ミロンガの縮図

ミロンガは、神の見えざる手

誰かがコントロールしているかのように見えて

ミロンガは需要と供給の世界だと思う

個々人の合理的な判断で、ミロンガが成立している

まさに社会の縮図

ドキドキ、ミロンガデビュー

一人目でドキドキは消える

冷や汗しか出ない

それがミロンガデビュー

とりあえずミロンガに行ってみたいはアリ

ただし、本当は、それなりに踊れるようになってからの方がいい

ステップを知っているだけではミロンガでは対処できないから

混んでいるミロンガだったりすると、覚えたステップをする場所すらない

そこで無理にステップをしようとすれば、隣で踊る人達とぶつかってしまう

これがミロンガで踊るために第一関門

ミロンガには、いくつか掟がある

女性から誘ってはいけない

カベセオというやり方で相手を誘う

技術的に同じレベルの人を誘う

ミロンガ中は教えることはご法度

周りに迷惑になる踊りはしない

コルティーナになったら一度フロアから出る(プールから出るのと同じ)

1曲ごとに「ありがとうございました」を言わない。(もういいですという意味)

踊るか、踊らないか、は女性に選択権がある

断られたら、そのタンダは1回お休み、無節操にすぐに次の人を誘わない

掟だから絶対ではなく、それが、さらに厄介度をアップさせる(正解がわからない)

