人生との距離

●タンゴは、技術と感性のバランス

タンゴにハマる理由があるとすれば

技術的に難しく、その先は深い

技術があれば、それっぽく踊れるようになるが

それではタンゴではない

そんなことを考え始めると、もう大変

あっという間に時間が過ぎていき

気づけば、すっかりタンゴに嵌ってしまっている

●日々に疲れ、消耗していたら

タンゴは相手の微妙なものを感じ取って踊らなければならない

日々に疲れ、消耗しているようではタンゴを感じることができない

その疲れが相手に伝わったりと

けして、いいタンゴにはならない

俗世間から一度リセットした状態にしてから踊り始める

不思議とタンゴはこのリセットに最適

一瞬でスイッチが切り替わる

●その人が居るからタンゴを踊るのだ

タンゴを踊るために

その人が存在しているわけではない

その人が居るからタンゴを踊るのだ

タンゴが先か

その人が先か

その人が先だと思う

そういうタンゴを踊れることは幸せなことだ

そして、そういうタンゴしか踊りたくない

●肉体から精神に

カラダが密着して一体化していくタンゴから

だんだんと肉体という感覚は薄れていき

やがて、精神的なタンゴに変わっていく

タンゴは、相手との距離感を楽しむところがある

いきなり距離ゼロは無理

徐々に距離がゼロまで縮んで

最初はカラダの距離がゼロになり

その先は精神の距離がゼロになっていく

それがペアでダンスする感覚であり

タンゴが深い理由はここにある

精神ゼロとか書くと

すこしアレな感じもするが

無の状態と言えばいいのかな

余計なことを一切考えない状態

踊り座禅状態とか

●人を引き込む力を持っている達人に

達人は、見ている者を引き付ける

引き込む引力を持っている

タンゴを組んだ瞬間に、引き付けられる

あの感覚は、タンゴの達人に共通している

傍から見ているだけでは、なぜそうなるのかわからない

この引き込まれ感があると一気にタンゴになる

●相手の温もりを感じること

習い始めたばかりの場合は

温もり云々は対象外で、まずはステップに集中

やがて、それなりにステップができるようになる

ステップを覚えたら、こんどはリードとフォローの仕組みに移行

この仕組みが理解できると、誰とでも踊れるようになる

さらに、曲に合わせたミュージカリティー

タンゴがだんだんと踊りそのものになっていく

ここまで来ても、終わりではない

相手の温もりを感じて踊ること

また違ったタンゴの世界が見えてくる

温もりもいい感じで、相性もよければ、そこは男女の世界

男女間の何かを満たしてくれる世界がある

しかし、踊りが終わると同時に、その何かは消えていく

当然、それをひきずる二人もいるだろうけど

それはタンゴの話ではなく、二人の話になる

この男女間の何か

二人にしかわならないものだと思う

またタンゴにしかないことだと思う

ここまで来ると、他のダンスとはかなり違う

踊りとか、そういうものではなく

それぞれの生き様そのものだと思う

それぞれ生きてきた道はまったく違うにもかかわらず

タンゴを踊るだけで、それが1つになることがある

不思議という言葉しか見当たらない

●非日常タンゴ、日常のタンゴ

非日常タンゴ本質は、ドキドキ、ワクワク

日常タンゴの本質は、居場所探し

退屈な非日常はない

非日常とは、退屈な日々からの脱却したい願望とも言える

おそらく、最初から日常のタンゴでスタートする人はいないだろう

ほぼすべての人が非日常からタンゴに入る

しかし、不思議なもので

非日常から、日常タンゴにシフトする転換点がくる

それは恋愛から愛に変わるの感覚とも同じかも

そして最後は、なぜか、タンゴ愛になっていく

★●シチュエーション

相手と向き合うのが基本なんだけど

自分の踊りは変わらないのに

踊る相手によって、すごく感じ取ってくれる人と、それほどでもない人がいる

なんでだろうと、

たぶん

アルゼンチンの先生と踊っているなど

相手と向きあう以外のシチュエーションが占める割合だろうね。。という結論が

当たり前で、本当当たり前のことで、それは重要なファクターに違いない

ただ、逆に、自分が確立している人は、そのシチュエーションに頼らなくてもいいから

純粋に相手を感じる割合が高くなるような気がする

●2つのモノサシ

通常、モノサシは1つでなければ意味がない

同じモノサシを使うことで、価値基準の体系化がおこなわれ

体系化のもとで、合理性や規律性や動機づけを構成して

社会を回すことができる

タンゴの場合は、各人のそれぞれモノサシが存在する

共通のモノサシがない

これができれば何点で、ランキングで何番ということが起きない

もっとがんばって上位を目指すという動機づけも起きない

また、踊るということでも

ペアダンスであれば、二人のモノサシを1つのモノサシにするはわかりやすいが

タンゴの場合は、常に特定のパートナーと踊るわけではないので

2つの異なるモノサシのまま踊ることになる

2つ異なるモノサシが存在するという認識を持つとともに

それは同じものでないを出発点にしなければならない

自分のモノサシの押し付けではタンゴは成立しない