人生との距離

タンゴは、技術と感性のバランス

タンゴにハマる理由があるとすれば

技術的に難しく、その先は深い

技術があれば、それっぽく踊れるようになるが

それではタンゴではない

そんなことを考え始めると、もう大変

あっという間に時間が過ぎていき

気づけば、すっかりタンゴに嵌ってしまっている

日々に疲れ、消耗していたら

タンゴは相手の微妙なものを感じ取って踊らなければならない

日々に疲れ、消耗しているようではタンゴを感じることができない

その疲れが相手に伝わったりと

けして、いいタンゴにはならない

俗世間から一度リセットした状態にしてから踊り始める

不思議とタンゴはこのリセットに最適

一瞬でスイッチが切り替わる

その人が居るからタンゴを踊るのだ

タンゴを踊るために

その人が存在しているわけではない

その人が居るからタンゴを踊るのだ

タンゴが先か

その人が先か

その人が先だと思う

そういうタンゴを踊れることは幸せなことだ

そして、そういうタンゴしか踊りたくない

肉体から精神に

カラダが密着して一体化していくタンゴから

だんだんと肉体という感覚は薄れていき

やがて、精神的なタンゴに変わっていく

タンゴは、相手との距離感を楽しむところがある

いきなり距離ゼロは無理

徐々に距離がゼロまで縮んで

最初はカラダの距離がゼロになり

その先は精神の距離がゼロになっていく

それがペアでダンスする感覚であり

タンゴが深い理由はここにある

精神ゼロとか書くと

すこしアレな感じもするが

無の状態と言えばいいのかな

余計なことを一切考えない状態

踊り座禅状態とか

人を引き込む力を持っている達人に

達人は、見ている者を引き付ける

引き込む引力を持っている

タンゴを組んだ瞬間に、引き付けられる

あの感覚は、タンゴの達人に共通している

傍から見ているだけでは、なぜそうなるのかわからない

この引き込まれ感があると一気にタンゴになる

相手の温もりを感じること

習い始めたばかりの場合は

温もり云々は対象外で、まずはステップに集中

やがて、それなりにステップができるようになる

ステップを覚えたら、こんどはリードとフォローの仕組みに移行

この仕組みが理解できると、誰とでも踊れるようになる

さらに、曲に合わせたミュージカリティー

タンゴがだんだんと踊りそのものになっていく

ここまで来ても、終わりではない

相手の温もりを感じて踊ること

また違ったタンゴの世界が見えてくる

温もりもいい感じで、相性もよければ、そこは男女の世界

男女間の何かを満たしてくれる世界がある

しかし、踊りが終わると同時に、その何かは消えていく

当然、それをひきずる二人もいるだろうけど

それはタンゴの話ではなく、二人の話になる

この男女間の何か

二人にしかわならないものだと思う

またタンゴにしかないことだと思う

ここまで来ると、他のダンスとはかなり違う

踊りとか、そういうものではなく

それぞれの生き様そのものだと思う

それぞれ生きてきた道はまったく違うにもかかわらず

タンゴを踊るだけで、それが1つになることがある

不思議という言葉しか見当たらない

非日常タンゴ、日常のタンゴ

非日常タンゴ本質は、ドキドキ、ワクワク

日常タンゴの本質は、居場所探し

退屈な非日常はない

非日常とは、退屈な日々からの脱却したい願望とも言える

おそらく、最初から日常のタンゴでスタートする人はいないだろう

ほぼすべての人が非日常からタンゴに入る

しかし、不思議なもので

非日常から、日常タンゴにシフトする転換点がくる

それは恋愛から愛に変わるの感覚とも同じかも

そして最後は、なぜか、タンゴ愛になっていく

★シチュエーション

相手と向き合うのが基本なんだけど

自分の踊りは変わらないのに

踊る相手によって、すごく感じ取ってくれる人と、それほどでもない人がいる

なんでだろうと、

たぶん

アルゼンチンの先生と踊っているなど

相手と向きあう以外のシチュエーションが占める割合だろうね。。という結論が

当たり前で、本当当たり前のことで、それは重要なファクターに違いない

ただ、逆に、自分が確立している人は、そのシチュエーションに頼らなくてもいいから

純粋に相手を感じる割合が高くなるような気がする

2つのモノサシ

通常、モノサシは1つでなければ意味がない

同じモノサシを使うことで、価値基準の体系化がおこなわれ

体系化のもとで、合理性や規律性や動機づけを構成して

社会を回すことができる

タンゴの場合は、各人のそれぞれモノサシが存在する

共通のモノサシがない

これができれば何点で、ランキングで何番ということが起きない

もっとがんばって上位を目指すという動機づけも起きない

また、踊るということでも

ペアダンスであれば、二人のモノサシを1つのモノサシにするはわかりやすいが

タンゴの場合は、常に特定のパートナーと踊るわけではないので

2つの異なるモノサシのまま踊ることになる

2つ異なるモノサシが存在するという認識を持つとともに

それは同じものでないを出発点にしなければならない

自分のモノサシの押し付けではタンゴは成立しない