本来は、これら掟の背景や理由を知っていればいいだけ

実際はケースバイケースでいいと思う

ただ、ミロンガへの参加するなら、最低限のことは知っておくべきかと

オトコ度が透けて見える怖い世界

男性は好きな時に女性を誘い、勝手に休憩し

適当にしゃべりたり、お酒を飲んだり、かなり気楽

しかし、男の行動は、ほぼ全員が注目している

とくにアレ的な動きをしていると目立ってしまう

その場限りのミロンガならまだいいかもしれないが

翌週、ミロンガに行けば、また同じ顔ぶれだったりする世界

もう会社と同じですね

初心者女性を狙う男子

感覚的には、誘うと言うよりは狙っているイメージに近い

自分よりレベルが低い人と踊っていれば

自らの優越感も満たすことができる

さらに厄介なことに

誘われる方も、自分により上手なので楽しく踊れる

双方にとってHAPPYな関係になっている

優越感に、まさる快感はなく

そういう男性が一定量いる世界

一方で、無理して誘ってダメだしされれば

それが劣等感になり、コンプレックやトラウマになる

あえてやりたがらない

ただ、この快楽だけに浸っていると

タンゴにおいて大事なことを忘れてしまう

ミロンガで誰と踊るかの法則

人が多ければ多いほど、いつものメンバーを誘ってしまう法則

人が多いミロンガだから誘われやすいというのは逆で

人が多い場合ははじめての人から誘われる可能性は低い

日本では、いつも、同じ人が、同じ場所で開催するミロンガが多いので

知らない人がたくさん来ることもない

逆に、人数が少ないこぢんまりしたミロンガの方が

周りとの距離が近く

はじめての人とも踊る機会ができる

初心者歓迎のミロンガ

タンゴ初心者さん大歓迎

何も難しいことはしなくていい

ただ女性と音楽を共有して歩いているだけでも楽しいです

この言葉は、信じてはいけない

初心者同士なら、タンゴの真似事だけでも楽しいはず

それは、それでいい

ただ、音楽を共有して歩けるって、相当レベル高いです

初心者と踊っても面白くない

誰もそんなことは口に出さないけど

早く初心者から脱出することができれば

また別のタンゴの世界が待っている

ミロンガの雰囲気を決めるもの

ミロンガは、集まっている人達で雰囲気が決まる

そこに憧れの人などが居たりすればさらに気分は盛り上がる

憧れのタンゴを踊れるようになりたいと思って

タンゴレッスンを続ける人が増えていけば

ますます雰囲気は良くなる

ミロンガとお酒

タンゴとお酒

どこのミロンガでもお酒は飲める

赤ワインなど飲みながら

タンゴを踊るとか

お酒は大人の遊び場的なイメージに貢献している

ただ、酔うと踊れなくなるという理由から

お酒は飲まないで踊る人も結構いる

ミロンゲーロとしての喜びは、通じ合えること

ミロンガでは、同じレベルの人と踊る

上手な人は上手な人同士

初心者は初心者同士

同じだからこそ、通じ合えることができる

この通じ合えることこそが、タンゴの醍醐味で深い

どこで、誰に教わったに関係なく

海外の人でも

まったく初めなのに

タンゴを踊れば人として通じあうことができる

いつも踊る相手なら

相手の体調や調子なんかも、わかってしまう

踊りが通じるという意味とは別に

言葉を交わさなくても、相手と何か会話している感じ

たぶん、そこに嘘もないし、お世辞もない

素のままの何かがある

これはこれで、なかなかすごい世界だと思う

ミロンガで視線を感じたら

視線を感じたら、普通は、そっちを見ますよね

実際に相手が視線を送っていれば、目が合っちゃいますよね

それがミロンガでは踊ろうよ合図になるんです

視線を受け取った側は

踊りたければ、じゃあ踊りましょうという合図を返す

踊りたくなければ、視線を逸らす

コレ結構、技術が必要

このように、踊る相手を誘うやり方をカベセオと言います

カベセオ派の悲哀

全員がカベセオかといえばそんなことはなく

いろいろな誘い方が混在している

そんなわけで、カベセオ派は、非カベセオ派をこころよく思っていない

たとえば、次の行動を取られるとカベセオ派は打つ手がない

・席まで移動して直接誘いにいく

・コルティーナが終わる前から誘う

・カベセオを待つという状態で待っていない

非カベセオ派の悲哀

・視力が悪くわからない

・常に気配を感じていなければダメで疲れる

・女性はやる気満々モードで待っていなければならない

・カベセオのミロンガって、どことなく殺伐としている

・カベセオ席があれば、そこに座らなくてはならない

攻めのカベセオと守りのカベセオ

あえて、距離感とって、フレンドリー感がゼロ

カベセオでお互い見つめあって交渉成立

でも、実際に踊り始めたら

アレレじゃ、コントにしかならない

海外ではカベセオが当たり前だからと言う

断りやすいシステムだからいいと言う

カベセオにはたしかに形式美はある

しかし、それがすべてじゃないという感覚もないとダメと思う

成熟しているミロンガで、グローバルならまだしも

ローカルで、知っている人が多いところであれば

ルールよりはマナーさえクリアーしていればオッケー

無理してまでカベセオにこだわる必要はない

ベストな方法で楽しめばいい

ミロンガにおける挨拶

知り合いがいれば挨拶するのは当たり前だろうけど

挨拶だけで、あとは、知らんぷりというのも気が引ける

なにより、その日に踊らないということは

その人との人間関係を悪くする

私は踊ってもらえない

私には興味がないんだということになる

ミロンガは自己承認欲求の場だったりもするので

この点については、ミロンガは結構、厄介である

ホームミロンガ

ゴッド・ファーザー的なファミリーがタンゴにも存在する

先生を頂点にそこに結束している人達

これがファミリーとか、ホームにあたる

ホームのミロンガには、その人達が集まる

ある意味、すごく閉鎖的

一方で、ホームを持たない人達は

いろいろなミロンガに顔を出すことになる

しかし、どのミロンガにも

ある意味ホーム的な要素はあるので

ときとして、疎外感がある

ホームの閉鎖性を嫌う人達もいるが

ホームは、ブエノスの長年の知恵なんだと思う

ホームは、面倒な問題を何気に解消してくれている

そのベースには

タンゴにはすべてにおいて信頼が必要

その信頼を作るための環境が必要

その環境を守り続ける人達が必要

それがホームであり

誰でもが簡単にそこに入ることはできない

あたりまえだと思う

いつも、ギラギラ、自己承認欲求強めだと、疲れてしまう

タンゴを長く続けていくためにはホームの存在はデカい

アウェイミロンガ

アウェイという表現は、タンゴでも使われる

ホームじゃないミロンガに行くこと

ホームだけであれば

井の中の蛙であることに気づく

いつものリードが通じない

そういう機会を持つことで

新たなタンゴが始まるきっかけになる

先生が踊りまくっているミロンガ

先生が踊りまくっているのは日本だけという話も聞く

先生はサービス業なので仕方ない

一方で

タンゴはグローバルなんだから

日本の特殊性を無くしていくべき

という人も居る

同じ先生が、この2つのことを担うから

矛盾していると思うけど、それはそれ大人の事情

誘われる人と誘われない人の境界線

ミロンガで誰と踊るか?

