アルゼンチンタンゴ:タンゴの歴史(エポックメイキング)

タンゴの転機

タンゴの起源云々時代
1928年第1次黄金時代
1940年代第2次黄金時代
1960年アストル・ピアソラ代表作『アディオス・ノニーノ』
1985年の「タンゴ・アルヘンチーノ」のニューヨーク公演
2000年に始まった各国のタンゴフェスティバル
2003年に始まった世界タンゴ・ダンス選手権大会
2009年にタンゴはユネスコの無形文化遺産に登録

ボカ地区(ブエノスアイレスの船着場)

大西洋航路の船員たちによってブエノスアイレスの船着場であるボカ地区に流れてきたもの
当時は、船でした移動できなかったため船着場経由がなにかと多い

1860年ごろに作曲した『ラ・パロマ』 (La Paloma)

スペインの作曲家セバスティアン・イラディエルが1860年ごろに作曲した『ラ・パロマ』 (La Paloma)
この曲は、なんとなく、タンゴに近い

キューバで生まれたババネラ(Habanera)

キューバで生まれた四分の二拍子のリズム、ババネラ(Habanera)
ハバネラとフラメンコが混ざり合ってアルゼンチンに上陸し、タンゴのルーツになっている説

隣国ウルグアイ「カンドンベ(Candombe)」

太鼓を基にした民族音楽→パーカッション、リズム、アフロ
これは、2拍子のミロンガのリズムと同じ

文化の伝播

特定の場所で発生したものが、世界に電波していくプロセス
大昔は船着場経由(船でした移動できなかったため)
現地から、パリに電波(ヨーロッパに行くと一気に芸術性がアップ)
きっかは、ライブやショー(その場限り、生ライブのみ)
大衆化には、映画、ラジオ、テレビ(何度も再生可能)
現在は、youtube(簡単に世界の文化が自宅にやってくる)

演奏場所の変化

カフェ→キャバレー→ダンスホール→劇場→レコード→ラジオ
ダンスホールで生演奏で踊る時代は、楽団のサービス精神からいろいろ曲がアレンジされたが、録音はなし
レコードができると、ラジオではレコードが繰り返し流れる

劇場で踊るタンゴは、おそらく双方の顔が見えるように、顔が観客側を向いている踊りになるような

1910年代

1917年 歌のタンゴ「わが悲しみの夜」
歌詞が入ると、一気に大衆化が加速する

1920年代

1918から1929年世界恐慌前まで経済的に恵まれる
1920年代でタンゴはヨーロッパに再び進出し、コンチネンタル・タンゴという新しいジャンルを生み出す

1925年オルケスタ・ティピカ・ビクトル

ビクトル社がタンゴを
ビクトル社はアルゼンチンに生産工場を持っていなかったため
移動式の録音装置によってアメリカ大陸全土で録音されていく
この時代レコーディングスタジオなるものは限定的だったことがわかる。1944年まで続く

1926 年に録音方式がそれまでのアコースティック録音から電気録音に替わる

1927年に録音されたレコードが名作が多いらしい
映画、ラジオから世界の音楽が輸入されてくる
巷の流行や違うジャンルの音楽が取り入れたタンゴが出てくる(ビジネスマンとしてのカナロ)
新しい楽器を取り入れる
歌モノも増えてくる

1928年第1次タンゴ黄金時代

オデオン5大楽団(ロムート、カナロ、ロベルト・フィルポ、フレセド、フリオ・デ・カロ)

1929年

ブラックマンデー、クーデター
暗黒時代にタンゴが花開く
牧歌的→素朴で力強い雰囲気

1930年代

タンゴダンスで全盛。踊りやすい曲がウケる

1931年2拍子ミロンガ

1931年、ピアナは作詞のオメロ・マンシと組んで「ミロンガ・センティメンタル」を発表で、ほとんど存在が忘れられていたミロンガ劇的な復活を遂げる
ピアナは「1900年のミロンガ(ミロンガ・デル・ノベシエントス)」を発表
セバスティアン・ピアナ=オメロ・マンシのもうひとつの傑作ミロンガである「悲しきミロンガ(ミロンガ・トリステ)」は、ゆったりとしたテンポで牧歌的な香りを漂わせている
1937年4月に録音されたダリエンソ楽団の「ラ・ブニャラーダ」が大ヒット。それ以降この曲はミロンガの定番のひとつとなった

