アルマセン】(El Viejo Almacen)を開業。
そこで彼は死の直前まで歌い続けた。
<フリオ・デ・カロ>と{ホセ・デ・カロ}(Jose De Caro)のオーケストラの歌手であり、{ロス・カントーレス・デル・ヴァジェ}(Los Cantores del Valle)のメンバーでもあった。
レコード製作のために<オラシオ・サルガン>と再会し、<アストル・ピアソラ>と{ホルヘ・ルイス・ボルヘス}による歌詞で<アストル・ピアソラ>の作品を録音した。

Francisco Fiorentino

(フランシスコ・フィオレンティーノ)

1937/Canta/作曲、男性歌手、バンドネオン、ソロ

<フランシスコ・カナロ>楽団にバンドネオン奏者として参加、<フランシスコ・フィオレンティーノ>は最終的に歌手としてのみ知られるようになるまで、バンドネオンと歌の間で揺れ動く時期を長く過ごした。
1928年からさまざまな有名楽団で活動したにもかかわらず、広く知られた彼の最良の時期は<アニバル・トロイロ>と一緒だった1937年から1944年まで。
トロイロとのコンビはリフレイン歌手の最高の芸。
<フアン・カルロス・コビアン>(1928年)、<フランシスコ・カナロ>(1929年)、<ロベルト・フィルポ>(1929年)、<フアン・ダリエンソ>(1929年)、<アンヘル・ダゴスティーノ>(1930年)、<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>(1931年)、<ペドロ・マフィア>(1931年)、<リカルド・マレルバ>(1936年)、<フランシスコ・フィオレンティーノ>は<オルランド・ゴニ>楽団の歌手<アストル・ピアソラ>指揮のソロ歌手となった。
<イスマエル・スピタルニク>になった(1946年)。
<ホセ・バッソ>楽団(1948-1949年)、その後{アルベルト・マンシオーネ} Alberto Macione 楽団(1950-1951年)、最後は{プグリア=ペドローサ} Puglia-Pedroza楽団(1951-1952年)に参加した。

Elvino Vardaro

(エルビーノ・バルダーロ)

1930/Orquesta2/楽団、ヴァイオリン

1920年代の初めには<フアン・マグリオ>や<ロベルト・フィルポ>などの楽団で演奏を始める。
1925年から1932年まで<オルケスタ・ティピカ・ビクトル>の第一ヴァイオリン奏者になる。
1930年代は自身の六重奏団を指揮した。
<フリオ・デ・カロ>派の流れの頂点を極めた。
1940年代1950年代は{シラルコ・オルティス}(Ciriaco Ortiz)、<オスバルド・フレセド>、<カルロス・ディ・サルリ>、<フルビオ・サラマンカ>、<ペドロ・マフィア>など多くの楽団指揮者に招かれ演奏し、それに加えて自身の楽団も指揮した。
1957年には七重奏団<ロス・アストロス・デル・タンゴ>のメンバーとなり、タンゴの名曲版を出した。
<アストル・ピアソラ>の{弦楽オーケストラ}(Orquesta de Cuerdas)と{ヌエボ・タンゴ}五重奏団(Quinteto Nuevo Tango)で1961年まで演奏する。
<アストル・ピアソラ>が彼に捧げたタンゴ曲バルダリート(Vardarito)がある。

Octeto Buenos Aires

(オクテート・ブエノスアイレス)

1955/Orquesta2/ピアソラ

オクテート・ブエノスアイレスは、<アストル・ピアソラ>が1956年に結成したアンサンブルで タンゴ界の革命的な存在。
タンゴでありながら、伝統的なタンゴのリズムを使わない。
もしくは、タンゴにとらわれないバンドネオンの新ジャンルを構築。

Hugo Baralis

(ウーゴ・バラリス)

1944/member/ヴァイオリン

また彼の名を聞くと、<アニバル・トロイロ>や<アストル・ピアソラ>を思い出すかもしれない。
しばらくして、<ラファエル・ロッシ>との共演、若きバンドネオン奏者<アニバル・トロイロ>と出会うことになる。
そして<アンヘル・ダゴスティーノ>との演奏と続く。
<アニバル・トロイロ>が1937年に自身のオルケスタを結成した時、<ウーゴ・バラリス>を誘い、その後彼は当時無名だった<アストル・ピアソラ>が<アニバル・トロイロ>のオルケスタに入る仲介者となった。
<アニバル・トロイロ>と別れてからは、<フアン・カルロス・コビアン>のオルケスタで演奏した。
その後、生涯の盟友<アストル・ピアソラ>が指揮する、歌手<フランシスコ・フィオレンティーノ>の伴奏楽団に加わる事になる。
1980年に<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>設立時に第一ヴァイオリン奏者として加わり、引退するまで務め上げた。