ミロンガに来ているヒトと全員と踊るなら、何も悩むことはない

ただ、それは物理的に不可能で、10人とも踊れば時間切れになる

おそらく

誰と踊るかという積極的な態度ではなく

誰と踊らないかという消去法に近い

その境界線は好き嫌いという主観的なものなので

一般論で語ることはできないものだけど

ミロンガを見ていると、誘われない人には、共通点があるような気がする

誘われ続ける人も、誘われない人も、いつも同じだからである

誘われない人の共通点は

誘われなくてもいいと思っていることに尽きる

そういう雰囲気を出している、その雰囲気が伝わってくる

じゃあなんでミロンガに来るかといえば

特定の人とだけ踊りたいからで

その待ち姿がなんとも独特で、それが誘われない理由なんだと思う

で、いざ踊っているときの姿を見ると、そのオモテウラが凄すぎて

さらに誘いたくなる気が増していく

面白くない顔で踊っている人

踊る相手によっては

確かに面白くない、苦痛すら感じるときがある

そこは顔に出さずに、気持ちを入れ替えて対応するしかない

これを、そのまま面白くない顔して踊られると

周りで見ている人達にも

そのときのいやな感じは、鮮明に残るし

本人は、強烈なトラウマになる

ある意味、それを相手に知ってもらうための態度だとは思うが

他の人も見ているので、印象的には結構マイナス

もう少し工夫があればいいと思う

ミロンガで踊るタンゴとエレガントなタンゴは違う

エレガントに見えるということをテーマに取り組んでいる人達も多い

つまり、見せるタンゴを目指している人達

重厚感やリズム感、足さばきがエレガント、動きが綺麗、なにより姿勢がすごくいい

ただ、ミロンガで踊るタンゴは、これとは違う

ミロンガでエレガントなタンゴで踊られれるとかなり迷惑なのだが

ミロンガは絶好の見せる場だったりもするので、そういう踊りをする

本人たちは、それに気づいていない、陶酔している

混み合ったミロンガの踊り方

大きく動かないということだけど

ただ、小さく動けばいいというものでもなく

限らえたスペースでいかに楽しむかの感覚がないと踊りにならない

小さな動きの中で、自分なりのタンゴを表現して伝えていく

その小さなスペースに、研ぎ澄まされた二人の世界を作っていく

音楽性とミロンガ

音楽性が大切です強調する割に

危険だからやってはいけないと言われている動きがある

たとえば、音楽のアクセントを表現するためのボレロ

これは禁止というミロンガは結構多い

強いスタッカートを表現する場合は

大きく派手な動きになりがちで、とても危ないけど、こちらは禁止されていない

ある程度オーガナイザーのスタイルがあるので、それに従う必要がある

女性が退屈で居眠りしちゃうタンゴ

ミロンガでは、レッスンより踊りが慎重になる

確実にできことだけに徹して、けして無理はしない

とても正しい振る舞いだと思う

ただ、どうしてもワンパターンになりがちで

そうなると退屈で眠くなってしまうらしい

現実は厳しい

ひとつクリアできたら、すぐに次の課題が降ってくる

ミロンガでの衝突事故を防止するために

大きく動かない

進行方向から下がらない

この2つが鉄則で

厄介なことに

この大きく動く、下がるをベースにしてるタンゴのスタイルがある

一度、それをカラダで覚えてしまうと

この動きをなかなか抜け出すことができない

そうなると、ミロンガが危険な場になる

混んでいるミロンガでは自分が思うように動くことができないので

状況に応じて踊れない場合は

混んだミロンガでは踊らないという

そういうマナーも必要かと思う

ラストタンダ

ラストタンダとはミロンガが終わる最後のタンダで

最後の曲はクンパルシータという曲で終わることが多い

日本でいれば、ホタルノヒカリ的な曲になる

で、最後に、誰と踊るかということはわりと重要で

ミロンガの中で一番踊りたい人と踊る

人気がある女性なら、隠れた争奪戦になる

また、この人は、この人とラストタンダなんだー

その人なりの嗜好や人間関係も見えてしまう

逆に、見透かされるのがいやで

あえてラストタンダにこだわりを持たないようにする人もいる