1940 年代 第2次黄金時代

1940年第2次黄金時代アニバル・トロイロ、カルロス・ディ・サルリ、オスバルド・プグリエーセなどの活躍
楽団と専属歌手のコンビが、人気になる重要要素となる

1940年代に、タンゴは踊るための音楽という位置づけになる

多くの楽団があったこと
大編成であったこと
いろんな作詞家か、作曲家も出てきたこと
ライブ以外でも曲を聴けるようになったこと(ラジオ、レコード)
ダンスが大衆的になってきたこと
大衆化は、いろいろなレベルの人が踊ることになるので
単調でわかりやすい曲にしなければならなかったこと
同じ速さ同じリズムを繰り返していく

第2次世界大戦

鎖国化などで、人材や文化の交流もなくなる

第2次世界大戦後

景気は最高潮の時代を迎える。人や文化の交流も増え、海外公演なども盛んになる

1950年代

ダンスの流行が終わり、歌謡タンゴの時代
タンゴの歌詞は、それまでの時代と異なり、より詩的・文学的なり、韻律を踏まえた美しい音の響きが豊富になる
歌詞の内容も「愛」を扱ったものやブエノス・アイレスという街への愛着を歌うのもが多くなる

1960年代

ピアソラの時代
1960年 、アストル・ピアソラ代表作『アディオス・ノニーノ』
ここから新たなタンゴの時代がスタート
ピアソラに影響を受けた人達が続出

1980年代

1983年にパリでスタートした『タンゴ・アルゼンチーノ』
1985年の「タンゴ・アルヘンチーノ」のニューヨーク公演
→2000年フェスティバルがメジャーになるまでは、こちら路線
→音楽的には、2000年でエレクトロニカが出てきたのもこのぐらい
https://en.wikipedia.org/wiki/Mariano_Fr%C3%BAmboli

1995年代

ヌエボタンゴ、新しい踊りのカタチ
知的アプローチに貢献
https://en.wikipedia.org/wiki/Gustavo_Naveira

Gustavo Naveira→chicho
ダンスの変化の方向スタイルの基礎を学び、理解するための方法論

1997年のThe Tango Lesson

The Tango Lesson "The Tango Lesson" (1997)
tango lessonに出ていた人が、その後タンゴをひっぱることに

1997年の香港映画

ウォン・カーウァイ監督の映画「ブエノスアイレス」
男同士で踊るタンゴ

1999年 Todo Tango(Todotango.com)

Todotango.comは1999年頃に創設されました。
創設者はRicardo García BlayaとNéstor Pinsónで、彼らはアルゼンチンの国営ラジオで番組を持っていたタンゴ音楽のコレクターでした。彼らはラジオ番組がどれだけの人に届いているか疑問に思い、タンゴの情報をインターネットで広めることに挑戦しました。
その後多くの協力者を得て発展しました。
現在では300人以上の寄稿者がおり、4,740人のアーティストの情報、歌詞、楽譜、103件のインタビュー、そして世界中のタンゴに関する記事、文書、考察などが掲載されています。

2000年代 タンゴフェスティバル

ロックフェスと同じのりで、タンゴフェス
踊る人達が集まる大きなイベント
ミロンガ、デモ、ライブと数日間行なわれる
1993年ぐらいからスタート
https://tango.info/festivals/1988

https://tango.info/festivals/danceteachers

https://www.danceus.org/events/argentine-tango/tango-festivals-marathons-worldwide/

https://tangocat.net/

chichoは2000年ぐらいから参加みたい→世界レベル
イタリア、フランスあたりが2000年ぐらいから開始だね
https://tango.info/festivals/GustaNavei

1999
ファビアン・サラス(Salas Fabian)
CITA 2024 THE BEST TANGO EVENT
https://cita.dance/

2005年

12月11日は、アルゼンチンでは「タンゴの日」
タンゴの巨匠、カルロス・ガルデルとフリオ・デ・カロの誕生日にちなんでとのこと
1977年11月29日に、ブエノスアイレス市条例で、「タンゴの日」が制定され
それが、2005年にアルゼンチン国会で認められ、全国規模の記念日として制定されました

2009年9月30日

「ユネスコ無形文化遺産」