Julia Zenko

(フリア・センコ)

1990/Canta/女性歌手、現役

1990年代の終わりに <アストル・ピアソラ>とフェレールのオペラ【ブエノスアイレスのマリア】(Maria de Buenos Aires)で主演し好評を得た事により、タンゴへ没頭するようになった。
1999年には彼女の歌声を聞いたチェロ奏者ヨーヨーマが日本ツアーで共演するため彼女を招待した。
2000年にはニューヨークのカーネギーホールで{ゲーリー・バートン}(Gary Burton)、{ジョー・レバーノ}(Joe Levano)、{パキート・デ・リベラ}(Paquito D'Rivera)、<パブロ・シーグレル>の伴奏でタンゴの名曲を活躍。
彼女のアルバム【タンゴ・ポル・ボス】(Tango por vos)は2002年ラテン・グラミー賞でノミネートされた。

Gabriel Clausi

(ガブリエル・クラウシ)

1930/Orquesta/作曲、バンドネオン

演奏家として、彼はソロ演奏を好み、<ペドロ・マフィア>の感性と技術を受け継ぐ。
<フアン・マグリオ>、<フランシスコ・プラカニコ>、<ロベルト・フィルポ>、<フリオ・デ・カロ>、<オスバルド・フレセド>などで共演している。
1940年代には、<ガブリエル・クラウシ>楽団を結成し、その後10年以上滞在することになるチリに渡り活躍する。
若き日の<アストル・ピアソラ>も短期間滞在した。
21世紀に、ファンからの要望を受けてロックバン{ドロス・ピオホス}とゲストとして共演するなど、他ジャンルにも活躍の場を広げていた。

Alberto Fontan Luna

(アルベルト・フォンタン・ルナ)

1944/Canta/男性歌手

<アストル・ピアソラ>で活躍。

Hector De Rosas

(エクトル・デ・ロサス)

1960/Canta/男性歌手

<アストル・ピアソラ>や<オスバルド・レケーナ>、<オスマル・マデルナ>、{ロベルト・カロ}で活躍。

Amelita Baltar

(アメリータ・バルタル)

1968/Canta/女性歌手

<アメリータ・バルタル>は<アストル・ピアソラ>の30以上の作品にその重厚な声を刻み込む。
1968年、<アストル・ピアソラ>と<オラシオ・フェレール>作の小オペラ【ブエノスアイレスのマリア】(Maria de Buenos Aires)主人公を演じる。
バルタールは私生活でも{ピアソラ}結ばれていた。

Raúl Lavié

(ラウル・ラビエ)

1953/Canta/男性歌手、ソロ

1953年、<ビクトル・ブチーノ>の楽団の伴奏でブエノスアイレスのラジオ局【エル・ムンド】(El Mundo)でデビューを果たす。
人気の<エクトル・バレラ>の楽団歌手。
<エクトル・スタンポーニ>と{スタンポーニ-ラビエ}楽団を結成したりもした。
<アストル・ピアソラ>の作品を歌うなど、彼のレパートリーはスール(Sur)ボルベール(Volver)など。
<アストル・ピアソラ>の五重奏団の歌手を務め、何度もツアーに同行している。
【タンゴ・アルヘンティーノ】(Tango Argentino)に出演し、世界中で上演している。

Hernán Salinas

(エルナン・サリナス)

1980/Canta/男性歌手

歌とタンゴについての研究を行う人として、彼をタンゴ界の重要人物に押し上げる事となった。
1976年にブエノスアイレス市が主催したOTI歌手フェスティバルの際、エルナン・サリナスの芸名で歌い始めた。
黄金の1940年代の生き残りで二つの偉大な楽団の<オスバルド・プグリエーセ>と<アルフレド・デ・アンジェリス>とレコーディングを行った。
1980年から<カルロス・ガルシーア>とルベン・ガレージョ(Ruben Garello)が共同指揮をとる<ブエノスアイレス市立タンゴ・オーケストラ>にて歌手を務める。
歌手として在籍中は、アルゼンチンでの数え切れない公演に加え、世界中をツアーして回った。
1987年には<オラシオ・フェレール>と<アストル・ピアソラ>のオペラ【ブエノスアイレスのマリア】(Maria de Buenos Aires junto)に出演するためヨーロッパに行った。