1951年、<ミゲル・カロー>の楽団に入団。
1954年まで在籍した。
<エンリケ・フランチーニ>楽団、<アルベルト・エチャグエ>=<アルマンド・ラボルデ>楽団、ミゲル・ニヘンソン楽団、フアン・ホセ・パス楽団にも在籍したのち、1958年には<オスバルド・プグリエーセ>楽団に入団している。
<オスバルド・プグリエーセ>楽団のメンバーとして編曲もおこなっていた。
1968年、ほかのメンバーらとともにプグリエーセ楽団から脱退。
プグリエーセ・スタイルを汲んだグループ、<セステート・タンゴ>の創設メンバーとなる。
1989年、やはり<セステート・タンゴ>とおなじく旧プグリエーセ楽団のメンバーによる<コロール・タンゴ>に参加。
1995年には、国際的に成功を収めたショー【フォーエバー・タンゴ】の楽団メンバーに、1996年からは同楽団の指揮者となった。
Osvaldo Pugliese/オスバルド・プグリエーセ
Julián Plaza/フリアン・プラサ
Juan José Mosalini/フアン・ホセ・モサリーニ
Sexteto Tango/セステート・タンゴ