誘われる可能性が低いと思った女性は

その時点で帰り支度してしまったりする

ラストタンダには

かなりの人間模様が垣間みられる

ミロンガのマンネリ化

ミロンガがマンネリ化していると嘆く人がいるけど

いつも同じで、変化がないという意味だと思うが

それは理由ではない

自分がミロンガとの関わり方を持っていないのが理由だと思う

受け身で、何でもやってもらえると思っているからだと思う

変化がなくても、いつもと同じでも

今日はこれがあればいい、これがあれば楽しいを持って

ミロンガに参加していれば、マンネリ化することはない

東京のミロンガ

日本で最初にミロンガを開催した人は

おそらく水曜会

50年前のからスタートしている

50年の歴史があれば、そこではさまざまな変化が起きる

100人以上が集まるミロンガもあれば、数人のミロンガもある

比較的踊れる人が集まるミロンガもあれば、初心者のみを対象にしているミロンガもある

華やかを売りにしているところもあれば、ひたむきにただ踊ることだけのミロンガもある

随分と細分化が進んでいるように思う

細分化された社会は、ある種の分断を生む

「自分とは関係ない」が加速していく

今のミロンガは、そんな状態だと思う

ミロンガにおける踊り

レッスンで習ったステップをやってはダメ

リードの仕方をカラダに浸み込ませて

音を聞いて動くのがミロンガにおけるタンゴの踊り

ミロンガでの禁止事項(マーナー編)

これ見れば、何がダメなのか、わかる

字幕表示して自動翻訳でイケる

ミロンガでの禁止事項(迷惑な踊り編)

まず、ミロンガではショータンゴは踊らない

基本的に、後退することは禁止だったりする

暗黙的に、派手な動き禁止、危ない動き禁止

つまり、周りに迷惑かかるから禁止なわけで

迷惑を掛けないように踊ることができれば

迷惑さえ掛けなければ自由であっていいはず

ミュージカリティー優先だったらなおさらで

危険だからという理由で、音を表現する動きを禁止されたら

ミュージカリティーにはならない

たとえば

後退が禁止なら、前進した分だけ、直後に後退をすればいい

つまり、後退する安全なスペースを空けるということを行なってからする

ボレロが禁止なら、ボレロをした足先が誰も居ないところに向くようにすればいい

具体的には、コーナで壁側にボレロの足先が向くようにすればいい

禁止する前に、どうすれば安全で迷惑にならないようにすることができるか

それを教えることが必要

その前提があれば、踊りは自由になれる

それを知らないで迷惑な人は、そういう踊りは禁止

何も知らないで、禁止ですというのは

ミロンガをつまらなくしている1つの要因になっていると思う

ミロンガをよくするためには

リードの仕方を言語化して体系的に教えられる先生が必要

いい先生がいないと、ミロンガはよくならない

また、教わる側も、体系的に理解して

かつ動けるところまでレッスンを続ける人が増えていかないと

ミロンガはよくならない

それ、断られています

女性が断れない時代があった

昔、昔、そんな時代があったのかもね

その名残を引きずっている

断れない前提で、でも断るときにどうするか?

足が疲れているので

そのわりには、すぐに、他の男性と踊っている

それは、断るための表現で

けして足が疲れているわけではない

足が疲れていたとしても、すごく踊りたい相手だったら踊る

無理して踊りたくない相手だと言うことでしかない

断り方より、断られ方を覚えた方が、たぶんHAPPY

女性が気を使って断る方法とか、そんなことがしばしば書かれているが

男性が断られ方を覚えた方が早いし、あらゆる問題は解決に向かうはず

むやみに誘わない

これが一番効果的

誘わなければ断らる必要もない

断られるかどうかわからない場合は誘わない

つまり、知り合い以外には行かない

それでも、どうしても誘いたい場合は

まず、観察する

この観察が必要、観察なしにいきなり行くのはやめよう

まずは、相手の踊りのレベルを知ろう

自分より上手いと思ったら、諦める

ちなみに、同じぐらいと思った場合は

あきらかに上なので注意が必要

男性は自己評価が高い傾向が強いので(笑)

