アプラッソ

アプラッソが第一関門

若い男女なら

こんなにピッタリと体が密着するの?

はたから見れば、彼氏や彼女でもないのに、マジ信じられないレベルだと思う

タンゴが流行らないのは、このアブラッソが理由のひとつであることは確かで

同じペアダンスでも、サルサなら、そこまでの抵抗はない

アブラッソしたまま息を吸って胸を開いただけで

息を吸って胸を開いていく

そうすると、体がゆっくり持ち上がっていく

これもリードのひとつ、タンゴの動きだったりする

腕の力はまったく使ってない

なにか特別なことをしたわけじゃないのに、二人の間に動きが出てくる

ただし、集中していなかったり、アブラッソが甘いと

このリードが女性には正確に伝わらない

ここまで達するには結構なもんで、なかなかこうはならないけど

見よう見まねで

腕の力で女性を持ち上げようとすれば

女性にとって不快感しか残らない

アプラッソは踊りに必要不可欠なものから

不快なものに変わってしまう

当然、そこにはタンゴは成立しない

なぜ密着したアプラッソが必要なのか?

密着することで、相手のリードが伝わり

ちょっとした動きはもちろんのこと

いろいろなモノを感じ取ることができる

感じたら動く、踊る

めちゃ集中が必要

集中していないと感じ取れない

集中していれば相手の感情すら伝わってくる

エッチな気分になっている余裕などない

密着の代表、ミロンゲーロ・スタイル

ミロンゲーロは、そもそも長年ミロンガに通っている人を称賛する言葉だが

ミロンゲーロは、がっつりアブラッソで、胸でちょこちょこリードしながら踊る

その踊りをミロンゲーロ・スタイルと呼ぶことがある

混んだミロンガでは

大胆に動けは周りに迷惑を掛けることになる

小さなスペースで小さなリードを繰り返しながら踊りを作っていく

きわめて、実用的なニーズから生まれたタンゴのスタイルになる

その当時に生きてきた人に聞けば済む話だけど

おそらく、最初からミロンガが混んでいたわけではないだろうから

いつときか、タンゴの人気が出て、ミロンガが混むようになったはずで

その過程で、アブラッソの形も変化していったと思われる

逆に、ガラガラのミロンガでがっつりアブラッソだと

おふたりさん、おいおいになるかもしれない

アブラッソは、豊かなタンゴの表現を支えるもの

深みや情熱というタンゴの世界ならではの表現

アブラッソがあるからこそ、可能な表現がある

まさに、Theタンゴの世界の1つ

いつから抱擁と紐付いたのか

抱擁が先か、踊るための必然が先かの話

踊るためにはめちゃ集中が必要なのだが

いつしか、抱擁という言葉がタンゴを語るワードになってきた

抱擁にはエロい意味もあるし、勘違いする人も多くなる

抱擁というよりはハグに近いだろう

ハグにはいろいろな効果があると言われているように

タンゴも同様の効果があると言われている

効果云々の話になると、なんか、ダンスとはかけ離れてしまうけど

2人で踊るタンゴというダンスならでは

タンゴがもっている魅力はとても広い

アブラッソっていうのは信頼が不可欠なんですけど

どんなアプラッソで踊るのか女性側に選択権がある

女性が男性に安心して体を預けられなければ踊りにならない

そのためには、信頼感が前提になる

そこに、少しでもいかがわしさがあったり

何をされるかわからない不気味さや勘違いがあれば

信頼されるはずがない

信頼がなければタンゴは成立しない

はじめて踊る人であっても、その人の踊りを見ていれば

信頼できるかどうかもわかってしまうところもある

はじめての人で、かつ、その人の踊りも見たことがない人と踊る場合は

最初は相手がどんな人なのか探りながら踊り始めるのが普通で

双方にその気持や態度がない場合は、信頼ははじまらないし

タンゴもはじまらない

深いアブラッソができるようになると

ブエノスではおじいちゃんたちが若い女性にもモテモテって話をよく聞く

そこには、アブラッソが、なんか、ふかふかで、とても気持ちいいらしい

アプラッソが全然違うらしい

若い男性には、絶対に出せない、そういうアブラッソらしい

アブラッソを組んだだけで

その人のタンゴ歴がわかる、人となりが伝わってくる

テレないで深いアブラッソできるようになること

100%の信頼と誠実さが必要

それには人生と時間の積み重ねでしかなりえない

目をゆっくり閉じていくタンゴ

アプラッソが気持ちよければ、目を閉じていくことができる

目を閉じていてもタンゴが踊れてしまう

そして、繊細な感覚が

どんどん研ぎ澄まされて

違う世界のタンゴが降りてくる

一度、そういったことを経験してしまうと

タンゴの魔法から抜け出せなくなっていく