次は、カベセオで誘われて踊りたいと思っている状態かどうか見極める

そもそもグループやパートナーと来ている場合は

カベセオで踊りたいというよりは、友達とだけ踊りたい状態かもしれない

そもそもカベセオを受け付けない状態があることを知ろう

そこに無理やり割り込んでいかない

いろいろ勘案して、それでもイケルと思った場合は

視線、カベセオを送って見る

誘うというよりは、送ってみるレベルでいい

じっと見つめていると、ある意味、ヤバイ人になるので

相手の方を、ちらちら見る感じでいい

見られていれば相手もわかっているはずで、こちらに振り向いてくれれば

踊りませんか?という視線やカベセオの合図を送る

首を軽くフロアーに向ける仕草でいい

女性は断る権利がある

女性は断る権利がある

実際に断ることもある

基本断る人も居る

断る側も相当なパワーを必要とする

断れば雰囲気も悪くなるだろうし

そういう人から誘われないように

トイレに逃げたり、隠れたりするらしい

少しでも避けられていると感じたら

それらの状況を察知して

誘いに行かないという配慮が必要

それが大人なタンゴです

伝統を守る VS 新しいことを取り入れる

この手の話は、伝統を守るべき的な人は一定数いる

新しいことを取り入れたい人も居る

それが混在しているのが普通で

ミロンガのオーガナイザーが

どちらなのか表明したらいいだけの話だと思うけど

明確じゃない場合が多い

どのミロンガに行くか?

いつ、どこで、誰がミロンガを主催していることはわかるが

どんなミロンガで、どんな人が集まっているのかイマイチわからない

それはもっとクリアーにできるはずだけど、あまり情報が出てこない

やっていないのは、とくに特徴がないからかもしれない

ミロンゲーロス

ブエノスでは、ミロンガで踊る常連たちを

男性を「ミロンゲーロ」、女性は「ミロンゲーラ」

総称して「ミロンゲーロス」と呼ばれている

そこには、リスペクトがある

なぜ、リスペクトがあるのか?

常連だから、タンゴ歴が長いからという理由だけではなく

その場を守ってきた人達ということなんだろうか?

そういう人達が、最近のタンゴはダメとか言っちゃう世の中でもあるが

それだど、廃れていってしまうかもしれない

もう一度、考えてもいいテーマだと思う

争奪戦

カベセオが成立するためには前提がいくつかある

曲が掛かる前に誘っている人がいるようなミロンガでは成立しない

なんか、一種の争奪タイムみたいで、それを見ているだけでも萎える

一目散に誘いにいく、あの勢い

あの勢いはなんだろう?

電車に乗り遅れちゃいけないぐらいの感覚がある

しかも、それがコルティーナごとに毎回繰り返される

あと、この曲は、あの人と踊るとか

そんな悠長なことはできない(笑)

思うに

この曲で踊りたい女性って

リーダ全員が同じ女性を想うのではないだろうか?

そんなうまくニーズが分散するとは思えないし

そしたら、まさに争奪戦開始

踊りたいという要望だけだと悲しい

タンゴを通して時間そのものを楽しむ的なことができればと思う

女性からカベセオを送るということ

推奨しているところもあれば

個人でやっている人もいる

当然、やらない人もいる

結構、状況や周りは見ていると思う

それぞれ、この人は、こういう人だろうと

勝手に推測しているところがある

そういう推測や振る舞い方などを察知しながら

ミロンガが時間が過ぎていく

ミロンガにおけるグループ

グループとは、つるんでいる人達のこと

仲がいいタンゴ仲間

これ推奨です

少しずつ仲がいい人を増やしていくと

ミロンガは、また別のモノになり、楽しみ方も豊かになっていく

ミロンガで誘われるようになるためには

大きなミロンガでも、休む暇もなく、ずっと誘われ人は

天性によるもので、努力でできるようなものじゃないと思う

大勢の人が集まるけど、人が多いからと言って誘われない

もしかしたら、知り合いがいなければ、ほぼ誘われないかもしれない

いまいま、誘われずらい状況なら

小さなミロンガにいく

一人で行く

この2つだけで、誘われ確率は一気に上がると思う

人が少ないほうが誘いやすいし、誘われやすい

これも1つの手段

そうやって少しずつ顔見知りを増やしていけば

踊る機会が増えて

その踊っている姿を見て

それがいい感じなら

新たに誘ってくる人が増える

このサイクルを作るしかない

ミロンガにおけるデモ

新鮮であり、かつ安定しているという雰囲気を継続するこは難しい

固定のメンバーでありながら

メンバー同士が、いつも新鮮な気持ちで踊れるとか

そういう状態が維持されないと難しい

マンネリ化から脱却する方法として

デモやライブに向かう方向もあるけど

人が集まりやすい特徴があるから実施されるのだと思うけど

素人デモは、できればやめたほうがいい

そういうミロンガには行かなければいいだけだけなんだけど

ミロンガの人数は、リピータ数で決まるのは事実

リピートしたくなるかどうかだけの話で

いつも素人デモを見たい人ってどれくらいいるんだろうね

ミロンガのおけるタンゴの先生

先生と踊りたいというニーズも根強い

先生とアシスタントががんがん踊ってる

ちょっとしたホストの世界だと思う

それはそれでニーズがあるのも確かだから文句はないし

それはビジネスだからどんどんやったらいいと思う

3パターン×3パターン

毎回誘う人、ときたま誘う人、誘わない人の3パターン

ずっと踊っている、ときたま踊る人、まったく踊らない人の3パターンもある

この3パターン×3パターンで

ミロンガの中が決まっていく

ときたま踊る人が、3人と踊ったとして

そのミロンガに毎回誘う人が3人居たら

それで時間切れ

現実的には、こんな感じのはず

ミロンガでは素敵な出会いがあるはずとか

あまり期待値をあげてしまうと、幻滅するだけかもしれない

全員と踊る人

これは、ある意味、練習に近い発想だと思う

この人は、ミロンガに練習しに来ているんだと

ミロンガは練習の場じゃないから

少し違和感を覚える

フォロワーは誘われなければ、そのミロンガに行かなくなる

踊りたくてミロンガに行くのに

誘われなければ、そのミロンガにはいかなくなる

この不満は誰に言うべきなのか?

誘ってくれないリーダに言うのか?

自ら、解決策を見つけて、淡々と実践していくしか

道はないように思う

ミロンガは、そこに来ているリーダーのレベルで決まる

イケてるリーダが来ているミロンガには

ミロンガの雰囲気もよくなる

雰囲気がよくなることで人も集まる

人が集まるから、さらに行こうと思う人が増える

よいサイクルが回る感じ

じゃあ、イケてるリーダが行きたいミロンガとは

どんなミロンガなのか?

自分の踊りができるフォロワーがいるミロンガ

鶏と卵の関係

あそこのミロンガに行けば、居るかもという期待が重要

居る、居ないは問わない、期待されあればいい

期待は経験から生成させるものだから

いい経験ができたミロンガというのが鍵になる

自分が理想とするミロンガ

昔、青山にあったMIXというクラブが一番近い

狭くハコで、てコアな人が

夜な夜な自然発生的に集まってくる

飲んでいる人もいれば

踊っている人もいる

各々が自分のスタイルで楽しんでいる感じ

タンゴは、オシャレではない

泥臭い

理由は、欲望と隣り合わせだから

欲望は、けして表に出さないけど

欲望が渦巻いている

その欲望が、エロだけなら

まだ、わかりやすい

はいはい。で終わらせることができる

もっと厄介な欲望だ

人間誰しも多彩な欲望を持っているのと同じ

その欲望をタンゴで満たすとなると

果てしなく泥臭い

ただ、欲望がゼロならいいかといえば

それも違うと思う

それではタンゴではなく、体操になってしまう

また、タンゴは狭いコミュニティーなので

必然的にコミュニティー的な大人の振る舞いをしなければならない

そこには、紆余曲折な道がある

それがタンゴにハマる理由があるように思う